鵜飼さんは喋らない
翌日。水曜日。明日は鵜飼さんと一緒に初仕事だ。
ちょっと世界が明るいような気がする。
昼放課に一緒に雨宮とご飯を食べている。とはいうものの、適当な菓子パンだ。お弁当作るのだって面倒だ。詠子はぶつくさ言うが、これだけは無理。早起きしないといけないし、学校の遠い今以上に早起きはしたくない。今でさえ六時くらいに起きているのだ。これが弁当作るとなれば、朝五時起きだって視野に入れないといけない。
無理だ。無理。
それでも詠子は美容云々とうるさいが、俺が作らなければ話にならない。俺が起きれないとなれば、詠子が起こすのか? というと詠子は黙る。目覚ましをかければ五月蠅いと怒鳴り込んでくる詠子だ。目覚まし作戦は最初からない。
という事で昼飯は簡単にパンで済ませている。
目の前の雨宮はゴツイ弁当箱にぎっしりとおかずとご飯が詰まっている。
曰く、野球部はたくさん食べないといけないらしい。家に帰っても丼三杯食べないといけないらしい。食育がどうとか言っていた。あまり詳しい事は分からない。
「どうだった? やっぱり抜けてきたのか?」
雨宮がそう尋ねてきた。
「何の話?」
「図書委員だよ。別にやらなくてもいいらしいからな。抜けたんだろ?」
「アホ。マッチョ先生に俺は暇だってばれてるだろうが。俺が図書委員の仕事サボったらお前だって何言われたか……」
雨宮はそこまで気づいていなかったのか、顔を青くしていた。
いや、それだけじゃないど。
俺は一人でご飯を食べている鵜飼さんを見た。今のところ鵜飼さんが楽しそうに話している所を見た事が無い。ずっと本を読んでいる。ご飯を食べながらでもお構いなしだ。それ故に誰も話しかけないし、話しかけるなオーラが出ている。
「ま、明日は俺図書委員の仕事だし。お前も国語係頑張れよ」
「やる事ないけどな」
二人してハハハッと笑い、他愛なく食事が進んでいく。
さらに翌日。木曜日。
面倒な授業を適当に聞き流して、昼飯をとる。
休憩が終われば、午後の授業だ。これも聞き流す。ていうかよく分かんない。テストはいつもギリギリだし、必要になったら勉強する。テスト前だけ勉強だ。いつも勉強している奴らには頭が下がる思いだ。
授業が終わると一足早く雨宮が運動場に駈け出して行った。俺もゆっくりと立ち上がって、鵜飼さんの席を見た。
「はやっ……!」
もう鵜飼さんは移動しているみたいだった。気づかなかった。
俺も教室から出て行って、図書室に向かう。同じく北棟にあるので、図書室に行くにはこの校舎を上るだけでいい。
キュッキュッと床と上靴が擦れる音が心地いい。階段を上りきると、本の匂いが仄かに香ってきた。この匂いは嫌いじゃない。詠子の部屋に似ている。家にいるみたいで安心する。あの女はバカなのに、調子こいて本なんて読んでやがる。それも大量にだ。俺は結構買出しに行かされる。
そんな事を考えながら、図書室の門をくぐった。
中には少しまばらにだが人がいた。本を読んでいるにか、勉強しているのかはよく分からない。
すると横合いのカウンターから佐々田さんの声がかかった。
「来たわね。仕事の説明するからこっちに来てちょうだい」
佐々田さんはポンと鵜飼さんの肩をたたいて、こっちに来た。鵜飼さんも同じくこちらに来ている。
佐々田さんは本がたくさん積んであるカートを引っ張ってきた。
「真琴ちゃんは去年もやってくれたから分かってるわよね」
鵜飼さんは頷いて肯定する。本当にしゃべらないな。
「基本は三つ。受付。本の整理。後は修理。……本の整理は三谷君にやってもらおうかな。これだけあるし、慣れてもらうにはやってもらうに越したことはないし。とりあえず、このカートの本を整理してきて。終わったらカウンターに座っていていいわよ」
佐々田さんは鵜飼さんと一緒にカウンターに戻って行ってしまった。
終わったら鵜飼さんと一緒のカウンターにいていいだと? フッ。やる気になった。
心の中でガッツポーズしながら、早速作業に取り掛かった。
カートを移動させながら、一冊の本を手に取った。
「み-H-137?」
組み分けを見ると、結構面倒そうだ。カートを見ると三十冊くらいはあるし、慣れていないと時間がかかりそうだ。
「み、み、み……あった」
