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 スッと背筋を伸ばし、標的をジッと見据える。

 弓を構え、矢をつがえる。ギリギリと矢を引き絞りながら精神を一点に集中させていく。

 世界が徐々に遅く、静かになっていく。そこにあるのは自分と視線の先にある的だけ。それだけのシンプルな世界。

 そして、集中が最高潮に達する直前……、世界にノイズが走った。その結果、放たれた矢は中心をわずかに外れていた。

「はぁ……」

 肺に溜め込んだ空気を一気に吐き出し、張り詰めていた集中の糸をほどく。

 感覚がもとの世界に帰還する。

「あの、御堂くん、もしかして調子悪い?」

少し驚いたように話しかけてきたのは弓道部部長の篠宮(しのみや)(あずさ)さん。中学の頃からお世話になっている先輩で、黒髪ロング、控えめでお淑やかな雰囲気の先輩だ。

「そうかもしれないですね……」

 今日の調子はいまいちだった。

 最悪というほどではないが最後の最後で集中が少しブレるのだ。

「頑張ってね。みんな御堂くんには期待してるんだよ?」

「いや、そんなにプレッシャーかけないでくださいよ……」

「仕方ないよ。御堂君、去年の全国大会で個人二位だもの。それに弓道やってるときの御堂君、すごく真剣でカッコいいもん。嫌でも期待しちゃうよ」

 梓先輩は懐かしむように目を閉じた。

「ほんとに惜しかったよね。あれさえなければ、御堂くんが優勝していたかもしれないのに」

「……仕方ないですよ。勝負は時の運ですから」

「だから、今度は運も味方につけるように頑張らなくちゃ。ファイトだよ、御堂くん」

 先輩は笑顔でエールを送ると練習に戻って行った。

「だから、そんなにプレッシャーかけないでください、って」

 苦笑気味に呟き、頬を軽く叩くと改めて的に向き合った。


 結局、朝練で調子を取り戻すことは出来なかった。どころか今日はちょっと変だった。

 教科書を忘れたり、何もないところで転けそうになったり、些細なことが妙に重なった。

 挙句にクラスメイトで親友の浅間(あさま)(こう)(すけ)からは「男でドジキャラを狙ったって誰も喜ばないよ?」などと言われる始末。そんなもん誰も狙ってねぇ。

 ちょっと意気消沈しつつ迎えた放課後。

 朝の不調を取り戻そうと意識を切り替える。

 精神を統一し、全身に感覚を張り巡らす。

 いつものように必中の儀式を終えて放たれた一射はしかし、いつも通りとはいかなかった。

 またしても感覚のズレがあった。それも今朝より大きい。

 ガムシャラに射ち続けるがノイズは一向に消えない。

 部活が終わった後も顧問に頼んで自主練をさせてもらったが、結局調子を取り戻すことは出来なかった。

「やべっ、もうこんな時間か……」

 もう八時を過ぎていた。外はすっかり暗くなっている。

 道場の戸締まりと着替えを済ませ、宿直室へ向かった。

「失礼します。鍵の返却に来ました」

 扉を開けると、宿直の先生がコーヒーを飲みながら自身の仕事をこなしているところだった。二十代後半の若い女性の先生だ。クールな表情と瞳が印象的な人だ。

「ん? ああ、君か。話は聞いているよ。そこに置いといてくれ」

 と言ってデスクの隅にある小物入れを指差した。

「向上心を持つのはいいことだが、あまり無理はするなよ。体を壊しては元も子もないし、学生の本分はあくまで勉学に勤しむことだからな」

 自主練はいつも金曜日と決めているので、金曜日に宿直のこの先生とは結構顔を会わせている。いつも通りにありがたい言葉を頂戴し、宿直室を後にした。


 校門へ向かう途中、考えるのはやはり今日のことだ。もしかしてスランプか?

「こういうのに焦りは禁物っていうしなぁ」

 ポツリと呟いた言葉は春風の中に消えていった。

 考えることに熱中していると時間はすぐに過ぎるらしい。いつの間にか校門へ着いていた。

 校門から一歩踏み出すと妙な違和感が全身を襲った。

「グルル……」

「ッ!」

 唸り声に反応して横を向けば、そこには巨大な狼が佇んでいた。

 でかい。大型犬よりも二回り以上大きく、銀色の体毛が月の光を受けて輝いていた。

 しかもこちらへ明らかな敵意を向けている。

「嘘……だろ?」

「ヴォウ!」

 狼が雄叫びと共に襲いかかる。とっさに持っていた鞄を狼に向かって投げつけると脇目も振らずに駆け出す。

 命懸けの鬼ごっこが幕を開けた。


 今日は何かおかしいと思っていたが、その集大成がこれとは。塵も積もれば馬鹿には出来ないということをつくづく思い知った。

 もうどれぐらい走ったのかわからない。肺はとっくに悲鳴を上げ、脚は今にもつりそうだ。

 とりあえずコイツか、もしいたらコイツの飼い主は確実にドSだ。なにせ、さっきから俺が出せるギリギリのペースで追いかけてくるのだ。しかも、ご丁寧にどんどん人気のないところへ向かわされている。   

