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6.告白されました!

 穏やかな朝の空気に若葉の香りが混じり、小川の清流が耳に届く。

 鬱蒼と茂る森の中を進み一際開けた場所へと辿り着くと、ステラは大きな声を上げ、手を振った。


「エイビスさ~ん! おはようございます!」


 少し間延びした聞き覚えのある声に、自分の名を呼ばれたエイビスは丸々と太った身体を揺らしながらゆっくりと振り返る。視界に映ったのは予想通りステラだったのだが、思わずその光景に苦笑を零した。

 そう遠くない距離にも関わらず一生懸命に走って来るステラは、なかなか自分のところに辿り着かない。そんなステラに優しい面立ちのエイビスは、苦笑を笑顔へと変え片手を上げて返事を返した。

「走ると転ぶぞ、ステラ!」

「もう、そんな子供じゃありませんよ」

 少しばかり息を切らせ漸く辿り着いたステラは、満面の笑みを見せた。

 

 森の中の開けたこの場所は、この国の中でも特に聖域に近く沢山のユニコーンたちが生息していた。

 突然の来訪者に興味深げに集まって来たユニコーンたちはステラの姿を認め挨拶代わりに鼻を鳴らす。同じ純血の精霊族であるステラはユニコーンの友人も多く、またこの森にも良く遊びに来ていた。

 じき開かれる、ユニコーンたちの婚姻の儀にもステラは友人として招かれているほどに親しい仲なのだ。


「エイビスさん、どうですか? 婚姻届の方は順調に進んでいますか?」

 弾むような声でにこやかにそう言ったステラの額に汗が滲む。急いでここに来たのが窺い知れて、エイビスは膨らんだ腹へと手を乗せふぉっふぉっと笑う。窮屈そうな軍服の釦が今にも弾け飛びそうで、ステラはついそちらに目が行ってしまう。随分と若く見えるが、既に五十路を過ぎているのだからもう少し身体を気遣ってもいいのではないかと考えてしまうが、勿論ステラは口にはしない。気にしているかもしれないと思うと、なかなか言い出せないステラだった。

「おやおや、ステラ、昨日も同じことを聞きに来たじゃないか。そんなに楽しみなのかい、精霊王にお会いできるのが」

 精霊獣の婚姻の儀は全て精霊王の許で行われ、滅多に姿を拝むことのない精霊王に会いたいが為に今回のユニコーンの婚姻の儀には沢山の精霊族が集まるだろうと予想されている。

 幸せいっぱいのユニコーンたちに負けないくらい浮足立っている精霊族は皆、ここ最近兎に角機嫌が良かった。例に漏れず、ステラもまさしくその一人だった。だがそんなステラも昨日と今日とでは目的が随分と違う。昨夜のアイリスの結婚宣言を受け、ステラはいてもたってもいられなかった。ドナの店に聖水を届けたその足で早速ユニコーンの生息する森へと来たステラは、ワクワクと心を弾ませていた。

「はい、本当に楽しみですね! 私も今からウキウキしてしまって早く手続きが終わらないかと気が急いていますよ!」

 心底ワクワクとしている様子を見せるステラは息継ぎを大きくすると、そのままの勢いでまた口を開いた。

「それに、私の姉の婚姻届もありますしね!」

「ああ、そうだったな! おめでとう、ステラ! といってもこの場合はステラじゃなく、アイリスに言うべきなんだろうけどな」

「いえいえ、ありがとうございます! 私も本当に嬉しいんですよ!」

 昨日は何も言っていなかったステラが朝一番に意気込んでここへとやって来た事実に、昨日のうちにアイリスから報告があったのだろうと考えエイビスはまたふぉっふぉっと笑った。無論エイビスは婚姻届を受理する仕事をしている為、早々にクレイグがアイリスとの婚姻届を提出したことを知っていた。

 

 そんな時だった。

 周りにいたユニコーンたちがざっと勢い良く走り出す。

 方々に散って行くユニコーンの姿に何事かと思いステラとエイビスは目をぱちくりと瞬かせた。あっという間に森の奥へと姿を消したユニコーンの影を二人がキョトンとした表情で追うと、そこに静かな声が響いた。



「エイビス、順調か?」







 常日頃から便利だと思っていた転移魔法が、今日ほど活躍した日はないだろう、とメルヴィンは一人ほくそ笑んでいた。


 第三管区の諜報員の調査結果に目を通し、そして次期第二管区長になる二ールから有力な情報を手にしたメルヴィンは、早速ユニコーンの婚姻届の進行状況を確認しにその生息地へとやって来ていた。

 ユニコーンはとても警戒心が強く人見知りだということを聞き及んでいたメルヴィンは、生息地である森の近くまで転移魔法で辿り着くと、様子を窺いつつその中心へと歩き出す。