みの段を見つけると、次はHの段だ。アルファベット順で並んでいるので、みの段さえ見つければそう難しくない。
あとは数字の通りに並べて行って、ようやく一冊目が終わった。
「ふむ……」
何となくわかった気がする。
みの段は小説が多い。ここら辺はそういうのが多いな。
俺はコツを掴んだのかもしれない。しかしやる事は単純だから、コツもくそもないな。そこからはゆっくりとたが、棚の配置を覚えながら順調に本を整理していった。
三十分くらいで全部終わって、ようやくカウンターへと戻った。
中には残り一つになった椅子があった。佐々田さんは図書準備室に行って何か仕事をしている。
つまりここには俺と鵜飼さんしかいないのか。
俺はゆっくりと席について、ゆっくりとした。
鵜飼さんは何か本を読んでいて、俺に気付いていない。
何しようか。やる事ないな。あの修理というやつもやり方知らないし、どうやら鵜飼さんがすべてやってしまったみたいだ。カウンターに何冊か置いてある。
あれは、片づけなくていいのかな。でも、鵜飼さんも何も言わないし。勝手に行動したら怒られるのは俺だ。それは避けたい。鵜飼さんに残念には思われたくない。
しかし鵜飼さんはそんなことは考えていなかったみたいだ。
ノートを取り出して、また筆談しようとしている。
『これも片づけてください』
鵜飼さんは指で自分が修理した本を指し示すと、重そうに俺に渡してきた。
なるほど。
佐々田さんは俺一人に片づけをさせたのではなく、あまり鵜飼さんには向いていない仕事だからこそ、俺にこの仕事を振ったのだ。
適材適所。
鵜飼さんの直した本の帯に着いた名札はきれいに整っていた。
先ほどまでこれを見ていたから分かるが、さっきの本たちの名札よりきれいだ。
俺は本たちを受け取って、カートに乗せた。さっきと同じように小説コーナーに行って整理していると、後ろに気配を感じた。
振り返ると鵜飼さんがいた。
えっと。なんだろう。ミスったかな。
「どうしたの?」
俺がそういうと、鵜飼さんはカートの本を数冊手に取って整理し始めた。どうやら手伝ってくれるみたいだ。有難い。鵜飼さんの手さばきは俺より数段早かった。流石に年季が違うか。
俺も負けないように頑張っていると、あっという間に鵜飼さんとの共同作業は終わってしまった。なんかエロイ表現になってしまった。
鵜飼さんは俺に一礼すると、そのままカウンターに戻っていった。
なにあれ。可愛いんですけど。
でも。また声聞けなかったな。
俺はカートを押しながらカウンターに向かい、鵜飼さんの隣に座った。
鵜飼さんの声は、最初の「……ぁぃ」以来聞いていない。
聞きたい。
あの可憐で、淫靡な声を聴きたい。
さっきのはチャンスだった。
小声で話しかければよかった。
でもな、鵜飼さんは図書館で話すのをあまり好んでいない。今まではほぼ全て筆談で済ませようとしている。最初の「……ぁぃ」だって事故に近いものだ。
うーん。聞きたいな。
俺はチラリと鵜飼さんの横顔を見る。
うん。全然いいな。声なんか聴けなくても、横顔を見てるだけでも俺は満足している。詠子なんかとは違って、この静かな空間は俺を癒してくれる。
鵜飼さんがそこに座っているだけで、俺の精神が回復しているのだ。
あの面倒な女にかかわらず、こうして座っているだけでいい。ここにいるだけで帰るのは遅くなり、奴は空腹に苛立つ。すでに復讐と言っていいのだ。
でもそんな事ではなく、俺は鵜飼さんの声が聴きたい。
聞きたい、聞きたい、聞きたい。
でも鵜飼さんはなかなか喋ってくれない。
もういっそ話すのでもなく「……ぁぃ」でもいい。むしろそれだけで良い。俺は鵜飼さんの声が聴きたい。聞きたくて大声をあげて、鵜飼さんの注意を引こうか。
でもここ図書室だし。大声あげたら迷惑だろう。
そんな事は小心者の俺にはできない。
鵜飼さんに話しかけるななんてもっとできない。
「あの、これ……」
「え、ああ、はい」
一人貸出口に本を持ってきた。
くそ。鵜飼さんが話しかけてくれたのかと思った。ぬか喜びさせやがって。
でも、あからさまに男子の声だったから、一瞬で落胆したけどさ。鵜飼さんじゃないわ、これ。みたいな感じ。
図書カードを受け取り、判子を押す。これだけでいいはずだ。隣の鵜飼さんも見ているが、特に何も言わない
