鵜飼さんの気持ち
翌日。
昨日は詠子のこってりと怒られ、なじられ、制裁された。
私より抜け駆けしやがって、というのが本文だ。
思う存分俺の事を殴ると、詠子は自室に引きこもり、それ以来姿を見ていない。
俺はいつも通り学校に行くべく駅に向かった。
いつもと違うのは、駅に見知った顔の女の子がいたことだ。
「……鵜飼さん?」
「ぉあよう」
鵜飼さんが普通に居た。
あれ。俺ワープでもしたのか。
後ろを見てもいつも通りの景色だ。俺の住む町。いつもと変わらず田舎っぽい。
何でこんな所に居るのかと聞こうとしたら、先にタブレットを出された。
『ピクニックに行こう』
「はぇ?」
訳がわからず、思わず変な声が出てしまうほどだ。
ピクニックっていうか、鵜飼さんは普通に制服だけど。俺もだが。
しかし手荷物はちょっと違う。
何か大き目のカバンを持っていた。手提げかばんで、今は肩に掛けている。
それよりも。
「が、学校は?」
「ぁぼり」
指文字で簡単に告げてもらった。
『さぼり』だそうだ。
「ぅーん」
いいのか。そんな事して。でも別に、テストも終わったし、あとは消化試合みたいなものだ。月曜日の一日くらい休んでもいいだろう。
可哀想なのは、今日は図書委員の仕事があるくらいだ。
佐々田さんが忙しそうにする姿が目に見えるようだ。
学校のずる休みか。した事なかったな。意外にしづらい。
まぁ、一日くらいいいだろう。うん。いいよ。別に。明日雨宮にノート見せてもらおう。
「じゃ、行こうか」
俺は荷物もそのままに行くことを決意。
鵜飼さんは俺の決意に賞賛を送り、切符を購入する。
俺も同じ値段のものを買うが、どこに行くのか。
改札口を抜けて、ホームで待つ。
学校とは反対方向だ。
「どこまで?」
「ゆぅてん」
融点?
いや、違う。終点だ。最後まで行くのか。
かなり田舎になるだろう。
歩くだけなら事欠かない場所だ。
確かに山道がたくさんあったはずだ。
観光スポットにもなっている。お客さんは少なからずいるだろう。
制服でいいのか、なんて思ったが、もう今更だ。
電車が来たので乗り込む。
いつもと違ってすいている。学校はいつも通りの方向に多いから、学生の分込み合っていなかった。
席について、カバンを抱える。鵜飼さんも同じような格好で座った。
終点まではそうかからない。ニ十分くらいか。そうでもないか。
そのピクニックコースは俺も行ったことがある。小さいころの記憶だが、町が一望できたはずだ。
電車の中では静かにと思っていたが、人が少なくなると昨日のことを謝った。
「なんかごめんね。昨日は」
そう言うと、鵜飼さんはあたふたし始めて、謝り合戦になった。
「ぃ、ぃや、こっちぉそ」
「悪いのはこっちだって。詠子が来たから……」
今思ってもあいつのせいだ。
鵜飼さんがどう思ったのかは聞けないが、あいつが来なかったらもう少し遊んでいられたの意。結局昨日は、三時くらいに帰る羽目になってしまった。
「れ、ぇも、こっちが、あってに……」
正直何て言ってるか分からないが、一応謝る。
「ごめん」
「わたしぁ……」
もう不毛だ。
ここで終わりにしよう。
俺たちはもう謝るのをやめて、少しずつ多くなる緑に目を移した。
植林ではなく、自然に山とか田畑が多くなってきている。
そうして、何分かすると終点の駅に着いた。
駅員さんからは不審な目で見られたが、別に普通という風に振る舞い、何とか駅から出ることができた。
何と言い訳すればよかったのだろうか。思いつかない。
「ピクニックか……。久しぶりだ……」
その一言で俺は歩き始め、鵜飼さんも並んで歩き始めた。
ピクニックといっても軽い登山だ。
標高200mもないが、それでも一時間くらいは歩く。そういうコースだ。
入口に入る前に駐車場があったが、平日でも割と車があった。
何人か先にこの道を行ったようだった。
「俺たちも行こうか」
なんでこんな事しているのか分からないが、ここまで来たのなら仕方がない。
緑に囲まれた道を歩き、なだらかな坂をゆっくりと歩く。
俺たちは少し話しながら歩く。
