俺は信じられない 中
美香は方向音痴なのだそうだ。
だからひとりで登校するのを不安がっていたのか。
「迷うような道だったっけ?」
家があるのは三十軒ほどの集落の一画だ。
周囲は田んぼや畑やビニールハウスだらけ。まあ、絵に描いたような田舎だ。
地元民に愛されている標高一千メートルちょいの山を背にして、集落の中央を通る道路を歩く。すると十分弱で国道にぶつかる。国道を渡って五分ほどで、早朝から開いている商店が見えてくる。
ちょっとした文房具やお菓子類を置いてある商店の店主であるちっちゃなお婆ちゃんに、おはようと挨拶してから更にまっすぐ進む。
ちなみに余談だが、ここで商店脇の曲がり角を進むと、かつて俺も通っていた小学校に突き当たる。だが中学生になった今はここでで曲がらず、ずんずんまっすぐ進む。すると右手に小さな最寄り駅が見えてくるから、ここで左に曲がって、今度は駅を背に駅前商店街を進む。
小さな商店街が切れるところで右に曲がると住宅街に入るから、その道を右に左に進み……。
……う~ん、馴れないとここら辺で迷うか。
特に高校は、住宅街の隙間に無理矢理押し込んで建てたように見えるからな。実際は逆で、高校の周りに次々家が建てられていったらしいけど。
とにもかくにも、学校が近づけば制服を着た学生がぞろぞろ歩いているから、その後をついていけばなんとかなる。
でも美香が昨日の引っ越しの合間に一度自分の足で学校まで歩いてみたときは、日曜日だったから学生が歩いていなかったようだ。そのせいで余計に不安になったらしい。
「学校の近くって目印になるようなお店も高い建物もないから、アプリ使ってもなんか不安だったんだもの」
さすが東京から引っ越してきた人は言うことが違うよ。
田舎者の悲哀を感じつつ、美香の歩調に合わせていつもよりゆっくり歩いた。
そんな俺達を何人もの生徒がダッシュで追い抜いて行く。見知った顔のそいつらは、追い抜いたところで決まってぐるっと振り返り、こっちの顔をしっかり確認してからまた走り去って行く。
雨が降ってるってのにご苦労なことだ。
つーか、水たまりの泥水がびっしゃびっしゃ跳ねてこっちに飛んでくるから、非常に不愉快なんだけど。
美香とは中学校の前で別れた。
早めに登校する高校生達も歩いているから、ここまでくればもう迷う心配もないはずだ。
久しぶりに登校した学校は、先週末に入学式を迎えた新入生達が馴れない校舎に戸惑っているせいか、やけにざわざわと騒がしい。
下駄箱を出たところにある掲示板に張り出されたクラス分け表を見て、自分の教室を確認する。
三年B組、知った名前が多くあってちょっとほっとした。
っていうか、生徒の数が少ないから殆ど顔見知りなんだけどさ。
教室に入ると、いきなり複数のクラスメイトに囲まれた。
もちろん俺が人気者だからというわけじゃない。
「春休み中になにがあった!?」
「見たことない顔だったけど、どこの子だよ?」
「あの子、高校生だよな?」
俺を囲んでいるのは、さっき俺達を追い抜いて振り向いていった奴等だ。
「彼女はお隣さんだ。春休み中に東京から引っ越してきたんだ。ちなみに高二。道に不馴れだって言うから、道案内がてら一緒に登校しただけだから」
「なんだよ。ただのお隣のお姉さんかぁ」
つまらんと、みんな俺から興味を無くして散っていく。
高二の女の子が中三の男とどうにかなるはずがないだろうに。
もちろん、その逆なら有りだ。事実、バレンタイン前に学年一の美少女が高校生とつきあい始めたらしいし。
どうやらそれで皆は、高校生男子に対抗意識を燃やしているようだ。俺が教室に顔を出して真実を知るまで、高校生男子に俺が一矢報いたんじゃないかと期待して、そわそわ浮き浮きしていたと、小学生の頃からの友達の真治が教えてくれた。
「短い春休みの間に、よくそんなに仲良くなれたね」
「仲良くなってない。お隣さんが引っ越してきたの、昨日だぜ」
父親の仕事の都合で、引っ越しが新学期ぎりぎりになってしまったと美香が愚痴ってた。
「それで道案内してやるなんて、貴史らしくないんじゃない?」
真治がにやにやしながら俺の顔を覗き込んでくる。
「かなり可愛い子だって話だけど、もしかして一目惚れでもして、いつもの警戒心なくしちゃった?」
「……なくしてない。姉ちゃんに、ちゃんと親切にしてあげなさいって言われただけだ」
「沙織さんのちゃんとが出たかぁ。それならしょうがないね」
「ああ、しょうがない」
『ちゃんと』は、姉ちゃんが真剣な時の口癖だ。
