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0-1 しぶとい芽


「マスター、またふったんだって?」

「なにをです?」

「女だよ」


 それは初耳。

 最近、その手のこととは縁がなかったと思うんだが……。


 そんなことあったっけ? と記憶をあさる俺に、合同庁舎で働く臨時の女の子が俺に振られたと言って落ち込んでいたと、常連客の田代さんが教えてくれた。


「臨時の女の子っていうと、あれかな。経営コンサルタント的なアプローチで、この店の経営改革と改装を勧めて来た子かな。変える気はないからって断ったんだけど、それがふったって話になったのか?」


 ここは、自宅の一部を改装して作った喫茶店『スプラウト』。

 俺がひとりで気ままに経営している店だ。

 ランチタイムに出していた自家製カレーが評判になってしまって、お昼時だけ行列ができるようになったが、俺的には食っていけるだけ稼げれば満足だから、メディア戦略もチェーン展開もお呼びではないのだよ。


「たぶんそれだ。一昨日だったっけかな。若い奴らがその子に同情して、慰めようってんで飲みに連れてったぞ。で、その若い奴らの中のひとりと、その女の子がつき合いはじめたって話だ」

「優しくしてくれる男なら誰でもいいってことね。節操ないったら」

「そう言うなよ。あの年頃は色恋沙汰が人生の中心なんだからよ」

「つまらない人生」


 ふん、と顎を突き出す気の強い女性、加奈子さんもやはり常連客だ。

 田代さんは近所の合同庁舎で働く公務員で、加奈子さんもやはり近所にある弁護士事務所で働く弁護士さんだ

 アラサー真っ只中のこのふたり、俺の目から見ると間違いなく惚れ合っているのだが、ふたりともそのことにまだ気づいていない。

 いわゆる、両片思いという状態だ。

 ふたりともいい大人なんだから、珈琲じゃなくアルコールを出す店にでも行ってのんびり語り合えれば、あっという間にお付き合いに発展しそうなのに、なかなかその一歩が踏み出せずにいるようだ。

 今のところはお互いの接点がこの店だけなので、足繁く通ってきては、ほぼ指定席になっているカウンターで楽しそうに丁々発止のやり取りを繰り広げている。


 ここで俺がひとこと助言でもして背中を押せば話が早いのかもしれない。だが、今のところその予定はない。

 いい大人がもじもじと密かに(と、本人達は思っているようだ)純愛している姿を眺めているのはなかなか楽しいものだし、ふたりがうまくいって常連客がふたり同時に減ったら確実に減収に繋がってしまうからだ。


「ねえ、マスターは本当につき合っている人いないの?」


 若い女性の婚活に対するお互いの意見の摺り合わせに一段落ついたようで、加奈子さんが俺に話しかけてきた。


「いませんよ」

「背も高いし、もてそうなのになー。惚れてる女はいないのか?」

「……いませんね。それに身長じゃ女は釣れません。俺みたいな自営業者より、安定してる田代さんの方がもてるんじゃないですか?」

「な、俺はもてないぞ。――もてないからな!」

「……なんで、わざわざ私に向かって宣言するのよ」


 変な人、とそっぽを向いた加奈子さんの耳がうっすら赤くなっている。

 それを見た田代さんの口元がだらしなく緩んだ。


 どうやらこのふたり、俺の知らないうちに少しだけ進展があったらしい。

 これからはこの手のむず痒いやりとりを間近で見せられることになるわけか。

 色恋沙汰がご無沙汰な身としては羨ましい限りだ。



     ◇  ◆  ◇



――惚れてる女はいないのか?


 そう聞かれてすぐに脳裏に浮かんだのは、俺が中学三年の頃に隣人だった少女の笑顔だ。

 二歳年上なのに考えなしの直情型で甘えたがりで、鬱陶しいぐらいにつきまとってきたくせに、たった半年しか側にいてくれなかった女の子。


 あの子のことを知る幼馴染みから、彼女に恋愛感情を抱いていたのかと聞かれたことがあったが、俺は答えを返せなかった。


 中学生にとって二歳の年の差は大きい。

 こちらがどう思っていても向こうは弟ぐらいにしか思ってくれないだろうと、無意識のうちに予防線を張っていたような気がする。

 だからあれはまだ恋じゃなかった。

 恋になる前の、種からぴょこんと顔を出したばかりで、まだ種の殻をかぶったままの芽のようなものだった。

 あのまま順調に時が流れていれば、にょきにょきと成長することもあったのかもしれない。

 だが、彼女を失ったとき、その芽も成長を止めた。


 あれから十年以上の時が流れた。

 大学時代から今までに至るまで俺にだって何度か恋人がいたこともあったが、どうやらその恋は一年草だったようであっという間に散ってしまった。

 それなのに、彼女が残した芽はいまだに俺の中に残っている。

 実にしぶとい。というか、しつこい。

 まるで、かつて俺にしつこくつきまとっていた彼女のようだ。



 育つこともなく枯れることも無いこの芽は、順調に育っていれば、大地にしっかりと根を張って大きく枝葉を広げる立派な木になっていたんじゃないだろうか?



 心の中にしぶとく居座る芽を意識するたび、もしも彼女がずっと俺の側にいてくれたらどうなっていただろうかと想像してしまう。


 きっと俺の人生は大きく変わっていた筈だ。

 この家で喫茶店を経営することはなかっただろうし、もっと賑やかでもっと慌ただしい日々を送っていたような気がする。



 あのまま順調に時が流れ、彼女と共に成長して大人になっていく自分。

 大人になった彼女と手を取り合い、共に生きる人生。



 俺は、有り得るはずの無い、失われた過去と未来を夢みる。


 虚しい行為だとわかってる。

 忘れろと親友は言うけれど、あの芽が心の中にしぶとく居座る限り、きっと俺は忘れられない。


 そして、残酷で幸せな夢を見つづけるのだ。

読んでくださってありがとうございます。

次話は過去に戻って、主人公が中学生だった頃のお話になります。

週一ぐらいの、のんびりペースで続けて行く予定です。

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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