図書カードを渡すと、男子生徒はそのまま本をもってどこかに行ってしまった。どこかっているより、図書室を出て行っただけだ。
するとまた生徒が来た。
次は、鵜飼さんが対応するようだ。
「……」
何も言わない。
鵜飼さんは喋らない。
黙って図書カードを受けとり、黙って判子を押し、黙ってカードを返す。
相手も不審がらず、普通に対応していた。
確かに、図書室だから喋らないくらいがちょうどいいが、クソ。チャンスだったのに。これじゃ、もうダメなのは明らかだ。鵜飼さんは受付程度の業務では喋らない。
俺は鵜飼さんの仕事ぶりを見ながら、どうやったら鵜飼さんが口を開くか考えた。
取りあえず、このままずっと鵜飼さんを直視するわけにはいかない。流石に怪しまれてしまう。俺は適当な本を一冊とってきた。俺は読んでいる振りをして、目線だけは鵜飼さんに向けた。綺麗だ。癒される。詠子との面倒な時間を忘れて、俺の心全てが癒されるようだ。
壁に掛けられている時計がカチコチとなるだけでも、何故か印象的な風景となる。
それから何分か過ごしていると、後ろから声がかかる。
「今日はもういいわよ。他の生徒もいないし。帰っていいわ」
新たに本を取り出そうとしていた鵜飼さんを佐々田さんがとめて、再度帰っていいとの旨を伝える。扱い慣れているなと思った。
鵜飼さんは本をしまうと、カウンターから出て行ってしまった。
あぁ。結局今日は鵜飼さんの声を聞くとこはできなかった。残念だ。でも俺の世界は色づき始めた。
鵜飼さんの声を聴くために、俺は生き続ける。
言い過ぎか。
それから俺はあらゆる手を使って、鵜飼さんの声や「……ぁぃ」を聴こうとした。勿論、教室内では声をかける勇気はない。ずっと本を読んでいるし、流石に声をかけるのは憚られる。
ある時は手伝ってくれた鵜飼さんにお礼を言って、「どういたしまして」の言葉を頂戴しようとしたが、頭を下げるだけで終わった。くそ。この程度ではだめか。
ある時はあいさつ。頭を下げるだけで終わる。
ある時。
ある時。
ある時。
だめ。全部だめ。
今は、最初の仕事から三週間を経とうとしていた。俺は本を読んでいるふりをして、鵜飼さんを見ている。
しかしずっと直視していると、流石にまずい気がする。なので、ここにたくさんある本をもってきて、読んでいるフリをしながら、鵜飼さんの横顔を見る。盗み見る。
まぁ、でもずっと見ているわけではない。
これだけ図書室にいるんだ。本の一つや二つ、読むようになった。
鵜飼さんを見ようとしていたら、いつの間にか本を読むのに夢中になっていたのは何回か。
図書室の対応をしながら、鵜飼さんの「……ぁぃ」を聴く機会を窺っているのだが、全然そんなチャンスは廻ってこなかった。
そうなれば見つめるしかないだろう。鵜飼さんの集中力は異常だ。まるで何も聞こえていないかのように、振る舞っている。一度本を読みだすとなかなか元の世界に戻ってこない。本の世界に没入しているのだ。
どうしようか。
もう話しかけるしかない。
俺は「……ぁぃ」が聞きたい。
あの声をもう三週間も聞いていない。
俺は鵜飼さん成分が全く足りていない。足りなさ過ぎて、授業中見まくっていたら先生に注意されるほどだ。数学の時にそんなことが起きて、かなりのとばっちりを受けた。
そういえば。鵜飼さんはなかなか授業中に当てられない。授業中なら鵜飼さんも喋らざるを得ないだろうと高を括っていたが、そんな事はなかった。根本的に喋る機会がない。糞。先生。なにやってるんだよ。ちゃんと鵜飼さんも当てるべきだと思います。
でもなぁ。
皆にあのきれいな声が聴かれると思うと、何かやきもきするものがある。
独占欲だろうか。別に俺のものでもないのだけれど。
話しかけたら鵜飼さんとてその小さなお口を開くしかないだろう。「……ぁぃ」を言うしかない。そうに違いない。
それとも佐々田さんみたいに鵜飼さんに抱き付いて、ビックリさせようか。……出来るわけないだろ。それが出来るなら、最初から話しかけているわ。
そんなこんなを考えていると、佐々田さんが図書準備室から出てきた。
「もう五時だから帰っていいわよ。ご苦労様」
図書委員の仕事は原則五時までらしい。俺は時計を見ると確かに五時になっていた。