この口癖が姉ちゃんの口から出たら、俺はまず逆らわない。真治はそれを知っているぐらいには近い友達だ。
ついでに言うと、こいつは年上好きなのか、小学生の頃から俺の姉ちゃんに惚れていると公言している。
姉ちゃんが笑ってスルーしているので、俺としてはとりあえず排除はせず、見る目がある奴だと一目置いてやっている。
「沙織さんが気に入った人なら、俺にも紹介してよ」
「たぶん無理。今日で通学路も覚えただろうし、俺もうあいつに関わる気ないし」
「そう? んじゃまあ機会があったらってことで、よろしく」
「はいはい」
美香は人懐っこくて社交的なタイプみたいだったし、すぐに高校で友達を見つけるはずだ。女友達ができたら、きっともう隣家の中坊なんてお役後免だろう。
と、この時の俺は本気でそう思っていた。
新学期初日は、授業のない日だ。
始業式の後で生徒会主催の新入生歓迎のレクリエーションや部活動への勧誘等があるだけで、帰宅部の俺は昼前には学校から解放された。
天気予報は大当たりで、すでに雨は止んでいた。雲の切れ間から太陽が覗き、青空も見える。
明るい日差しに、午後からなにをしようかと浮き浮きしながら校門を出たところで、ふと見覚えのあるオレンジ色が視界の端をかすめたような気がした。
何気なくそっちに顔を向けると、バチッと校門脇に立っていた美香と視線が合った。
「あ、やっと出てきた。けっこう待っちゃったよー」
ぱあっと嬉しそうに笑った美香が、綺麗に折りたたんだオレンジ色の傘を手に駆け寄ってくる。
「……こんなところで、なにしてるわけ」
「貴史を待ってたのよ。一緒に帰ろ」
「学校は?」
「もう終わった。あたし、部活動とか入る気ないし」
一年生に混じって新入部員なんてやってられないし、以前の学校でも部活動はしてなかったしと、美香が言う。
だからって、なんでわざわざこんなところで俺を待ってたりするんだ?
まさか、ここから家まで帰る道がわからないとか言うんじゃないだろうな。
美香は本当にけっこう前から校門前にいたらしい。
空ばかり見て浮かれていた俺は気づかなかったが、校門の周辺には見慣れない年上の美少女に興味津々の生徒達がちらほら溜まっていた。
これ以上目立つのが嫌な俺としては、ここで美香と揉めるより、さっさとこの場から離れる為にも、大人しく美香と一緒に帰る道を選ぶしかなかった。
「咲良ちゃんが中学も初日は昼前に終わるって教えてくれたんだ。貴史とすれ違いにならなくてよかったよ」
「咲良って、咲姉……東野咲良?」
「そうよ。沙織ちゃんがね、あたしのことをメールで咲良ちゃんに知らせてくれてたの。お陰ですっごく助かっちゃった。偶然同じクラスだったんだよ」
咲姉は、姉ちゃんの小学校の頃からの親友で、高校は別々になったが今も毎日ラインで連絡を取り合っている仲だ。
馴れない田舎に引っ越してきたばかりで不安そうな美香の手助けをしてやってくれと、姉ちゃんが咲姉に頼んでいたらしい。さすが姉ちゃん。隙が無い。
「沙織ちゃんにお礼言っといてくれる? ホントは直接会って言いたいんだけど、沙織ちゃんはいつも塾で帰りが遅いって咲良ちゃんに聞いたから」
「わかった。伝えとく」
朝と同じで、美香は途切れることなく俺に話しかけてくる。
適当に相づちを打ちながら、朝に歩いた道を逆に辿った。
駅前商店街まで歩いたところで、ふと気になって聞いてみる。
「念のために聞くけどさ。こっから家まで一人で帰れないとか言わないよな?」
「さすがに言わないよー。高校の近くならともかく、ここからならひとりで帰れるし……。――それより、ここらの商店街って定休日合わせてるの? 面白い店があったら寄っていこうと思ってたのに、シャッター閉まってる店ばっかりでつまんない」
「定休日じゃない。閉店してるんだ」
残念ながら、この駅前商店街は、俗に言うシャッター商店街というやつだ。
学生向けのファンシーショップや古くからやっている薬屋や米屋、学生指定の制服や鞄等を置いている呉服店等、固定客がいる店以外は軒並みシャッターを閉めている。
年々過疎っている地域なんだってことを教えると、美香はちょっとがっかりしたみたいだった。
「ママは、ここら辺りには賑やかな商店街とショッピングモールがあるって言ってたんだけど……」
「それならここじゃなく、二駅向こうだ。商店街は駅前だけど、ショッピングモールは最寄り駅からちょっと離れてるから、学校帰りに気楽に寄れるって感じじゃないな」
ここら辺は田舎だけに車社会だ。だから、ショッピングモールは駅前じゃなく国道沿いにある。
