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一節,春蕾

 ひらり、と舞った一片の花弁が、ふと、気まぐれに吹き抜けたそよ風とともに落ちていく。

 穏呑(おんどん)とした春の気候を祝すかのような花吹雪は、繊細な静と美を一心に纏う。

 悠然な壮麗さにこれが庭園であることすら無意識に忘れ、ただ目を奪われる。

 その情景を叶うなら長く視界の端に捉えていたかったが、しかし、どうやら今この瞬間《とき》に限っては許されない自由であるらしかった。

「東宮(トウグウ)殿下、妃宮(ヒグウ)様がご到着なされました。どうか傍らに、御身の目をお向けくださいませ」

「⋯⋯入れ」

 入室の許しをやると、閉じていた襖が遠慮がちに横へ動いた。現れた姿は二つあり、一方は深藍の衣を服した老爺。そしてもう一方は、豪奢な絹衣を所在なさげに持て余した娘。

 どちらも座して頭を下げている。その形式的な敬念を認めてやり、まずはと口を開く。

「いつまでそうしているつもりだ。顔を上げ、名乗るといい」

「は。⋯⋯ほら、挨拶くらいなさい、彼の方に無礼であるぞ」

 老爺に語気強く急かされた娘の肩がびくりと震えた。しかし、一向に私の方を見もしようとはしない。

(ずいぶんと内気な娘を寄越したものだ)

 何ら感慨の湧かない心中で、己の妻となるべくして相対する娘に感じたのは、そんな薄い印象だった。


 倭国(ワコク)において、婚姻とは一族をより栄えさせる最良の手段とされる。

 そして東西南北ある宮のひとつを治める一族の当主は、血筋の正統と繁栄を遵する為から、他ではなく、自らの一族から選定された娘を妻として娶る。

 東宮を担う東家(トウケ)当主の私も例外はない。然して、慣例に従わない理由はなかった。

「⋯⋯お、初にお目見えいたします。御当主、様」

 初合わせから半刻が経つかと想定したのも束の間、娘は漸く私に向かい、蚊の鳴くような挨拶をたどたどしい口振りで済ませた。

「ああ」

「⋯⋯」

 互いに静寂が訪れる。私は然して気に留めず茶を飲み下すが、娘は何故か蒼白な色づきで居心地悪そうに俯く。

「これは申し訳ございません、東宮殿下。わたくしめの娘はどうやら御身に拝謁する光栄のあまり、畏敬と慕情で身も心も揺らいでいる様子でございますゆえ。どうか寛大な御心を賜りますよう」

 痺れを切らしたらしい老爺が、さも娘の良父であるかのように振る舞い、場の空気を促さんとした。

(⋯⋯そこまで取り入りたいか、この老獪は)

 明け透けな老爺の見栄と媚びには辟易したが、微かな一理はある言い分ではあった。

 この状況が続けば、見合いとて日が暮れるだろうと。

「今日(こんにち)より東宮及び東家の当主と相成った。東篠雲(トウ シウン)だ」

「⋯⋯と、東滋雨(トウ ジウ)が、娘、の⋯⋯東麗凪(トウ カナギ)で、ございます」

 最初は呆けていた娘も意図に思い至ったのか、慌てふためくようにして応じた。

「そうか。ならば、ついてくるといい」

「え、あの⋯⋯」

 立ち上がり、室に背を向けてそのまま回廊へと迷わず歩を進める。

 東麗凪は私の背中と東滋雨を交互に一瞥して逡巡したが、やがて控えめな足音を裾の衣擦れと重ねた。


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