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俺は信じられない 下

 瞳孔が開ききった瞳はまるでガラス玉。動きを止めた美香は、まるで不自然な形で固定されてしまった人形のようだ。


「……美香? おい、大丈夫か?」


 声を掛けても、顔の前で手を振っても反応無し。

 肩を揺さぶろうとおそるおそる手を伸ばしかけたとき、不意に変化は起きた。


 開ききっていた美香の瞳孔が、きゅううっと急激に縮んでいく。

 と、ほぼ同時に、止まっていた呼吸が再開した。

 美香は苦しげにむせて、二度三度と深呼吸する。


「大丈夫か? なにがあったんだ?」

「話は後っ!」


 手に持っていた鞄と傘をぽいっと放り投げ、美香が唐突に走り出す。


「ええっ!?」


 まさに全力疾走。

 運動部のダッシュもかくやといった勢いで、彼女は歩道を突っ走って行く。


「ちょっ、なんなんだよ、もう!」


 いきなり荷物放り出して走り出すなんて、なに考えてんだ?

 放っておくわけにもいかず、俺は慌てて鞄と傘を拾うと、美香の後を追った。


 雨は止んだが、でこぼこした古い歩道にはあちこちに水たまりが出来ている。大きな水たまりがしっかり見えているだろうに、美香はまるで気にしていない。

 水たまりをびっしゃびっしゃと踏んづけて泥水が跳ねる。靴や足が濡れるのも気にせず、短めのスカートが大きくめくれているのも一切構わず、ただひたすらまっすぐ突っ走って行く。


「おい、美香! どこまで走るつもりだよ!」


 小さな駅を通り過ぎ、その隣の駅前駐車場の前を走っていく。

 すると、さらにその隣の駅前公園から、テンテンと青いボールが弾んで飛び出してくるのが見えた。

 それを見た美香は、目に見えてグンとスピードを上げる。


「だめっ!! 止まって、まーくん!」


 不意に駅前公園の方から、女性の悲鳴が聞こえた。

 同時に、青いボールを追いかけて小さな男の子が走り出てくる。

 それに美香が手を伸ばし、車道ぎりぎりのところで男の子の腕をがっしり摑んで引き止めた。

 その直後、すぐ脇の道路を引っ越し業者の大きなトラックが猛スピードで走り抜けていった。

 トラックが通り過ぎた後に吹き抜けていった風で、男の子と美香の服や髪がふわりと揺れる。まさに危機一髪。


「……嘘だろ。なんだこのタイミング」


 まるで漫画かドラマのような、どんぴしゃのタイミングだった。


 あのトラックのスピードでは、子供があのまま飛び出していたらきっと急ブレーキを掛けても間に合わなかっただろう。

 美香が引き止めていなかったら、あの男の子は間違いなく交通事故に遭っていたはずだ。

 そもそも、美香が全速力で走っていなかったら、きっと間に合っていなかった。



――あたしが超能力者だってこと、信じさせてみせるから。楽しみにしててね。



 え、マジか?

 つまりこれは、そういうことなのか?

 さっきの会話が、俺の頭の中でぐるぐる回る。


「ああ、まーくん、よかった。……ありがとうございます」

「はい。……間に……あって、よかった……です」


 男の子を追いかけてきた母親が頭を下げるのに、全力疾走の影響で息を切らせながら美香が笑顔で答えている。

 男の子は、なにが起きたのかいまいちわかっていないようだ。

 狼狽えながらも美香に頭を下げている母親を見て、キョトンとしている。

 俺は混乱しつつも、とりあえず道路を渡って青いボールを拾ってきて男の子に渡した。


「おにーちゃん、ありがと」

「俺じゃなく、こっちのおねーちゃんにお礼言いな」

「……おねーちゃん?」

「そうだ。このおねーちゃんが止めてくれなかったら、トラックに轢かれるところだったんだぞ」

「そうよ、まーくん。お姉ちゃんにありがとうって言って」

「え? ……おねーちゃん、ありがと?」

「どういたしまして」


 理解するにはまた小さすぎるのか、やっぱり男の子はまだよくわかっていないらしい。

 母親と俺達の顔をきょろきょろと交互に見て戸惑っている。


「まーくん、もう道路に飛び出しちゃ駄目だからね」


 俺達は男の子にばいばいと手を振って、その場を後にした。

 きっと、まだ小さすぎて危機感のない我が子が心配でたまらないのだろう。涙ぐんで何度も頭を下げる母親が、絶対に離さないぞとばかりに男の子の二の腕をぎっちり摑んでいたのが印象的だった。