「騙されたんだな。引っ越したくないってごねたのか?」
「そんなことしないよー。だって、家が引っ越さなきゃならなくなったのって、あたしのせいなんだもん」
「……なにやらかしたんだ?」
「自分に出来ることをしただけよ。なのに誰もあたしの言うこと信じてくれないんだもん。それどころか、疑ったり気持ち悪がったり……。信じてくれたと思ったら変な宗教絡みで、つきまとわれて酷い目にあったし……」
もううんざりと、美香が唇を尖らせる。
なんだこいつ。なんか物凄く厄介事の気配がするぞ。
持ち前の警戒心が、俺の危機感をひしひしと煽る。
君子危うきに近寄らず、だ。……君子って言えるような人格者じゃないけど。
「色々大変だったんだな。――で、ショッピングモールの話に戻るけどさ。映画館やゲーセンもあるから休日にでも咲姉と遊びに行ってみなよ。あそこの駅前の商店街には一日体験ができるカルチャー教室もけっこうあるし、遊びに行くにはいい街だぞ」
姉ちゃんも中学生の時、一日体験の手芸教室でフェルトのマスコットを作ったりして遊んでたし、と教えると尖っていた美香の唇が嬉しそうにほころんだ。
しめしめ。うまい具合に話をそらすことができたぞ。
「いいね、それ。楽しそう。今度一緒に行こうよ」
「なんで俺? 咲姉と一緒に行けよ」
「う~ん。咲良ちゃんを誘うのは、まだちょっと怖いかも……。あたし、普通じゃないからさ。ちゃんとした友達って今までいなかったんだよね」
まずいぞ。またなんか話が変な風に……。
「だからって、なんで俺を誘うんだよ」
「だって、貴史は信じてくれるんでしょ?」
「なにを?」
「だから、あたしが超能力者だってことをよ」
……は?
「今まで家族以外では誰も信じてくれなかったの。はじめてなのよ。だから嬉しくって」
「いやいや、ちょっと待て。俺は、美香が超能力者だなんて聞いてないぞ」
「あれ? そうだったっけ?」
「そうだよ。超能力を信じるかって聞かれたから、信じるって答えただけだ。それも条件付きでだ」
「あ、そうだった。思い出した。『俺は自分が見たものしか信じない』んだよね? 見たら信じてくれるんでしょ?」
「……まあ、そうだな。見て、イリュージョンでも詐欺でもないって納得したらな」
「うん、わかった。あたしが超能力者だってこと、信じさせてみせるから。楽しみにしててね」
楽しみにしててねって言われてもなぁ。
こいつ、マジで中二病か?
「他を当たれ。本気で信じて欲しいんなら、俺よか咲姉を狙ったほうがいいぞ」
咲姉は、この地域では有名な富農の跡取り娘で、おっとりのんびりさんなとても優しい人だ。
美香の突拍子のない話も、最初から拒絶したりせず、ちゃんと親身になって聞いてくれるに違いない。
「う~ん。それ無理……。昨日あの後、超能力のことは他の人に話すんじゃないって、お兄ちゃんにしこたま叱られたの。こっちでまた変な噂が広がっても、今度はそう簡単に引っ越しできないからって……。だから今のところ、あたしの超能力のことを知ってるのは貴史だけなんだよね」
なんだよねって言われても……。
どうやら俺は、知らぬ間にロックオンされていたらしい。
「よし、わかった! だったらさっさと、その超能力とやらを見せてみろ」
面倒なことはさっさと済ませてしまうに限る。
さあ見せろ、すぐ見せろと迫ったが、美香は「無理」と肩をすくめた。
「あたしの力って、特定の条件下でないと使えないの」
「特定の条件下って、どんな?」
「ん~っと、あのね――」
ちょうど駅前を通り過ぎたところだった。
俺より少しだけ背の低い美香が、軽く首を傾げて俺の目をまっすぐ見つめ、続きを話そうと唇を開き――そのままの姿で、不意にピタリと動きを止める。
「……美香?」
どうした? と聞くより先に、俺はその異変に気づいた。
見つめ合ったまま動きを止めた美香の目の、その瞳孔がみるみるうちにぶわっと開いていく。
「ちょっ……」
連想したのは、母の死を確認すべく、瞼を押し上げペンライトで瞳を照らし見ていた医師の仕草。
なんだこれ?
なにが起きてる?
まさか……、死?
本能的な恐怖心から、ざわっと鳥肌が立つ。
突然のことに、思考が追いつかない。
俺は、ただその場に立ち尽くすことしかできずにいた。
読んでくださってありがとうございます。
遅くなってすみません。ここのところの気温の変化に身体がついていかず体調を崩しがちで、どうにも集中できなかったのでお休みをいただいていました。復活したのでまた頑張ります。よろしくお願いします。