6
目が覚め、時計を確認するといつも通りの時間だった。今日はちゃんと起きることができたようだ。
一階に下りると、エプロンを着けた白銀が朝食を作っていた。 母さんは席に着いてその様子をじっと観察している。
「おはようございます」
俺に気付いた白銀が挨拶をする。
「おはよう」
「もうすぐできるので顔でも洗ってきてください」
「分かった」
戻って来ると白銀は料理の仕上げに入っていた。母さんは変わらずに白銀の一挙手一投足を逃さず見ている。すごい集中力だ。下手をすれば俺が起きたことにすら気付いていないかもしれない。
「できました」
白銀がテーブルに置いたのは昨日も食べた母さんの得意料理。母さんが厳粛な面持ちで料理を食べ、
「うん。合格よ」
満面の笑みで告げた。母さんは料理にとてもうるさい。昨日もあの後にもう一回作り直していたぐらいだ。そんな母さんが認めたのだ。気になって俺も一口食べてみた。
「美味い」
思わず、というように感想が口をついて出た。
「白銀って料理できたんだな」
「ねー。これなら安心して我が家の厨房を任せられるわ」
「お粗末様です。一通りの家事はできますので気にせずにおっしゃってください」
「もうっ、そんなに畏まらなくてもいいのに」
そういえば母さんは昔、女の子もほしかったと言っていた。きっと白銀を本当に娘のように思っているんだろう。傍から見れば二人は本当の親子のように見えた。
「今日の予定はどうするんですか? 土日は練習が休みの筈ですが」
食事を終え、一息ついていると白銀が尋ねてきた。母さんは今、買い物に出かけている。
一ノ宮高校の弓道部は土日の練習は休みで、練習する場合は事前に部長か顧問に申し出ることになっている。
「そうだなー。できれば行きたいんだけど、あんまり外に行かない方がいいよな?」
「確かにそうですが問題ありません。私生活を含めて守ってこその護衛ですから」
なんとも頼もしい限りだ。ここはお言葉に甘えさせてもらおう。
「じゃあ、ちょっと準備してくる」
「あ、待ってください」
「どうした?」
「昨日渡したお守りを忘れないでください。あと、普段からなるべく身に付けるようにしてください」
「ん、わかった」
お守りをしっかりポケットに入れ、身支度を整えると玄関へ向かった。
「白銀って普段どういうことしてるんだ?」
学校へ行く道すがら気になったので尋ねてみた。
「特別なことはしていませんよ。強いて言うならたまにバイトをしていますね」
「バイト?」
「はい。私たち【神憑き】は地上で神とコンタクトがとれる唯一の存在ですから。たまにいろいろ頼まれるのです」
「へー。どういうことやってるんだ?」
「そうですね。突然変異で現れた魔物や罪を犯した【神憑き】の討伐。あとは暇つぶしの相手やお遣いを頼まれたりとか」
「例えば?」
「チェスとかゲームの相手をさせられたり、巷で流行っているものを買って来いだの、そこらの便利屋程度のことはやっていますね。地上から逆輸入してツイッターとか流行っているらしいですよ。私もいくつかフォローしています」
「マジで!?」
白銀の携帯を見せてもらうといくつかそれっぽい名前があった。
「これ、電波とかどうなってるんだ……?」
「そこは神ですから。神パワーでどうにかしたらしいです」
「なんか適当だなー……」
「神というのは大概そんなものです。よく言えば大物、悪く言えばアバウトですからね。精神異常者が【神憑き】になっている辺りで察してください」
「できれば穏便に済ませたいんだけどなぁ」
「まあ、無理でしょうね。彼女たちの目的は貴方に自分の愛を受け入れてもらうことですから。そこに損得勘定はなく、妥協もありません」
まったく、俺もとんでもないのに目をつけられたもんだ。
そういえば、と俺はもう一つ気になっていることを尋ねてみた。
「白銀はどんな神様に気に入られたんだ?」
「《彼》のことですか?」
白銀は大切な思い出を語るように少し表情を綻ばせた。
「《彼》は所謂お人好しです。打算などなく自分の身を挺して誰かを助ける。そんなお方です」
「なんか会ったことがあるような口振りだな」
イメージ的にはある日突然能力を使えるようになった、っていう感じだったんだが。
「ありますよ。ただ、直接会うのは珍しいケースですけど」
「やっぱりそう簡単には会えないのか」
「基本的に神はこの世界へ来ることが出来ません。様々な制約の下、短時間滞在するのが精々です。バイトも通信装置を使ってコンタクトをとっていますし。ただ、他に方法が無いわけではありません」
白銀は一度切り、ジッ、とこちらを見た。
その視線の意味がわからず、俺はただ困惑するばかりだ。
白銀は何事もなかったかのように続きを口にした。
「神は人間の子供に転生することで人間の寿命と同程度の時間を得ることが出来ます。その場合、能力をある程度失いますが、成長と共に本来の能力を取り戻していきます。とはいえ、それにしても滅多にありませんが」
「白銀はその神様に会ったってわけか……。そういえば、白銀はなんでその神様のことを《彼》って呼ぶんだ?」
「その神様の弱点はそのまま私たちの弱点になるからです。今の時代、ネットを使えればある程度の知識は手に入りますからね。だから、あまり名前を明かさないことにしているんです」
「へー。そういえば、昨日持ってた日本刀はどうしたんだ? いつの間にかなくなってたけど」
「あれですか。あの刀はもともと《彼》の持ち物なんです。《彼》の【神憑き】である私は自由に消したり取り出したりすることができるのです」
「便利なもんだな」
そうこうする内に学校へ到着した。
「私は近くで周囲を警戒しているので安心して練習に励んでください」
言い終えると白銀は風のように消えた。
「忍者みたいな奴だな」
白銀と別れ、弓道場へ向かうとそこには既に先客がいた。
「おはよう、御堂くん」
「おはようございます、先輩」
中にいたのは梓先輩だ。他の部員の姿はない。まあ、うちの弓道部は別に強豪というわけではない。土日まで練習しに来るのは俺と梓先輩だけなのでいつも通りと言えた。
「今日も早いですね」
「私は家が近いから。それを考えると御堂くんの方が早いよ」
しばし他愛のない会話を楽しみ、着替えるために更衣室へ向かった。
いざ的へ向かい合うと、昨日の不調が頭をチラついた。
恐れていても始まらないと、頭を空にして矢を放つ。
結果として今日は調子が良かった。三十分ほど経ったが未だ集中にブレがない。人生、山があれば谷もある。良いことがあれば悪いこともあると俺はそのとき思い知らされることとなった。
突然、心臓の鼓動が加速し、激痛を発した。
呼吸は荒く、視界が暗転する。
必死に意識を繋ごうとするが、抵抗も虚しく意識は闇へ落ちて行った。