佐々田さんはそのまま準備室に引っこんでいった。図書室を見れば、もう俺たち二人以外には居ない。
話しかけるべきか。
どうする。どうするべきなんだ。
いや、話しかけるべきだろう。今ならだれにも迷惑がかからない。他の生徒はいないし、佐々田さんも隣の部屋だ。ちょっと大きな声を出したって、迷惑だとは言われないだろう。
やばい。鵜飼さんがもう立ち上がって図書室を出ようとしている。
どうする、三谷潤。これが最後のチャンスかもしれないぞ。もう誰も居ないという事が無いかもしれない。
あぁ。出て行っちゃう。鵜飼さん。待って。ちょっと待って。
覚悟。覚悟だ。大丈夫。流石に大声はまずいが。図書室にしては大きめの声を出すだけ。佐々田さんにも聞こえないくらいの声だ。でも鵜飼さんには届く。そんな声量で話しかけろ。
行け。やれ。出来るぞ。いっせーのーで。
「う、鵜飼さん……!」
やった。話しかけたぞ。
あれ。でも。何を話そう。考えてなかった。俺のばか。何やってるんだ。普通何話すか内容位考えておくもんじゃないのか。アホ。間抜け。
そうだ。当の鵜飼さんの様子だ。
「え……?」
鵜飼さんは何の反応を示すこともなく、そのまま図書室から出て行ってしまった。
「あれ……?」
聞こえなかったのかな? いや、でも結構な声を出したよな。軽くどもったけど。噛んだけどさ。鵜飼さんって発音したよね。
あれ。うそ。無視されたの。
なんで。意味が分からない。
あれか。俺がキモイからか。そうだな。俺がキモイから鵜飼さんは無視したんだ。
鵜飼さんみたいなきれいな人に話しかけることは許されなかったのだ。そのことに気付かず、ノコノコ喋りかけた恥知らず。なんて恥ずかしい奴なんだ。
恥を知れ。
俺なんて何も持っていない人間が、鵜飼さんと会話できるわけがないだろ。鵜飼さんはどう見たって美少女で、俺なんかが話しかけていい次元じゃない。
話しかけていいのは一部のイケメンと一芸に秀でた奴だけだ。
そういうので言うなら雨宮なんてうってつけだ。あいつ野球上手いし。むしろ俺以外なら鵜飼さんに話しかける事が出来る権利を有しているのではないだろうか。
鵜飼さんもそのあたりを理解して俺なんかとは会話しなかったに違いない。
俺はフラフラしながら、鵜飼さんの出て行った出口をくぐった。
最上階からヨタヨタと下りていく。窓からチャラチャラしたサッカー部が球を追いかけまわしていた。それでも一芸があるのだからいい。
俺なんて学校では何もせず、怠惰に過ごすばかりの人間だ。
鵜飼さんのように積極的に図書委員になったわけでもなく、適当な心構えで事に臨んでいた。アホだ。
俺は一階にたどり着くと、下駄箱で外靴に履き替えた。
駐輪所へと赴き、荷物を載せるとキコキコとペダルをこぎ始めた。
ゆっくりと進む自転車で駅への道を突き進む。いつもの倍の時間をかけて駅まで移動すると、抜け殻のように自転車を駐輪所に置いた。
定期を使って改札口を通り、ホームまで下りるとちょうどよく電車が到着した。すごい勢いで通り過ぎる。俺はこれに飛び込んだらどうなるのかな、何てことを思ってしまった。
アホ。そんなことしたら死ぬわ。死ぬのはさすがにない。
俺は帰宅ラッシュになりかけている電車に乗り込んで、おっさんと密着状態になった。キモイ。
いや、ごめんなさい。鵜飼さんにキモがられる俺の方がキモイですよね。えぇ。分かっています。
電車に揺られること一時間。こんな事を考えながらずっと過ごしていたのだった。
玄関を開けて二階への階段を上る。
いつもだったらご飯を作る用意でもするのだが、生憎そんな気分ではない。
それでも我が姉、詠子は空気を読まずベッドの上でうずくまる俺を叱咤した。
「ご飯は!? 何してるの早く作ってよ!!」
このヒステリー女。少し黙れ。
「……今日はご飯なし」
「はぁ!? 何言ってんの、早く作りなさいよ!」
「……今日はご飯なし」
「だから――!」
「……今日はご飯なし」
流石にいう事が変わらない俺に対して、詠子も何か変だと思ったようで、部屋の中を数歩下がった。気味悪がっている。実の姉ですらこれだ。他人となれば気持ち悪がられるだろう。
「金。外で食ってくる。寄越せ」
糞女が。
