11話「嵐の中を駆け抜けるかのように」
その事件は突然起きた。
ある真夜中のこと。
一人の部屋で寝ていたところ何やら騒々しさを感じて目覚めた。
するとちょうどそのタイミングで六十代くらいの女性使用人が現れて「火が出ました! お逃げください!」と告げてきた。
緊急事態だ、身支度をしている暇はない。
女性と共に走り出す。
寝起きで何も見えないけれど。
必死に。
懸命に。
ただただ走る。
「ガーネットさん!」
皆が避難している先にはラルフレットの姿もあった。
高貴な人から使用人をはじめとした一般人まで、皆、一つの場所に集まっている。
「ラルフレットさん……! ご無事でしたか」
「はい、わたしは」
「それは良かった……」
「ただ母が」
「えっ」
「母が逃げ遅れていて……」
そんな風に話すラルフレットはこれまで見たことがない重苦しい表情を滲ませている。
「お母さまが!?」
「……はい」
皆おおよそ避難を終えているこの状況で母がまだ避難してきていないというのはきっととても不安だろう。
「この時間、お母さまはどちらに」
「王の間の近くにある寝室にいると思うのですが……って、まさか!」
私の思考を察したようで青ざめるラルフレット。
――私の心はもう決まっている。
ラルフレットにはこれまでたくさんお世話になってきた。彼と出会ってから助けられてばかりだった。温かな居場所を与えてくれたのも、ややこしい家族から護ってくれたのも、彼だ。ラルフレットがいなければ、私は今も多分あの頃のまま。独りで寂しく泣いていたと思う。誰にも愛されず、穏やかに過ごせる場所も手に入れられず、あの頃と何も変わっていなかった可能性が高い。
だから彼のためにできることがあるなら迷わず行動したい。
「様子を見に行ってきます」
「いやいやいや! 駄目ですよ! それはさすがに危険です!」
止めようとする彼の手を振り払い。
「必ず戻りますから!」
それだけ言って走り出す。
幸い、王の間には行ったことがある。案内は要らない。そこは幸運だったと思う。この状況で誰かに案内してくれと頼むわけにはいかないから。
火へと突っ込んでいくようなもの。
危険がないわけではない。
私のような特殊な訓練を受けているわけでもない女がそんなことをするのは確かに危ない行為かもしれない。
だが私には魔法がある。
水を出すことができる。
たとえ火が相手でも数秒くらいは抵抗できるはず。
それすらできない人が救助に行くよりはましだろう。
母親を失えばラルフレットはきっと悲しむ。
王妃を失えば国民はきっと悲しむ。
その悲劇を回避できるならこんなくらい怖くなんかない。
王の間付近にある部屋、その扉の前に到着。
何とかここまでは来られた。
奇跡的に道はあった。
「どなたかいらっしゃいますか!」
まず声をかけてみて。
「失礼します!」
返事はないが扉を開けてみる。
鍵がかかっていたら体当たりでもしようかと思ったが、鍵はかかっていなかったのでその必要はなかった。
「王妃様!」
「あな、た……」
ラルフレットの母、この国の王妃は、確かにそこにいた。
高級感のあるベッドの脇に倒れ込んでいる。
しかし意識はしっかりしていて。
こちらを認識していた。
「大丈夫ですか!?」
「どうして……」
「逃げようと、して……急に、腰が痛く、なったの。いわゆる……ぎっくり腰ね」
「こんな時に!?」
すると王妃は安心したからか「そうなのよ、昔も驚いてなったことがあって……お嬢さん聞いてくださる? 二年か三年かくらい前の夏だったと思うのだけれどね……」と昔話を始めてしまう。徐々に熱を感じ始めているこの状況で長い昔話を聞くのはさすがにまずいと思ったので「話は後で聞きます! 今は取り敢えず避難を!」とはっきり言った。
相手が王妃だとか何とか、そんなことは関係ない。
無礼があったなら後で謝ればいい。
命さえあればどうとでもなる。
「そう、ね……」
「歩けます?」
「ええ……ゆっくりと……ひぃっ」
「やはり腰ですか」
「ふひひゃあっ。……うう、怖いわ。歩けるかしら……ふ、ふゅあ、ひゃう……う、ううん、何とか歩けそう」
「良かったです、では慌てず慌てて行きましょう」
――何とか生き延びた。
「ガーネットさん!!」
王妃という貴い人を連れて火の中を行くのはかなり怖かった。万が一を考えるたび心臓から変な音がした。もし王妃に何かあったら、と、今一番考えたくないことを何度も考えてしまって。いろんな意味で恐怖があった。
だが何とかやり遂げた。
王妃の救助に成功した。
少々危険な場面はあったけれど何とか乗り越えた。
「無事ですか!!」
到底彼とは思えないくらい乱暴に肩を掴んでくるラルフレット。
「はい、何とか……ちょっとだけ火傷しましたけど……水魔法があったので、何とかなりました」
「火傷!? どこですか! 早く医師に!!」
「そんな大きなものじゃないですから慌てなくても平気です」
すると。
「平気じゃない!!」
彼は大きな声を発した。
「ッ!?」
これにはさすがに心臓がどんと突かれたような感じがした。
「……あ、いや、すみません」
彼はすぐに冷静さを取り戻す。
「ですが、火傷というのは軽度のものでも危険なものです。早く手当てを受けた方が良いことに変わりはありませんから。どうかなるべく早く医師のもとへ」
「心配してくださってありがとうございます」
「いやだからそうじゃなくて! ……っ、呑気にそんなこと言っていないで、早く治療を受けてください」
心配してくれていることはしっかり伝わってきている。
「は、はい。分かりました。ではそうします」




