4.ライバル心メラメラです
帝国騎士団の詰め所には、幾つかの建物が管轄の地域によって分かれている。その管轄で分けられた管区は第一から第五までがあり、それぞれの役割を果たす為日々活躍していた。
その中の一つ、一番奥にある少し大きめの棟に、その男がいた。
「どういうことだ、これは!」
部下からの報告を受け張り上げた声は、廊下にまで響き渡った。
「どういうことだと言われても、そんな話が詰め所内でひっきりなしにされてるんですから、私に聞かれても解りませんよ」
面倒臭そうにそう言うと、声の主は持っていた書類の束を机の上に置く。
ぷりぷりと頭から湯気を出す上司を横目で見遣り、早々に椅子に腰かけるとすぐさま不機嫌な声が掛けられた。
「ルイザ、そんな悠長な事を言っている場合か! お前にだって関係があるんだぞ!」
ばんっと机を叩いて喚き散らす上司に、部下であるルイザは呆れたような表情を見せる。
「メルヴィン管区長、私を巻き込むのは止めて下さい。それに、クレイグ総長はその職務を辞すると言ったそうですし、問題ないでしょう」
金の髪を振り乱し、管区長の威厳もどこかへ吹き飛んでしまっている上司、メルヴィンに諭すようにルイザが言う。
「問題ないだと! あの総長がこの国に留まる以上、そう簡単に総長を辞められる訳がない。この国の連中はこぞってあいつを持ち上げている。それどころか、国に残ることを大喜びするだろうよ!」
ぎりぎりと奥歯を噛み締め苦々しく言い放たれた言葉に、ルイザはつい目を眇めてしまう。
こんなのが次期総長になるのかと思うと、先が思いやられるとつい頭を振った。
この不毛な言い合いの始まりは、今朝から囁かれている噂にあった。その噂は昨日、騎士団の総長であるクレイグの下に『女』が訪ねて来た事に端を発していた。容姿端麗でありながら全く女の影のないクレイグに、突如現れた女の影。
隣国の姫との結婚の話が持ち上がったのはつい最近のことだというのにだ。政略結婚との噂もあるその結婚話をこの国の誰もが喜んでいた・・・・・・などというのは建前で、その実クレイグがいなくなることに懸念を抱いている者も多くいた。
そんな矢先、訪ねて来た『女』を自分の妻だと宣言し、尚且つ総長を辞すると言い出したクレイグ。
時間外の出来事でありながらこんなにも早く噂が駆け抜けたのは、やはり『あり得ない』という思いが強かったからなのだろう。
思いもよらない総長の浮いた話に、詰め所内は大いに盛り上がり、湧き上がっていた。
「それで、その女は誰なんだ?」
「知りませんよ。さっきからそう言ってるじゃないですか」
イライラとした口調で詳しい情報を求めるメルヴィンは、端正な顔に怒りを乗せる。
「だったら、誰かに聞いて来い! こういうのは女の方が得意だろう」
その一言でルイザの態度が豹変した。
ムッとした表情で黄金色の瞳をメルヴィンへと向ける。瞳と同じ色の短い髪を一本ピッと抜き取ると、それにゆっくりと魔力を込めた。一本の頼りないその髪は、途端に細身の剣へと変貌を遂げる。
スッとその剣の切先をメルヴィンに向け、目を据わらせた。そんなルイザにメルヴィンは大いに慌てふためいた。
「ま、待て、すまなかった。少し頭に血が上ってしまってな。悪かった。だからそれを仕舞え」
ふんっと鼻をならし、ルイザが剣を引く。それにメルヴィンはホッと息を吐き出し、引けていた腰を元に戻した。怒らせると容赦のないルイザの性格を良く知っていた為、直ぐに下手に出る癖がついてしまっている。
「全く。そんなに知りたいのならばご自分で聞きに行かれればいいでしょう。それに次期総長の座は既にあなただと決まっています。それはクレイグ総長が他国の姫と結婚しようがこの国に残ろうが関係のない事。決定事項なのですから」
この国において騎士団の存在はとても大きい。その総長を決めるのには幾つかの方法があった。三年に一度、総長を決める国をあげての行事で先ず一番有効だとされているのが国民投票だった。その他に王族の推薦や国王陛下自らの指名などがある。