 暫く歩くと明るい開けた場所が目に入り、殊更ゆっくりと足を進めた。森の中だというのにしっかりと朝日が届くその場所は、随分と大きく開けている。

 ユニコーンの姿は未だ確認出来ず少しばかり不安になってしまったメルヴィンは、気配を探ろうと意識を集中し耳をそばだてた。すると小さいながらも人の話し声が聞こえ、メルヴィンはその声のする方へと足を向ける。


『……私の姉の婚姻届もありますしね!』

『ああ、そうだったな! おめでとう、ステラ! といってもこの場合はステラじゃなく、アイリスに言うべきなんだろうけどな』

『いえいえ、ありがとうございます! 私も本当に嬉しいんですよ!』


 少し遠い位置からだったが、確かに聞こえて来た会話にメルヴィンが目を瞠る。


「今、ステラと言ったか?」

 もしやクレイグの相手の女、アイリスの妹なのかとメルヴィンは兎に角驚いた。そして思う、神は我に味方していると。

 この好機を逃すまいと、メルヴィンはすぐさま行動に移した。軍服の襟を正し、すっと森の奥からその一歩を踏み出す。と同時にざっとユニコーンたちが一斉にその場から立ち去る姿を目撃し、メルヴィンは本当に警戒心が強いのだなと改めて認識した。


   




「エイビス、順調か?」


 ユニコーンが立ち去ってすぐ姿を現したメルヴィンに、ステラとエイビスが納得したような表情をみせた。

「これはこれはメルヴィン管区長、おはようございます。今日はまたこんなに朝早くからどうされたのですか?」

「ああ、ユニコーンたちの様子と婚姻届の進み具合を確認しに来た」

「おお、そうでしたか、お疲れ様です。その、婚姻届の方は正直厳しいですな。人見知りが激しくてなかなか進みません。それでも少しずつではありますがなんとか……というところですな」

「そうか。これだけの数だ、大変だろうとは思うが、手違いなどがないように『ゆっくり』と手続きを行ってくれ」

「はっ!」

 解りやすいように強調した言葉をエイビスが察したのかどうかは判断できなかったが、それでもメルヴィンは充分満足していた。元々全く進んでいないのだと理解し、クレイグをこの国から追い出す時間はまだまだたっぷりあると安堵した。


 とここで、いかにも今気付きましたというようにメルヴィンがステラへと顔を向けた。

 ステラの第一印象は『人間』だった。どこからどう見ても人間にしか見えない。ステラの隣にいるエイビスでさえ混血ではあるが、精霊族としての特徴がある。少し禿げている紫色の髪は、ただその色だけで精霊族の血が入っているのだと判断できる。原色に近い派手な髪色は精霊族の証でもあるのだ。だがステラは薄い金の髪色だ。耳が尖っているわけでもなくまた肌に紋様が入っているわけでもないステラはやはり人間にしか見えなかった。それでも純血の精霊族らしく、見目は良い。

 暫しステラをじっと見つめ、その後すっと視線を外しエイビスへと向き直ると、普段クレイグを意識し無口を装っているメルヴィンは視線だけでステラの事を問いかける。

「おお、ご紹介が遅れてしまい、失礼しました。こちらはステラと申しまして、ユニコーンたちの友人で、今日も様子を見に来ておりまして」

 手をステラに向けメルヴィンへと紹介すると、エイビスが困ったような表情をする。サボっていたわけではないのだが、職務中に話しをしていたことを咎められはしないかと気が気ではなかった。だがメルヴィンはそのことには一切触れず、ステラへと身体ごと向き合うと柔らかく微笑んでみせた。

「そうか。お初にお目にかかる。この管区の管区長をしているメルヴィンだ」

 軽く目を伏せ挨拶をするメルヴィンに、ステラは屈託のない笑顔を向け「はじめまして、ステラです」と返事を返した。

 それに僅かに顔をひくつかせたメルヴィンは拳を握る。

 私の微笑を受けて見惚れないなどと、あり得ない! と。

 純血の精霊族は特におっとりとしていて一筋縄ではいかないだろうことは一応予想していたメルヴィンだったが、百発百中だった『微笑攻撃』を満面の笑みで返されたことに酷く自尊心が傷つけられた。

 それでもまだ落ち込むには早いと、激しく闘志を燃やす。

 

 引き攣った顔を悟られまいと平静を装い、メルヴィンは静かに仕事の話しに戻った。

「ユニコーンの様子はどうだ? 急に数が増えたからな。何か問題など起きてはいないか?」

「今のところユニコーンたちは問題なく仲良くやっているようですよ。一気に増えてしまっていざこざが起きるのではないかという懸念がありましたが、そこはやはり新婚。皆機嫌良く過ごしていますよ」

