3.誤解ですよ!
夕日が傾き始め、雲が綺麗な橙色に染まり影が長く伸びる頃、おっとりのんびりしたアイリスは漸く教会へと辿り着いた。
村の外れにある教会は、然程大きくはないがこの辺りの住民達が全員入れるくらいの大きさはあった。石造りのその教会は、人間と精霊の両方を受け入れ、この地に古くから伝わる神を祀ってある。その神の象徴として白い両翼を掲げ、人々は祈りを捧げていた。
「ふうっ……すっかり遅くなってしまいました」
額の汗を拭い、アイリスは教会の入り口へと足を進める。と、掃除をしていたであろう神父が箒を片手にひょこっと顔を出して来た。
「おや、アイリス。遅かったですね。毎日忙しいようで大変ですね」
「神父様、こんにちは。すみません、色々やっていたらこんな時間になってしまって」
「いえいえ、こちらはいつでも構いませんでしたから、大丈夫ですよ。さあ、こちらにどうぞ」
そう言って中に入るように促された後、教会の奥の方の部屋へと案内される。
「今日はまた大変でしたね。ゴーレムはやっと自分の守るべき場所に戻ったみたいですよ」
「え? ……ゴーレム……ですか?」
神父の後に続き廊下を歩きながら急に振られた話しに、アイリスはきょとんとした顔をする。疑問符で返された返事に神父が訝しげに振り返ると、アイリスの表情を確認した。いつも通りおっとりとしているアイリスが、今日あった出来事を知らないのだと思い至り神父は相変わらずですね、とつい苦笑いを浮かべてしまう。
「ええ、少し前まで大騒ぎだったんですよ。野次馬も凄かったらしいですし」
ああ、なるほど、とアイリスは大きく頷いた。それは今日、教会に来るのがこんなにも遅くなってしまった理由に思い至ったからだ。
ドナの店を出て直ぐ買い物に向かったアイリスは、目的の店へと辿り着き品物を買おうと財布を出した。だが生憎と店主の姿が見当たらず、随分と長い時間待ちぼうけを食らってしまったのだ。
「そうだったのですか……それは大変でしたね」
自分の不甲斐無さに顔から火が出そうになったアイリスは、そう言うのが精一杯だった。
一番奥の部屋の扉を開き、神父がアイリスを中に招き入れる。そう広くもない部屋の真ん中にはテーブルが一つ置かれていた。何度か入った事のあるその部屋は、物が極端に少なく、相変わらず綺麗に整えられていた。
少し大きめのテーブルに向かい合う形で腰を下ろし、神父は淹れたてのお茶をアイリスへと差し出した。
「ありがとうございます」
ゆっくりと礼を言い、アイリスはホッと息を吐く。次いで鞄から少し小さめの聖水が入った瓶を取り出すと、テーブルへとそっと置いた。細かい硝子細工がとても美しいその瓶の中で、S級クラスの聖水はまるで輝いているかのようにゆらゆらと揺れていた。
「いつもすみませんね」
「いえ、とんでもありません。『婚姻の儀』に使って頂けるなんて、こちらこそ光栄です」
屈託のない満面の笑みでそう言えば、神父も嬉しそうに笑顔を返した。
「ありがとうごさいます。ああ、『婚姻の儀』と言えば! おめでとうございます、アイリス。クレイグと入籍したそうですね!」
「えっ!」
何故それを! と思うのと同時に、ぼんっと顔が真っ赤になる。その様子に、神父が神妙な面持ちになった。
「おっと、まだ皆には内緒だったりするんですか?」
こそこそっと、口元に手をあて内緒話をするような仕草を見せる神父に、アイリスは思考が全くついていかず返事もままならない状態だ。
「あなた達の婚姻届が受理されるまでには、随分と時間が掛かってしまいそうですからね。やはりまだ公にはしない方が良いのですか?」
本当に時期が悪かったですね、と残念そうに言う神父は、先日の珍事件を思い出していた。
「何でも数日前にユニコーンの群れがこの国にお嫁さん探しに来たらしくて、六十組くらいが一気に結ばれてしまったらしいですよ。ユニコーン達は婚姻届けを書けないから、代わりに役所の皆さんが書いているそうで・・・・・・・これではあなた達の婚姻届もいつになるやらですね。本当に残念です」
この国では居住する者に対して人間も精霊も皆、平等に住民届を出さなくてはならない決まりになっていた。その為字が書けない精霊獣達は、代筆をしてもらわなければならくなる。ユニコーンは特に人見知りが激しく、同じ精霊でも人型の精霊族には余り気を許してはくれず代筆するのも一苦労なのだろうと、容易に想像が出来、神父は項垂れた。