俺はうつ伏せのままリュックまで手を伸ばして、中を探った。感覚を頼りに財布を探り当てると、そのまま札を数枚握りこんで、床に放り投げた。
千円札数枚が部屋の中を舞って、異様な風景がそこにはあった。
「……何キレてんだよ」
「……さっさと飯食って来いよ」
俺がそれだけ言うと、詠子は金を拾わず、そのまま部屋を出て行った。床に落ちた金を拾うのはプライドが許さなかったのか。違う事か。分かりはしない。所詮は他人なのだ。
況や、鵜飼さんの事など分かるはずもない。
そう、俺はショックだったのだ。
人に無視される。完璧に。それも過不足なく。完全に無視された。こんな経験はそうはなかったように思える。
それが少し気になっている人物だったなら、なおさらだろう。
キモイからなのか。俺がキモイから、鵜飼さんは無視したのだろうか。
聞こえなかったという事はないのか。でも、さすがにそれはない。鵜飼さんに話しかけたときは、図書室にしては割と大きな声を出した。これが聞こえないというのはないだろう。
やはり、俺に何らかの理由があって鵜飼さんがそれを不快に思ったのだ。
故に、俺は無視された。
なんだ。
何を気持悪いと思ったのだろうか。教えてほしい。存在自体とかいうの話だ。流石にそれは不可能に近い。死亡宣告だ。
俺の行動。これに何かが隠されている気がする。
俺の行動。例えば、鵜飼さんの声を聴こうとしたことだろうか。しかしそんなのは分からないだろう。俺の行動など、所詮は挨拶や礼儀の範疇であり、何かしらの行動原理が見いだせるものではない。
そう、俺の行動はほぼ全て鵜飼さんの声を聴こうとしたものだ。
待て。
違うだろ。
一つだけ、俺の心を癒すという名目でやっていた行動がある。
観察だ。
監視、凝視、視姦ともいうか。
しまった……!
ばれていたのか。そんな馬鹿な。鵜飼さんが俺を見ていた瞬間などありはしなかったはずだ。鵜飼さんの視線はほぼ全て本に集中されていて、完全というべき集中力を注いでいたのだ。そんな鵜飼さんが俺の視線に気づくだろうか。しかし、見られているというのは存外気づきやすいのか。それとも、どこかしらで俺がミスをしていたのだろうか。
そうだ。そうに決まっている。
普通女の子をずっと観察するなんて言う暴挙はしない。
鵜飼さんはどこかで俺の行動に気付いてしまったのだ。やばい。やばすぎる。これでは、もう。
そうだろう。キモすぎだ。しかし、何故鵜飼さんも俺に対して「気持ち悪いので、やめてください」と言う旨を伝えなかったのだろうか。いや、そんな事を言われたら学校を数日間は休む自信があるが。逆に鵜飼さんの声を聴けるから、ギリギリアリという考え方もあるだろう。罵倒されるのもありという考え方もあるそうだが、鵜飼さんの口からそれを聴くのはさすがにきつい。
鵜飼さんは俺に対してそう言う事は言わなかった。言えなかったのだろうか。
その線もある。鵜飼さんは積極的な性格ではないような気がするし、自分から話しかけるような性格でもない。
鵜飼さんが何も言わなくても、何かしら俺に悪感情を抱いていた可能性はあるのだ。
しかし、本当に気づいていたのだろうか?
いや、俺は確信できる。鵜飼さん観察検定一級の俺がそういうのだ。鵜飼さんは俺の視線に気づいていなかった。何かに感づいたという挙動すら無いというのはおかしい。俺は読書中の鵜飼さんのみを狙い撃ちして、横顔を観察していた。
人の視界は百八十度あるが、目の前の六十度しか認識できていない。それ以外は適当な感じでしか、視認していないのだ。運転免許でそんな風なことを言われるらしい。詠子が得意げに話していたのを覚えている。細部は違うかもしれないが。兎に角、視界の端程度にしかいない俺に対して、本に集中する鵜飼さんが俺の視線に気づくというのは生物学的にありえない。鵜飼さんの読書中の集中力は並大抵ではない。俺の暗殺者のごとき視線を気づく事はできない。
つまり不可能なのだ。
鵜飼さんは結局のところ、俺の視線以外の理由で俺を無視したことになる。
それはつまり。
「俺は、キモイ……!」
最終的な結論が出たことで、俺は頭を抱えた。
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
絶叫が三谷家に響き渡った。