普通だろうか。
しかしこれが難しいから、結構無言になったりする。
「ピクニックなんてして良かったのか……」
当然悪いが。
「ぁぃじょぶ……。だと、おもぅ」
明日佐々田さんや雨宮に何か言われるかもしれない。
「お母さんはこの事知ってるの?」
鳥がさえずる中を俺たちは歩き続ける。緑が心地いい。
「ぅん。ぃちぉぅ」
何故許した。
普通に学校行ってきなさい、なんて言うと思うのだが。
いいけどさ。
歩きながらでは危ないし、会話も途切れてしまった。
鵜飼さんは基本読唇も使いつつ、会話をしている。
故に、俺は鵜飼さんの方を向いていなければならないのだが、これはずっとそうしていなければならない訳だ。すると前方不注意となり、それなりに危ない。
鵜飼さんも俺を見上げる格好となって、それなりにドキッとする。ではなく。下を見ることができないから、俺より危ない。
涼やかな風や、木漏れ日の中を歩く。
綺麗だ。
小学生とかだったらわいわいと登るのだろうが、落ち着きが身についたのか、周りの風景を楽しむ余裕がある。
小さな川に差し掛かり、そこに架かる橋を渡る。
結構頑丈なつくりだ。
人もたくさん来るし、適当な作りではだめだろう。
そんなこんなしていると、鵜飼さんの荷物に目が行った。
うん。
持った方がいいかな。
今更だが。
「持とうか?」
鵜飼さんは若干迷ったようだが、『落とさない』と手話で言うと、俺に荷物を渡した。
中はバスケットが入っていた。
「お昼ご飯?」
「そ」
これは。
なんと。
恐らく、いや、確実に、手作りだ。
サンドイッチだろうか。
何でもいいが。
食べるし。
食べまくるし。
俺は自分の荷物と鵜飼さんの手作りお昼ご飯を持って、頂上を目指した。
ゆっくり歩いたからか、かなり時間がかかった。一時間半くらいか。
移動を含めれば、二時間はかかっていてもおかしくはない。
中々疲れた。
風景を楽しんでいたし、鵜飼さんとも少しは話していたからそこまででもないが、達成感はある程度ある。
一番上まで来たぞという感じ。
鵜飼さんも大きく息を吐いて、吸う。何回かその行為を行い、鵜飼さんは先にある柵まで移動した。
そこからはさらに開けた光景が目に飛び込んできた。平地だからこそかなり遠くまで見渡すことができて、開放感が俺の胸を満たした。
気分がいい。
颯爽と駆け抜ける風も気持ちがいい。風が隣の鵜飼さんの髪の毛もさらさらと撫でている。
俺はあたりを見渡す。
何人かここにいるようだ。
老人から若いカップル、小さな親子連れ。老若男女が揃っていた。
子供が広場を走り回り、それを微笑ましく見ている。
何となくする事がなくて、俺もそれを見ていた。
鵜飼さんは遠くの景色を眺めている。俺と鵜飼さんはやっていることは違うのだが、不思議と悪い感じはしない。鵜飼さんも目線を子供に直し、フッと表情が和らいだ。
俺はこの広場を見る。特に目新しい物はない。
アスレチックがあるわけでもない。特に歴史的に珍しい物があるわけでもない。それでも景色がいいので、ここに来る人は多い。整備されているというのも大きいだろう。
故に、景色を見るとやることが無くなってしまうのだ。
俺は芸術とか、そういうのは分からない。
確かにきれいだとは思ったのだが、あぁ綺麗だな、位だ。
やることがない。
周りを見ても特に何かするでもなく、座って喋っているとかそういうのだ。帰っていく人もいる。
しかしまだ帰れないだろう。
俺が持っているこのお昼ごはん。
「まだ……」
これを食べるまでは帰らない。
もういいかな。
ちょっと早いけど、少しお腹もすいたし。一時間も歩いたらさすがにお腹もすく。
「鵜飼さん、これ食べていい?」
しかし鵜飼さんは反応しない。
あぁ。この風か。
雑音として補聴器がこの音を増幅して、俺の言葉を遮ったのだ。
俺は鵜飼さんの肩をたたいて、もう一度同じことを言った。
鵜飼さんは思ったより早いお昼ごはんだと思ったようだった。
しかし俺の懇願によって、若干早いお昼ご飯となる。
ベンチまで移動して、腰かけた。俺が持つカバンの中を鵜飼さんに渡す。