そんな神父の心情など知る由もないアイリスは、兎に角驚き固まった。
「そそそそそ、それをどこでお聞きになったのですか!」
漸く衝撃から立ち直ったアイリスが、素っ頓狂な声を上げる。
「え? どこでって……クレイグからですが?」
突然慌てだしたアイリスに首を傾げながら神父がそう返すと、アイリスはさっと顔の色を失くした。
あれは悪戯だったのではなかったのかと、アイリスは激しくうろたえる。
だがそれも束の間、アイリスは何かを思い付き、ポンっと手を叩くと表情を笑みに変えた。
「はっ! 解りましたよ、神父様! もう、神父様も人が悪いです! クレイグ様と二人で私を騙そうとしているんですね! いくら私がのんびりしてるからといって、流石に騙されませんよ!」
晴れやかな笑顔で「もう~、いやですよ~」などと言っているアイリスに、今度は神父が大いに慌てた。
「いえいえ、アイリス。私は本当にクレイグからそう聞いたんですよ! 婚姻の儀についての相談も受けていますし、既にこちらでも用意を始めている所なのですが……」
みるみる表情を強張らせたアイリスに、本人同士の話しがついていないのかと不安になって来た神父も同じような表情になる。
そこで一つ、確認を取る事にした。
「アイリス。その……婚姻届にサインをした覚えはないのですか? もしないのであれば、恐らくクレイグの勘違いか、もしくはこれからアイリスにサインをもらいに行くのかもしれませんね。少々気持ちが急いて先にこちらに相談に来たという可能性もありますし、もう一度私からも確認を取ってみますから、アイリスの方からも一度ちゃんとクレイグと話しをしてみては如何ですか?」
幼い頃に両親を亡くしてしまったクレイグは、この教会で騎士団に入団するまで神父と共に暮らしていた。そのクレイグが、幼き頃よりずっとアイリスに想いを寄せていた事を知っていた神父は、こんな日が来るのをずっと夢見心地で待っていた。そして今、漸くその時が来たと思った矢先のアイリスのこの言動に流石に神父も不安に駆られた。
そもそもクレイグは人一倍無口で、口下手だ。ちゃんとアイリスに想いを告げられたのかと、心配になってしまうのも無理のない事だ。またおっとりし過ぎるアイリスに想いを告げたとして、しっかりとそれが伝わっているのかという心配もある。
神父は自分の考えはあながち間違ってはいないのだろうと、なるべく拗れないようにとアイリスに提案を持ちかけた。
「えっと……婚姻届には、今日、サインをしました……。でもそれが婚姻届だと知ったのは、サインをした後で……しかも私は、それがただの悪戯だと思っていまして……」
少しばかり茫然自失の状態で、アイリスが小さく返事をする。その様子に、結局クレイグが焦れて強引な手段を取ったのかと、神父はがくりと肩を落とした。
帝国騎士団の総長にまで上り詰めておきながら、余りの不甲斐無さに神父は思わず涙が出そうになってしまっていた。
「そうでしたか……。取り敢えず、出してしまったものは仕方がありませんね。まだ受理されるまでには時間がありますから、クレイグとちゃんと話をした方が良いと思います。最悪、取り消してもらわなくてはいけませんしね」
出来ればそうならないで欲しいと願いながらそう口を開いた神父に、アイリスは無情にも明るい笑顔を向けて来た。
「はい、そうですね! 今すぐにでも言って、取り下げてもらうようにお願いして来ます!」
屈託のない笑顔でそう言われてしまえば、神父も立つ瀬がない。本来ならばクレイグの為にひと肌脱ぎたいところだが、それでは益々あらぬ方向へと行ってしまいそうでお節介をしないように兎に角ぐっと堪えることした。
おっとり鈍感なアイリスと、無口で口下手なクレイグの二人の恋の行方をもう暫く見守ろうと、固く誓った神父だった。
■ ■ ■ ■ ■
陽はすっかりと沈み、辺りが暗くなる頃、乗合馬車を乗り継ぎ漸く王都へと辿り着いたアイリスは、徒歩で帝国騎士団の詰め所へと向かっていた。
王城の西門へと足を向け、こんな時間に訪ねて行っても大丈夫なのだろうかと不安を抱えながら、それでも真っ直ぐと歩みを進めた。