 ……ちなみに、あの腕、痣になるかもな。




「ねえ、これで信じてくれた?」


 親子から離れてしばらくして、美香が俺の顔を覗き込んでくる。


「……なにを?」


 なにを聞かれてるか、たぶんわかってる。

 わかってるけど、ここですんなり信じるとは言えない。

 俺はそこまで素直じゃないし、警戒心もなくしてない。

 なにかトリックがあるかもしれないし……。


「だから、あたしが超能力者だってことをよ」

「……事故が起きるのがわかってた?」

「違うってば。さっき話したでしょ」

「さっき?」

「だからさっき……ってか、そっか。もしかしたら、まだ話してなかった?」

「だからなにを?」

「あたしの超能力のことをよ。力を使える条件とか、色々貴史に説明したんだけど……聞いてない?」

「聞いてない。――特定の条件下でないと力を使えないとか言い出した後で、いきなりフリーズして動かなくなってたし……。あれ、なに?」


 完全に瞳孔開いてて死んだのかと思って焦ったと言うと、美香はびっくりしたようだった。


「えー、瞳孔開いちゃうんだ。自分じゃわからないのよね。心配しちゃった? ゴメンね」

「別にいいけど……。あれ、病気じゃないのか?」

「違うよ。あれがあたしの超能力なの。『時戻し』って言うのよ」

「『時戻し』? なんだ、それ? そんな超能力聞いたことないぞ」


 俺が疑う気満々の態度を見せると、でしょうねと美香は苦笑した。


「代々我が家に伝わってきた能力なんだって。っていっても、能力を持ってたのはご先祖様で、あたしは先祖返りらしいの。近いところでは曾祖父が同じ能力を持っていたみたい」


 だが、それ以降はピタッと能力者は産まれなくなり、血が薄まって能力者はもう現れないのだろうと親戚一同ホッとしていたところに、美香がこの力を発現させてしまったのだとか。


「さっきみたいに人助けもできるから、いい力だとあたしは思うんだけど。なかなか信じてもらえないんだよね」

「……『時戻し』って、予知能力のことか?」

「違う。予知じゃなく、あたし自身が時間を戻るのよ。全部無かったことにしたいような嫌なこととか怖いことが遭った時に、それが起きる前まで時間を巻き戻すことができるの。便利でしょ?」


 なんだそれ?


「タイムトラベル? それともタイムリープだったっけ? 過去に戻れるってことか?」

「心だけね」

「は?」

「だからね、さっきの場合は、あたし達の目の前であの男の子がトラックに轢かれちゃったのよ。あたし、それが凄く嫌だったの。だから力が発動して、あたしの心だけ少し前の時点まで戻ったわけ。で、あの子が道路に飛び出す前に止めようと思って全力疾走したの」


 わかる? と聞かれたが、正直わからん。


「心だけ戻るって、どういう状態なんだ? 魂だけ過去に戻るってことか? その場合、魂がダブっちゃわないか? 今の自分と未来の自分と……」


 今ある魂を未来の魂が押し出しちゃってるとか?

 そもそも、魂が戻ってしまった未来の美香の身体はどうなってる?

 魂が抜けて抜け殻になってしまっているのか?

 それとも、未来の記憶を過去の自分にただ上書きする能力なのか?

 その場合、事故が起きてしまった未来と、事故を防げた現在とで、時間軸がふたつに分かれてしまうことにならないか?