「ぁぃ、どぅぉ」
鵜飼さんはバスケットの蓋を開けた。
「おぉ……!」
この感動の声が鵜飼さんに届いただろうか。
サンドイッチではなく、たくさんのおかずが入ったお弁当だった。
おにぎりから、卵焼き、唐揚げ、ミニハンバーグ、等など。若干精神年齢低めだったが、それでも定番おかずという物がひしめいていた。
鵜飼さんは俺に割り箸を渡す。
お礼を言うと、手を合わせて「いただきます」と言って、卵焼きからもらった。
「……おいしい」
見た目が良いので心配はしていなかったが、甘めの味付けの卵焼きの味が口いっぱいに広がる。
おいしいよ。感動だよ。まさか、鵜飼さんの手作りお弁当が食べれるなんて。
「ぉぅ……?」
心配そうに鵜飼さんが俺の顔を覗き込んできた。さっきのおいしいという言葉は聞こえていなかったようだ。
俺は手話で『おいしい』と告げる。
それを見て、鵜飼さんも卵焼きを口に運んだ。
モグモグと食べているのを見ながら、唐揚げも食べる。おいしい。濃いめの味が冷めてもおいしく仕上がっていた。
俺と鵜飼さんは景色を見つつ、たどたどしく喋りながらゆっくりとお弁当を食べた。
周りの人たちも俺達が食べているのを見て触発されたのか、食事を始めている。
まだ十時くらいだが、ここにいる全員は早いお昼ご飯となった。
おにぎりを食べつつ、鵜飼さんがお茶を注いでくれた。
「あ、ありがとう」
「ぃぇぃぇ」
用意がいいことで、お茶ももらってしまった。
自前のもあるのだが、粗相だろう。
ぐいっと一口で飲んで、ふぅと息を吐く。
口の中をリセットした所で、俺はまたお弁当に手を伸ばす。流石に二人では多いかと思われたが、ゆっくり食べているし、時間制限でもあるわけではない。
時折、柵のほうまで行って風景を見つつ食休みをする。
隣にいる鵜飼さんを見て、突然昨日のことを思い出した。
何となく、悪い感じがして謝る。
「昨日はごめんね?」
「……?」
風め。
鵜飼さんがこっちを向いて、読唇でもしないと聞き取ることはできないようだ。二回も謝るのは変だと思って、モヤモヤする気持ちを抑え込みまたベンチに戻った。
少し休憩をはさめば、お腹も少しはすく。
結局一時間くらいかけて、二人でお弁当を食べきった。
「ごちそうさま」
「ぉそまぅさまぇぅ」
鵜飼さんはあと片付けをしながら、俺の言葉に返答する。
特にやる事も無くなってしまったなぁ。
ぼんやりと空を眺める。
今頃、皆授業中だ。
何か悪いという思いが胸の内にこみ上げてきた。意外に小心者だったようだ。
鵜飼さんがカバンの中にバスケットや水筒をしまう。
「どうしようか……」
後ろを見るとまたここに人が来たみたいだ。
さっきからお昼頃になるにつれて、人が増え始めている。
俺たちの制服姿を見て、ギョッとしているが、別に何を言うでもない。心の中では何を思っているかは分からないが。
ベンチを占有しているわけにもいかないだろうか。
地面が汚いという事でもないが、何もしていないのにずっと座っているのも憚られる。
やることもないし、帰るかな。
俺が立ち上がって、帰ろうとした時、鵜飼さんが俺の袖をつかんだ。
「鵜飼さん……?」
鵜飼さんは何も言わず、下を向く。
えっと。
どうしたんだろう。
俺はベンチに座りなおした。
「……っ」
鵜飼さんは何か言おうとするが、直前で思いとどまる。
俺は何を言おうとしているのか促す。
「どうしたの?」
お腹でも痛いのだろうか。
俺はきょろきょろと公衆トイレがある場所を確認しようとした。
しようとしたのだ。
でも、そんなのはどうでもよくなった。
「好き」
俺は振り返る。
「え……?」
風が強い。
聞き間違えだ。
「好き、三谷君が好き」
強いまなざしが、俺を貫く。
さっきから風が強すぎるんだよ。
鵜飼さんの言葉が、鮮明に聞こえているじゃないか。
こんなはっきり鵜飼さんは話せない。
「好き、です」
それっきり、鵜飼さんはうつむいてしまい、喋らなくなってしまった。
「あ、う、そ、え、っと」
何を言えばいいのか。
心臓が。
呼吸が。
世界が。
止まっているのでは?