「そうか、それはなによりだ」

 尤もらしく管区長としての任務を果たし、ざっと辺りを見回した。既にどこかに隠れてしまっているユニコーンには興味など欠片もないのだが、取り敢えずそれらしく振る舞うメルヴィンは管区長としての仕事を全うする。

「では後はよろしく頼む」

 そう言い置いてその場を立ち去ろうとして、わざとらしくステラへと振り返った。

「ああ、君。彼は今任務中だ。婚姻届の受理はただでさえ滞っている。邪魔をして欲しくはないのだが」

 余り強い口調にならないように気をつかいながらメルヴィンがそう言えば、「はい!」と元気良く返事を返す。その返事と共にこの場を離れるのだろうと思っていたメルヴィンだったが、その考えは非常に甘かった。

 エイビスが敬礼をしながらメルヴィンを見送るその横で、ステラが暢気に手を振り始めた。にこにこと笑顔を向けてくるステラには、悪気など微塵もない。

 それにピシリとメルヴィンが動きを止める。

 そして思い出す。精霊族にははっきりと言わなければ伝わらないのだということを。

「私の言ったことが理解できないようだな。邪魔だから帰れと言っている」

「え?」

 ステラの隣で敬礼をしたままだらだらと冷や汗を浮かべるエイビスが、そっとステラへと声をかけた。

「ステラ、ユニコーンたちと話しがしたいのは解るが、今日はもう帰った方がいい」

 エイビスの困り果てた表情に何となくこの場の雰囲気を感じ取ったステラはこくこくと頷く。

「あ、はい。解りました。では、私も今日はこの辺で失礼しますね。明日また来ます!」

 最後の言葉に、メルヴィンとエイビスが唖然とする。ここまではっきり邪魔だと言われていても尚、明日も来ると言ってしまうステラに。

 これが純血の精霊族の真骨頂なのかと、メルヴィンはある意味感心してしまっていた。


 それでも闘志はまだ激しく燃えていた。

「私が家まで送って行こう」

 先程の屈辱を胸にこの帰り道でステラを落としてみせると意気込むメルヴィンは、さりげなくステラの肩を抱く。そして笑顔を見せてステラを見つめた。

「いえそんな、大丈夫ですよ。私一人で帰れますので」

 そう言いながら、するりとメルヴィンの腕を抜けると一歩後ろへと下がった。 

 今回も見事に空振りする。

 ぎりっと奥歯を噛み締めて、それでもめげずに言葉をかける。

「では途中までご一緒しよう」

 今度こそと人好きする笑みを浮かべると「はい」と快い返事が返ってくる。

 それに『よし!』と心の中で叫ぶ。そして一瞬で心が折れた。百戦錬磨の自分がよもやこの程度のことで歓喜するなどと。

 だがここでしっかりと繋がなくてはとメルヴィンはすかさず会話を繰り出した。

「ああ、そういえば、先程エイビスと何か話しをしていたようだが……婚姻届がどうとか……」

「はい、実は私の姉も婚姻届を出しているのですが、ユニコーンの皆さんの後に受理されるそうで、今どれくらい進んでいるのかと気になってしまって」

「ほう。それは確かに気になるな」

 良い感じに話しを進め、殊更ゆっくりと歩くステラに歩調を合わせる。それに少々イライラしながらも、常に笑顔を向けていた。

「あ、管区長様も帝国騎士団の方なのですよね?」

「ああ、帝国騎士団の第二管区長をしている」

 その言葉にぱあっと顔を輝かせたステラは、胸の前で手を組みきらきらとした瞳をメルヴィンへと向けた。不覚にもその笑顔にときめいてしまったメルヴィンは、緩み気味な頬を僅かに引き締めた。恐らく次に来るであろう言葉に備えて。

「実は私の姉の結婚相手が、その騎士団の総長をしているクレイグ様なんですよ!」

 えへへと少し照れながら、それでも自慢げに話すステラは幸せそうに微笑んだ。そして予想通り、この話しをステラが振って来たことにメルヴィンは小さく口角を上げる。

「ほう、それはまたおめでたいことで……。だが……私としては少々残念ではあるな」

「え?」

 騎士団の団員ならば一緒に手放しで喜んでくれるだろうと踏んでいたステラは、思いもよらない言葉を告げられついきょとんとしてしまう。それに気分を良くしたメルヴィンは畳みかけるように言葉を放つ。