「あ、見えて来ました」
帝国騎士団の大きな旗が見え、アイリスは小走りに詰め所へと駆け寄ると門番をしているらしい二人の騎士団員を確認した。
「こんにちは。あの、すみませんが、クレイグ総長にお会いしたいのですが」
遠慮がちにそう挨拶と共に告げれば、途端に怪訝な表情を返される。それに一瞬、たじろぎながらもアイリスは言葉を続けた。
「大事なお話があるので、是非ともお会いしたいのですが」
懇願するように頼んでみたがやはり良い顔はされず、団員同士で顔を見合わせている。
「どんな用件だ」
「はい、えと……」
正直に用件を言うべきかどうか悩み、言葉に詰まる。そんなアイリスに、団員達が再び顔を見合わせ、口を開いた。
「今日はもう遅い、明日また来て頂こう」
当然の返事を返され、アイリスは大いに慌てふためいた。
「いえ、それでは困るんです! お願いします! あ、私、クレイグ様の幼馴染なんです!」
気が動転してしまったアイリスは、クレイグと関係のある事を言わなければと幼馴染を強調した。だがそれは空振りに終わってしまう。
「幼馴染? 幼馴染なのに『様』付けで呼ぶのは、少々おかしいのではないか?」
「えっと……周りの皆さんがそう呼ぶので、つい私もそう呼ぶようになったのですが……おかしいんですかね?」
論点がずれているばかりかきょとんと首を傾げる姿に、団員達は思わず精霊族を思い浮かべた。どこからどう見ても人間なのだが恐らく精霊族の血が混ざっているのだろうと理解し、二人は仕方がないかと頷いた。
精霊族とは元来心根が真っすぐで、悪人はいないというのが常識だ。それが例え人間との混血だとしてもだ。
「解った。一緒に来い。総長の所まで案内する。で、あんたの名前は?」
「アイリスです。よろしくお願いします」
ほっと胸を撫で下ろし、アイリスは感謝と共に笑顔を見せた。
総長の執務室で、大きな呻き声が上がる。
「う~ん……う~~……あ~~……」
「うるさいですよ、副総長」
「何だよ、悪いかよ! 難しいんだよ、これ! もっと簡単に書けないのかね! ねえ、総長!」
書類に向き合いロナウドが頭を抱えるように唸っていると、さくさくと仕事をこなす二ールからお小言をもらう。それに反発しながら同意を求めようとクレイグへと振ったのだが、呆れたように溜息を吐かれてしまう。
「そう言うな。直、お前が総長になるんだ。今から慣れておけ」
書類から目を逸らさずそう言えば、二ールが驚いたように目を瞠った。
「あ、じゃあ、隣国の姫との結婚話、進んでいるんですか?」
「いや。だが、結婚はする。他の者とな。結果、騎士団の総長は辞することになる」
わくわくした気持ちと残念な気持ちが入り混じり、複雑な表情をする二ールはクレイグの返答に困惑した。
「えっ? どういう事ですか?」
容姿端麗でそれなりに女性から人気がある割に浮いた話しなど一つもないクレイグから、隣国の姫ならば兎も角他の誰かと結婚するという言葉が飛び出し、二ールは信じられないといった面持ちで執務机から身を乗り出した。
そんな二ールを一瞥して、ロナウドがやれやれといった感じで会話に割って入って来た。
「隣国の姫との縁談を蹴るっていう事は、どっかで責任を取らなきゃいけないってことですかねえ? 面倒なこった」
書類整理に飽きたのか、ぽいっと書類を机に放ると腕を組んで首を回す。
「でもどうしてです? 勿体無い! 王族になれるんですよ!」
クレイグがこの国に残るのは嬉しいことなのだが、やはり納得がいかないと二ールは尚もクレイグに詰め寄った。
「この国から出て行くつもりはないのでな」
簡潔に述べられた返事に、二ールもロナウドも頷いた。聖域に近い環境を保つこの国は、それ程までに魅力のある美しく素晴らしい国だった。
とそこへ、ノックの音が響いた。
「おいおい、こんな時間になんだよ。これ以上の仕事はもう勘弁だっての!」
ずるずると椅子からずり落ち、やる気は全くないと態度で示すロナウド。クレイグに至っては、完全に無視を決め込んでいる。
時間外の仕事は受け付けないと、総長と副総長が結託をしているのを他所に生真面目な二ールが扉を開けに足を進めた。
「どうぞ」