もう、一周回って緊張が無くなっている。
訳が分からない。
えっと、何か言わなくちゃ。
「お、お、おれ、おれも……」
俺にうめき声は、強い風にかき消される。
あ。
だめ。
こんな小さな声じゃ、鵜飼さんに届いていない。
あぁ。こんな恥ずかしい事をすることになるなんて。
いつか、こんな事をするかも何て夢想した事はあった。
恥ずかしすぎて、やるなんて思っていなかった。
でもでもでも。今言わないと。
時間は残酷にも流れる。
俺の袖をつかんでいる鵜飼さんの手も震えているじゃないか。
それに、鵜飼さんからこんなことを言わせるなんて、俺はなんという。
いや、そんな事ではない。
今は。
俺は、鵜飼さんの手を振り払ってバッと立ち上がった。
鵜飼さんは座ったまま俺を見上げる。
「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
俺は大きく息を吸い込む。
やることは一つだ。
あぁ、どうにでもなってくれ。
「俺も! 鵜飼さんが、好きです!!」
絶叫だ。
咆哮だ。
雄叫びだ。
これなら風に負けず、鵜飼さんの補聴器に俺の声が届く。
周りにいる人は何事かと、俺たちの方を見ていた。
「俺も、鵜飼さんの事が好きでした!!」
すると、「いいぞ、兄ちゃん!」なんてヤジが飛んでくる。
恥ずかしいが、鵜飼さんの方が真っ赤だ。
「ぁ、や、やめ……」
「いいや、やめない! 好きです!! そりゃ、もう、猛烈に! あぁ、やべぇ。何言ってんだ。でも、本当だから!」
鵜飼さんはあわあわ手を動かす。
「聞こえない!? もう一回言った方がいいかな!?」
鵜飼さんはすぐに『大丈夫』と手話で返答する。
「そう? 大丈夫? 聞こえてる? 声聞きたいんだけど。鵜飼さんの声!」
そう。
俺は、それだけで。
それだけで、最初はあなたに近づいたわけで。
「ぅ、ぅん。らいぉうぶ。……ぁ、ぁりあとう」
あなたの声が聞きたくて。
うん。
やっぱり。
「鵜飼さんの声は、綺麗だ。とっても、綺麗。もちろん、見た目も可愛いよ」
大盤振る舞いだ。
「……っ!」
そうだよ。
なんでもいい。
その恥ずかしそうな顔も、黙って本を読んでいる姿でも。
なんでも。
俺は、あなたがいるだけで。
「帰ろっか」
「……ぅん」
俺たちは立ち上がった。
手をつなぐ。
初めてだ。
こんなもんだろう。
「最初なんて、声だったもんね……」
「……ぇ?」
「なんでもない」
俺と鵜飼さんは背後で冷やかされながら、また山道を行く。
その手は一度たりとも離れなかった。
これにて終わり