「知っているとは思うが、総長は隣国の姫との縁談が持ち上がっていてな。私たち騎士団は皆そのことを心底喜んでいた。隣国の姫と結婚すれば、総長は王族の一員になるわけで、この騎士団から、ましてや親を失って教会で育った貧しい者が王族にまで這い上がれるなど、夢物語のようで皆勇気づけられていたからな。それを考えると、やはり残念な気持ちになるのは仕方がない」

「……あ……でも……これはクレイグ様の意思でして……その、この国から離れたくないと、だから……」

 諜報員の報告書にもあったクレイグの結婚の理由を口にするステラに、メルヴィンはぎゅっと眉根を寄せた。隣国の縁談を断った理由がこの国を離れたくはないというのには少なからずメルヴィンも納得できていた。しかし、その方法が気に食わなかった。

 自分の都合の為に女を利用してまでこの国に留まろうとするクレイグのやり方に、激しく憤りを感じていた。

「勿論、総長が決めたことには私たちとて口出しはできない。だが総長の将来を本気で考えるならば、あなたたち家族は総長を説得してでも隣国に行かせた方が良かったのではないか? 王族として高い地位を得て、それなりに裕福な生活もできる。総長はこんな片田舎で埋もれて良い器ではない。まあこれは私たち騎士団の意見であって、総長の意見ではないからな、聞き流してもらって構わない」

 みるみるステラの顔色が青くなる。クレイグの為にと思っての行動が実は裏目に出ていたのだと知りうろたえた。

 ステラの動揺が手に取るように解り、メルヴィンは満足げに微笑んだ。そして、その満足とは裏腹に、黒い怒りが込み上げる。

「それにしても、国を離れたくはないとはいえあなたの姉上に求婚するなど、総長もどうかしている」

「え? あ、でもそれは仕方のないことで……」

「仕方のないこと? では、あなたの姉上の気持ちは一体どうなるのだ? 結局のところ、利用されただけではないか」

 苦々しく言い放ち、メルヴィンはステラを見つめた。

「でもこれは、人助けで……私たちは、クレイグ様を快く迎え入れようと決めました」

「なるほど……」

 これ以上言ってもクレイグの説得には至らないだろうと判断し、メルヴィンは一つの解決法を見出した。クレイグのやっていることがいかに酷い行為であるかをこの姉妹に思い知らせる為に、メルヴィンはある行動に出ることにした。


「一目惚れというのを、あなたはどう思う?」

「は?」

 今までの話しは一体どこに行ってしまったのかと思う程、余りにも唐突にメルヴィンがそんな質問をステラへと投げかけた。

「どうやら私は、あなたに一目惚れしてしまったらしい。もしよろしかったら、私と付き合って頂けませんか?」

「はあ……どこにお付き合いすればよろしいでしょうか?」

 お約束な返事を返され、メルヴィンはがくっと脱力する。だがこの鈍さこそがクレイグがステラの姉に目を付けた結果なのだと思い至り、再び怒りが湧いてくる。

 だがメルヴィンは気付かない。クレイグに対し、そしてこの姉妹に対してどうしてここまで腹を立てているのかということに。

「どこ、ではなく、私とだ。男と女として、お付き合いして頂きたい」 

「男と女? えと……それはどういう……」

 本気で解らないのだろうステラは首を傾げ、うんうんと唸り始めてしまう。まさかここまで鈍いとは思っていなかったメルヴィンは仕方がないかと最終手段に出る。

「結婚を前提に、私と付き合って欲しいと言っている。すなわち、私の妻になって欲しいと言っているのだ。君の姉と総長のようにな」

 少し強い口調で告げれば、ステラは暫し沈黙し、次いで真っ赤に顔を染める。

「え、え? ちょっと、待って下さい! 突然そんなことを言われましても!」

「まあ、そういうことだから、これからよろしく頼む。じゃあ、私はこの辺で」

 随分とゆっくりと歩いていたが既に森の入口まで来ていたことに、メルヴィンは丁度良いと別れを告げる。驚きと共に混乱しているステラを放って、すっと転移魔法で姿を消したメルヴィンは随分と機嫌の悪い顔をしていた。

 愛の告白をしたにも拘らずとてもそうとは思えないほどに渋面を作っていたメルヴィンの表情を思い出し、ステラは小さく声を落とす。

「今のは……愛の告白……なのですよね?」

 先程のメルヴィンの言葉を思い出し、再び顔を真っ赤にしたステラは事の重大さに漸く気づいた。姉に続き自分にも春が訪れたのかもと思い到り、こうしてはいられないとステラはすぐにその場を駆け出した。 

 いつもよりも少しばかり速い速度で。

 

拙作をお読み頂きまして、本当にありがとうございます。

次回も頑張りますので最後までお付き合い下さればと思います。よろしくお願い致します。

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