現総長であるクレイグの就任は、国民投票の結果によるものだった。
両親を亡くしてから教会で育ったクレイグは、元々神父になろうと思っていた。人々の為にと思い、その強い魔力と怪力で日々困っている人を助けていたのだが、その力を欲っした騎士団がクレイグを勧誘に来たのは今では有名な話になっている。そんなクレイグが騎士団の総長に上り詰めるのに然程時間はかからなかった。
そして三年の月日が流れ、今回メルヴィンにその白羽の矢が立ったのだが、これは王族の推薦によるものだった。メルヴィンの家はそれはそれは裕福で、王族との繋がりも強かった。結局のところ裏金が動いた結果、手に入れた総長の座な訳だ。そこまでしてでもメルヴィンは総長になりたかったのだ。ただクレイグに勝ちたいという一心で。
「それはそうだが、やはり心配だ。今回の総長決めはあいつがこの国からいなくなるという事が前提の話だ。この国に残るとなるとまた国民投票に切り替えらる可能性だってある」
「流石にそれはないでしょう。内々とはいえ既に就任式の準備も始まっていますし、国民にも次期総長の決定は王族の推薦によるものだと発表が成されています。これを覆すことなどあり得ません!」
そう強く言えば、自信を取り戻したのかメルヴィンは目を輝かせた。こほんとひとつ咳払いをし姿勢を正したメルヴィンは、ルイザへと改めて顔を向ける。
「すまない。取り乱してしまったな」
胡散臭い笑顔を顔に張り付け、きらりと光る歯が眩しい。
世の女性たちがこのメルヴィンの笑顔を見ようものならば、黄色い悲鳴と共に卒倒する者も出たかもしれない。
そんな破壊力のある魅力的な笑顔でも、ルイザには微塵も通用しなかった。
非常に残念なことなのだが、この端正な顔立ちのメルヴィンが、自分のことしか頭にない物凄くヘタレなのだということを知っているからだ。
「まあ、私の得た情報といえば、その女性は総長の幼馴染で、恐らく精霊族との混血ではないかということだけです」
「なっ! そこまで解っているのならば先に言え!」
ぐんと勢い良く顔を近づけて来たメルヴィンに、ルイザは思いっきり引いてしまう。
そこまで必死にならなくても、と思わず憐れみに満ちた表情をした。
「というか、そんな噂の真相を聞いてどうするんですか?」
「決まっている、横恋慕するのだ!」
拳を握り闘志を燃やすメルヴィンに、ルイザがうんと冷たい視線を向ける。
「本当に、どんだけアホなんですか、管区長」
「何っ!」
馬鹿にされたことにいきり立つメルヴィン。そんな上司に大きな溜息を吐き出すルイザは、ほとほと呆れた顔をする。
「正直、勝ち目はないと思いますよ。クレイグ総長がどれだけ女性にモテると思っているんですか?」
「私の方がモテている!」
「はあ~、そういうことを自分で言っちゃうところが既に駄目なんですってば……。大体総長と結婚するような女性ですよ? 無口で頼りがいのある男にしか興味ありませんって」
椅子の背凭れに背を預け、うんざりとしたように言葉を放つ。
その態度に益々憤怒したメルヴィンは、更にルイザに詰め寄った。
「私のどこが頼りないというのだ!」
確かにメルヴィンはそれなりに体格は良い。背もそこそこある。だからといってクレイグ程の強さはない。
「まあ、管区長をやるだけのことはありますよね。剣の腕も立つし、体術もなかなかだと思います。それに世間一般では管区長も無口な色男と言われていますしね。ですが、格が違いますよ、格が!」
「なっ!」
本来はかなりおしゃべりなメルヴィンは、強いライバル心からクレイグと同じように寡黙な人物を演じている節がある。それは他人から見ればただの真似ごとなのだろうが、本人からすればとても真剣でどうやったらクレイグを追い越せるのかと日々考えての結果だった。
ルイザはそれを『憧れ』と認識しているのだが、本人にそれを言ったならば激昂することは目に見えているので口に出すのは控えていた。