 浮かぶ疑問を思いつくまま次々に口にすると、美香はむうっと不機嫌そうに目を眇めた。


「そんな難しいことわからないもの。知らなくても力は使えるし……。あたしにとっては、『過去』とか『未来』とか関係なく、いつだって『今』なんだもん」


 美香は客観的に説明する術を持っていないらしい。

 嫌だと思った未来の『今』から、やり直せる過去の『今』に移動しているだけ。

 どんなに行ったり来たりしたとしても、美香が居る場所は彼女にとって常に『今』なんだろう。

 科学者じゃあるまいし、説明できないのも仕方ないか。


「で、信じた?」

「いや、無理」

「なんでよー。あたしがあの子を助けたの見たでしょ? 偶然で出来ることじゃないと思わない?」

「思うけど……」

「けど、なによ」

「俺は事故の現場を見てないし、美香が過去に戻ったところも見てない。『時戻し』だっけ? その力が本当にあるのかどうか信じるに足る証拠がない。だから信じられない」

「あ、じゃあ、あれだ。瞳孔が開いたのは見たんでしょ? それが証拠にならない?」

「確かにあれはびっくりしたけど、証拠にはならないよ。なんかの病気かもしれないし、薬の副作用かもしれないし」

「薬なんか飲んでないもの」

「かもね。でも俺はそれを確認できないから、薬を飲んでないことを証明してもらわないと」

「もー、貴史ってば面倒くさい!」

「そーだよ。俺は面倒くさい奴なんだ」


 自分が見たものしか信じないってことは、つまり他人が見たものは信じないってことだ。

 誰がなにを言おうと、俺は自分で確認しなければ信じない。

 小学生の頃、大人に騙されて酷い目に遭って以来、そう決めた。


 もう騙されたくないから、いつも警戒心バリバリで生きている。

 今の俺が無条件で信じられるのは、姉ちゃんと父さんだけだ。

 でも、それじゃ駄目なんだってことも知ってる。

 だから今は、自分が確認したものしか信じないという条件をつけて、それ以外の人達を信じられるようになるためにリハビリしている真っ最中なのだ。


 美香の超能力と俺の信念は、あまりにも相性が悪すぎる。

 それを信じられるようになる為には、高いハードルをいくつも越えなきゃならない。

 正直、どんなにハードルを越えても、信じるのは無理なんじゃないかとさえ思う。


 だって、心だけが過去に戻るという彼女の超能力は、どうやったって俺の目で見て確認することはできないのだから……。


「俺じゃなく咲姉にロックオンしろよ」

「駄目よ。お兄ちゃんに叱られちゃう。それに、信じてもらえなかったら悲しいじゃないの」

「……俺だと悲しくないのかよ」

「うん。だって貴史は信じてくれるんでしょ?」

「……今は信じてないぞ」

「わかってる。でも自分で確認したら信じてくれるんだよね。信じてもらえるまで頑張るよ」

「頑張っても、ずっと平行線かもよ」

「それでもいいよ。――あのね、貴史。あたしはね、自分の超能力が無条件で信じてもらえるようなものじゃないってこと、ちゃんと知ってるの」


 そのせいで引っ越してきたんだし、と美香がちょっと眉をひそめる。


「信じてもらえなくて、手遅れになって本当に事故が起きると、今度は怖がられたり気持ち悪がられたり嫌われたりするのよ。……小学生の頃にはイジメみたいなこともあった……。あたしが呪ったせいで事故が起きたんだって言う子もいたの」


 異質なものは、拒絶されて排除されるってことか。

 理解できない力を恐れるのは、一種の本能みたいなものかもしれない。それが子供同士だったら特に……。


「でも貴史は信じるって言ったでしょ? それも、自分の目で見て判断してから信じるって言った。あたしね、それも嬉しかったの」

「……面倒くさいんじゃなかったのかよ」

「面倒くさい。でも楽しいよ。宿題を出されたみたいで」

「そうか?」

「うん。だからね、あたし頑張るよ。信じてもらうためにどうすればいいか考えて、証拠を集めて貴史に提出するから」


 ちゃんと採点してねと美香が明るい顔で笑う。


 ああ、そっか。

 つまり俺は昨日、美香の為に専門窓口を開設しちゃったってことか。


 拒絶もしないし信じもしない。

 でも検討はしますよと、自分から手を差し伸べていたんだ。

 