 やがて、学校裏にある森に辿り着いた。

 この森はかなり深く、気味悪がって誰も近付かない。昼間でも人目につかないことで有名だ。ただでさえ不気味なのにこの状況と相まってさらに妖しい雰囲気を醸し出している。

 たとえ自分の死地だとわかっていても今の俺に選択の余地はない。

 鬱蒼と繁る森へ突っ込む。途中、枝などで頬や指を切ったが構っている余裕はなかった。

 やがて、少し拓けた場所に出た。そして、そこが俺の人生のゴールだった。

 周りには追いかけていた狼を含めて計四匹の狼が取り囲んでいた。

「はは、マジかよ……」

 ただでさえ体力の限界だというのに、絶望で心までもが折られる。体から力が抜け、その場にへたりこんだ。

 四匹の狼が同時に天に向かって吠える。つられて上を見ればそこにはよく慣れ親しんだものがあった。

 ――矢の雨だ。

 数百もの矢が俺目掛けて一斉に襲い掛かった。

 俺はあと数秒で死ぬだろう。でも、せめてもの抵抗に目を閉じることはしなかった。

 そして、不思議な光景を目の当たりにした。

 ほんの一瞬前まで誰もいなかった空間に突如として一人の少女が現れた。そして少女は手に持った無骨な日本刀を目にも止まらぬ速さで振い、迫りくる数百もの矢をすべて叩き落としたのだ。

 驚くと同時、その光景に強く魅せられた俺は食い入るようにその少女を見つめた。

 綺麗な少女だった。身長は平均か少し届かないくらい。髪は黒のショートでその瞳には凛とした輝きを宿し、一ノ宮高校の制服に身を包んでいる。

 というか同じクラスの女子だ。同じクラスとはいっても精々顔見知り程度だが。名前は確か……白銀(しろがね)悠美(ゆみ)

「大人しく主の下へ帰りなさい。さもなくば、容赦はしません」

 白銀が静かに告げる。見れば狼たちは萎縮していた。今やこの場を支配しているのはこの小さな少女だ。

「ヴォォォォ!」

 しかし、少女の警告を無視し、狼は四方を均等に取り囲むと白銀に向かって咆哮を上げた。

「一旦包囲を抜けます。しっかり捕まっていてください」

「えっ……? うわっ!!」

 白銀は右手で刀を持ち、空いた左手で腰のベルトを掴むと女の子とは思えない膂力で俺を抱え込み、狼と狼の間を走り抜ける。

 あまりの速さに狼たちは反応できず、一瞬で置き去りにした。


「うわああああああああ!」

 景色がものすごい勢いで流れていく。体感的にはジェットコースターに乗っている気分だ。

 走っていた時間はそう長くない。白銀は狼たちを十分に引き離すと軽やかに立ち止まる。白銀が手を放すと腰が抜けたのか立っていられなかった。

 白銀はポケットからお守りを取り出すと俺の胸に押し付け、念を押すように言った。

「これを絶対に離さず持っていてください。そうすれば、狼たちに気付かれることはありません。いいですね?」

 状況にまるでついて行けない俺はただコクコクと頷いた。

 白銀は俺の様子を確認すると今来た方向を振り返る。

 二匹の狼が殺意を漲らせ迫っていた。

 白銀は疾風の如く駆け出し、前にいた狼をすれ違いざま上下に切断し、もう一匹も勢いそのままに切り伏せる。

 残った二匹は樹上から重なるように現れた。片方がやられてももう片方が押し潰す算段だろう。

 白銀が刀を下段に構える。そしてあり得ない現象が起こった。 白銀の持つ刀が陽炎のように揺らいだのだ。今の季節は春でしかも夜だ。陽炎など起こり得る筈がない。

「はっ!」

 白銀が裂帛の気合とともに一閃。刀は二匹の狼を同時に焼き切り、虚空に光の軌跡を描いた。

 光に照らされた白銀は神秘的で、その凛とした佇まいは女武士を思わせた。

 少しすると、狼たちの死体が泡のように消えていった。白銀についた返り血も綺麗に消えている。

 もう何が何だかわからなかった。馬鹿みたいに口を開けて呆然としていると白銀がこちらへ歩み寄って来た。

「立てますか?」

 スッとその白い手を俺に差し出した。

「あ、ああ。ありがとう」

 白銀の手は柔らかくてとても温かかった。白銀の手を借り立ち上がる。並んでみて分かったが白銀は俺よりも十五センチぐらい背が低い。にも拘わらず俺を楽々と引っ張り上げた。さっきも思ったが、小柄な見た目に反してかなり力があるらしい。

 そして、今の光景。問いかけようと口を開きかけた俺に先んじて白銀が人差し指を立てた。

「聞きたいことは多々あると思います。ですが、まずは落ち着けるところに行きましょう。話はそれからです」

 白銀に諭され気分を落ち着ける。すると情けない音が腹から響いた。

 よくよく考えれば夕飯もまだ食べていない上にさっきは命懸けで全力疾走したのだ。当然のように腹が減っていた。

「ちょうどいいのでどこかで夕食を摂りましょう。それでいいですね?」

 俺にとっても否やはない。頷いて肯定の意思を示す。

 白銀は小さく微笑み、歩き出した。


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