結局の所このメルヴィンのライバル心は、クレイグのようになりたいという強い願望の表れなのだろうとルイザは結論を出していた。自分にはないものを必死に追い求める姿はとても滑稽で、ともすれば足掻く姿が微笑ましくもあり、ルイザは少しばかり応援もしていたりする。時々本気で嫌になることもあるようだが。
「ご自分でも解っているのでしょう? 総長には敵わないと。管区長はドラゴンを相手に立ち居振る舞いが出来ますか? 聖獣やゴーレムと格闘したり。先ず無理でしょう? というか、そんなことが出来るのはあの人くらいです。本当にただの人間なのかと疑いたくなりますよ」
ぐっと言葉に詰まったメルヴィンは、それでも尚屈しない。
「ふんっ、私の方が上だということを、いつか皆に解らせてやるのだ! その為ならば私はどんなことでもしよう! だが先ずはあの男をこの国から追い出すのが先決だ。その後、私がこの騎士団で活躍し、私がこの騎士団に必要だと解らせるのだ!」
「それって結局、総長に勝ったことにはならないと思いますけど……まあ、勝手にして下さい、私は巻き込まれるのはごめんですから」
「な、なにを言う! 私が総長になった暁には、お前も副総長になるんだぞ!」
「その話はお断りしました。丁重に」
「私は認めていない!」
メルヴィンからしてみれば、ルイザ以外に自分の副官を務めさせることは考えられなかった。それはただ単に、自分の本当の姿を知っているのがルイザだからなのだが。
だがそれはルイザにとってはこの上なく迷惑であり、寧ろメルヴィンから離れたいと常々思っていたりもした。
「現副総長の人望の厚さはこの騎士団にとっても有益です。総長だけでなく副総長までもとなったら、騎士団の士気が一気に下がり、最悪あなたの身を滅ぼすことになるかもしれません」
的確な指摘にメルヴィンが唸りを上げる。
それでも諦めきれないのか、ぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
「まあ管区長のその執念があれば大丈夫でしょう。副総長ともやって行けると思いますよ。寧ろ、ご自分を曝け出したらどうです? とても懐の広い方だと聞いていますし、受け止めてくれるかもしれませんよ」
既にルイザの中ではメルヴィンとは切れているらしく、突き放すようにそう言った。
「だが……」
「さあ、今日も仕事は盛り沢山なんですよ、余計な時間を取らせないで下さい。そして管区長も仕事をして下さい!」
この話は終わりだというようにルイザが書類を片手に席を立つ。
そんなルイザをすっかりと無視し、メルヴィンが「よし!」と声を上げた。
次いで扉の方へと声を掛ける。
「衛兵、第三管区に連絡を!」
その言葉を聞き、ルイザがはあ~っと大きな溜息を吐き出した。第三管区には優秀な諜報員が何人も存在することにすぐさま思い至り、どこまでアホなのだろうと肩を落とす。
「全く、職権乱用ですよ……」
こうしてメルヴィンによるクレイグの身辺調査が始まった。
■ ■ ■ ■ ■
「おいおい、総長、今朝からあんたの話で持ち切りですよ。どうすんですか、この浮ついた空気」
「ああ、すまないと思っている」
全くそう思っていないだろうという軽い口調でクレイグが言う。それに、ロナウドがげんなりとした表情をみせた。
「大体、総長。あの後ちゃんと彼女を送り届けたんですか?」
「当たり前だ。私はそこまで節操なしではない」
そう言ってみたものの、クレイグ自身あの時は本気で既成事実を作ってしまおうかと考えていたりもしたのだが。
そんなことをおくびにも出さず、敢えて冷静に言葉を紡いだつもりだったが聡い部下には難なく見抜かれてしまっていた。
「どうだか。あの時だって随分と粘ってたじゃないですか。宿舎にはバレないようにすれば良いだの、近くの宿に泊まれば良いだのと」
「粘ってなどいない。その証拠に転移魔法で直ぐに送り届けたしな」
「直ぐにって……あの後お茶したり挙句食事まで連れて行ってたじゃないですか」
浮かれまくっていた自分の姿を思い出し、クレイグは居心地の悪さを感じた。それでもあの時間はとても有意義で甘美なものだったと桃色の空気がクレイグを包んだ。