がちゃりと扉を開き、団員の一人が敬礼をする。
それをクレイグが横目で見遣り、次いで固まった。
「失礼いたします! 総長に面会希望の……」
「アイリス!!」
団員の言葉が終わらない内に、クレイグがアイリスの姿を見つけ大声を張り上げた。
普段、大きな声を出さないクレイグがいきなり発した大声に、その場にいた全員が驚き目を見開いた。
そしてクレイグの行動の素早さに、またまた驚く。つい先程まで執務机に座っていた筈だったのに、今現在、いつの間に来ていたのかアイリスの手を握り笑みを浮かべていた。
「どうした、アイリス。こんな所まで。大変だったろう」
詰め所からアイリスの家まではかなりの距離がある。クレイグは転移魔法が使えるが、アイリスがここまで来るのには乗合馬車を乗り継がなければならない筈だと、途端に申し訳なさが込み上げた。
「いえ、大丈夫です。あの、大事なお話があったのですが……」
「ああ、そうか。取り合えずここではなんだ。もう仕事も終わりだから、俺の部屋に行こう」
肩に腕を回し今にも部屋から出て行こうとするクレイグは、全身から桃色のオーラを放っていた。
「あー、ちょっと待った!」
呆気に取られていたロナウドが漸く立ち直り、声を上げる。
それに不機嫌そうな表情を向け、クレイグは察しろと目で訴える。
「いやいやいや、総長、それは拙いですって! 宿舎は関係者以外立ち入り禁止です! ましてや女を連れ込むなんてのは論外です!」
殺気を含んで睨みつけてくるクレイグに思わず尻込みしそうになるが、ぐっと堪えてロナウドがそう言えば、衝撃から立ち直った二ールもこくこくと頷いてみせた。
「彼女は関係者だ」
短く返事をするクレイグに、ロナウドが嘘を吐けという表情をする。
普段自分の事を『私』と言うくせに、今は私情が絡み『俺』になっている事実から、下心が見え隠れするこの状況にロナウドは『不祥事』という単語が脳裏にちらついた。
「関係者って、彼女も騎士団員なんですか?」
そんな中、まだ少しばかり動揺していた二ールがつい的外れな質問をする。
するとクレイグがすっと顔を逸らし、照れくさそうに小さく呟いた。
「俺の妻だ」
ピシリっとロナウドと二ール、そして門番の団員が固まった。
「あ、あの、そのことについてなのですが! クレイグ様、ちゃんと誤解のないように説明をされた方が良いと思うんです! 私との結婚は、ただクレイグ様がこの国を出たくないから、取り敢えずこの国の者と結婚して、隣国の姫様との縁談を断る為なのだという事を!」
勢い込んで話しに割って入って来たアイリスは、顔を真っ赤にさせて言い募る。だがその言葉に、クレイグが眉間に皺を寄せた。
「何を言っている、アイリス! 俺は……」
「大丈夫です! ちゃんと解っていますよ! 先程の話し、扉の向こうで聞いていましたから! もう、ちゃんと言って下されば私だって協力しますよ! この国に残る為に、私と結婚するのですよね。おかしいと思ったんです。クレイグ様程のお方が、私のような者と結婚するだなんて! でも大丈夫ですよ! そういうことでしたら、私もクレイグ様の為にお芝居くらいしちゃうんですから! 任せて下さい!」
拳を握り熱く語るアイリスに、クレイグはさっと青褪めた。まさか話しを聞かれていたとは思っていなかったクレイグは、何故そこまで話しが拗れてしまっているのかという疑問も湧いてくる。だが、長年の経験から直ぐにその答えが見つかった。
そもそも精霊族は『人助け』が大好きなのだ。そしてこれはまさしくその『人助け』の為に使命感に燃えている状態だ。こうなってしまっては、どう取り繕おうと聞く耳を持たないという事をクレイグは幼馴染故に良く理解していた。それでも結婚を断られるよりはマシなのだろうと、一人納得する。
「……ああ、よろしく頼む……」
力なく呟いたクレイグに、ロナウドと二ール、そして門番の団員が憐れんだ目を向けたのは言うまでもない。
こんな拙い小説をお読み下さいまして、本当にありがとうございます。また、お気に入り登録をして下さっている皆様にも、本当に感謝しております。
更新がかなり遅く、なかなか話も先に進まず、面白味のないつまらない文章ですが、最後までお付き合い下さればと思います。よろしくお願い致します。