 だったら、しょうがないか。

 このロックオンは、どうやら自業自得みたいだし。


「別にいいけど……。とりあえず、今回のは不合格だからな」

「なんでよー。事故を止めたあたしの行動自体が証拠にならない?」

「ならない。……予知能力だっていうんなら、まだ証拠になるけど」


 予知能力だったとしても、やはり一度では信じられない。

 何度か実績を積み重ねていけば、いずれは確信に繋がるかもしれないが……。


「予知能力じゃなくて『時戻し』なんだってば。見たでしょー?」

「だから見てないって。美香が未来に行って心だけ戻ってきたんだとしても、一緒にいた俺の目にはそれが見えてないんだからさ」


 心なんて、そもそも目に見えないものなのだ。

 それが未来と過去を行ったり来たりしたからといって、どうやって目で見て確認しろというのか。ムリゲーだろ、それ。


「予知能力ってことにしとこうよ。そしたら、いずれは信じてやれるかもしれないぞ」

「そんなの嫌。あたし、嘘つきになりたくないもの」

「だったら、他になにか信じられる証拠を考えてこいよ」

「えー、そんなこと言われても……。貴史が条件出してよ」

「知るか。信じて欲しいのはそっちだろ。自分で考えろよ。――お婆ちゃん、ただいま」

「はい、お帰りなさい」


 喧々諤々やり合っているうちに、いつの間にか小さいお婆ちゃんのいる商店の前に差し掛かっていた。

 いつもの椅子に座って店番している小さいお婆ちゃんに、いつものように挨拶すると、いつもの返事が戻って来る。


「た……こんにちは」

「はい、こんにちは」


 照れ臭いのか、ちょっと小さい声で挨拶した美香にもお婆ちゃんはにこにこといつもの返事したが、その後でいつもとはちょっと違うことを言った。


「お友達とは仲良くしなきゃいかんよ」

「わかった」

「はーい」


 どうやら、喧々諤々やり合っていた俺達が口喧嘩しているように見えたらしい。

 ふたり揃って苦笑しながら頷いて、お婆ちゃんに手を振って店の前を通り過ぎた。


「お婆ちゃんにも言われたことだし、明日からも仲良く一緒に登校してよね?」

「マジか。今日でもう道わかったんじゃないのかよ」

「わかったけど、でもほら、信じてもらうためにも、貴史には目撃者になってもらわなきゃならないでしょ?」

「だからって、わざわざ毎日一緒に登校しなくてもいいだろ」

「さっきも言ったけど、あたしの力を使うには一定の条件が必要なの。全部無かったことにしたいような嫌なこととか怖いことが起きなきゃ能力が発動しないわけ」


 そして、いつその時が訪れるのか、美香にだってわからない。

 そりゃそうか。予知能力はないんだもんな。


「事件が起きるよりずっと前まで戻って、俺を同行させるってのはどう?」

「無理。戻れるのは事件を止めることが出来るぎりぎりの時点までで、それ以上は戻れたことないもの」

「そっか、いろいろ制約があるんだな」

「そもそも無かったことにしたいって本気で思う事件だって、そう何度も起きるものじゃないでしょ?」


 確かに……。

 今まで生きて来た中で、俺がなかったことにしたいとまで思う事件はひとつだけだし。


「その数少ない機会に立ち会ってもらう為にも、貴史にはなるべくあたしと一緒にてもらわなきゃならないの」

「ならないのって……決定事項かよ」

「そうよ。だって、あたしに宿題出したのは貴史でしょ?」


 これからよろしくね、と軽く小首を傾げた美香が俺を見上げてくる。


 そのあざといぐらいに可愛い仕草に警戒心がびりびりと刺激されたが、それでも俺は気が付くと頷いてしまっていた。

 情けないが、こればっかりはしょうがない。

 だって、可愛いは正義だってネットでも言ってるし……。


 なんとなく負けたような情けない気分になって、俺は肩を落としてトボトボと家路を辿ったのだった。

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