「余りゆっくり会う時間も取れないのでな。それくらいは許してくれ」
「まあ、いいですけどね」
呆れながらもロナウドは仕方がないかと考える。日々仕事に忙殺されているクレイグにとっては確かに貴重な時間だったのだろうと、ロナウドは同じ男としてそこには同情した。
ふうっとひとつ息を吐き出しぐったりと机に突っ伏したロナウドは、この後の展開を想像し疲れたような声を上げた。
「厄介な奴がしゃしゃり出て来そうで、本当、嫌な予感しかしないっつの」
「厄介な奴?」
言いながら首を傾げたクレイグは、ロナウドから滲み出る苦悶の表情に警戒心を抱いた。その警戒心故にいつもならば面倒がってロナウドの話には耳を傾けないクレイグだったが、珍しくロナウドの呟きに反応をみせる。それはひとえにアイリスにも関わると判断してのことだった。
「ああ、総長はそう思わないんでしたっけ? ほら、第二管区長の……何て言いましたっけ、名前」
「メルヴィンのことか?」
厄介な奴という印象は全くないのだが、第二管区長の名前は知っていた為すんなりとその名がクレイグの口から放たれる。優秀なクレイグは騎士団の団員の名前は全て覚えていた。それでも、第二管区長のメルヴィンがどんな人物かまでは思い出せないでいた。
「そうそう、そいつです。何かと総長と張り合おうとするんで、今回も何か仕掛けてくるかもって思ってんですけどね」
「何か仕掛ける?」
ほとんど話した記憶もないメルヴィンが自分と張り合っているという事実に、クレイグは驚いてしまう。その認識をまるで持っていなかったクレイグは今までの記憶を振り返るが、やはり心当たりがなかった。だが、ロナウドの物騒な物言いに、聞き返さずにはいられなかった。
にやりと嫌な笑みを浮かべ、ロナウドが少し声を落とす。
「そうですねえ~。例えば、総長の彼女を横取りする、とかですかね」
瞬間、どんっと突き刺すような殺気が放たれる。
がたんっと大きな音を立て、クレイグが勢い良く椅子から立ち上がった。
その背には恐ろしいまでのどす黒い妖気に似たものが溢れている。
「えっ! えっ! ちょっと! 冗談ですって、冗談! やだなあ~、本気にしないで下さいよ~」
大いに焦ったロナウドは生きた心地がしなかった。本気で殺されるのではないかと身体が縮み上がるほどの殺気に弁解をするのも声が震えてしまっていた。
凄まじいまでの怒気を含み睨みつけて来るクレイグに、ここはご機嫌取りだと慌てて次の言葉を用意する。
「大体、彼女を横取りって言ってもそんなの無理に決まってますって! 彼女も言ってたじゃないですか、『総長ほどの方』が自分と結婚を考えるなんてって。つまりは総長のことは『好き』だけど、恐れ多くてそんな事は考えてもいなかったってことですよね。だったら、メルヴィンなんかがしゃしゃり出て来た所でどうにかなったりはしないですよ!」
ロナウドがわざとクレイグの心に響くであろう言葉を強調する。その言葉たちに、クレイグがカッと頬を染めた。それに「うわっ、気持ち悪り!」とロナウドがつい暴言を吐き出す。
それにも気づかず、クレイグの心ぱあっと晴れやかになっていく。
「まあ、そうだな。アイリスは……………………鈍感だからな」
浮上した心とは裏腹に、今まで散々愛の告白をしてきたのにも関わらず全くその想いが届いていないことを思い出し、クレイグの表情がみるみる曇っていく。それでも裏を返せば他の誰かに取られる心配もないということだと思い至り安心した。そんな自分がどれほど惨めなのかとつい考えてしまったクレイグは、どんどんと落ち込んでいってしまう。
「……アイリスは……俺の事をどう思っているのだろうか?」
呟いた自身の疑問に、激しく打ちのめされるクレイグだった。
いつもこのような拙い小説をお読み下さいまして、本当にありがとうございます。
なかなか更新が出来ず、すみません。
漸くライバルの登場です。これからもう少し話が動いて行くかと思いますので、どうか最後までお付き合い下さればと思います。よろしくお願い致します。




