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88 そよ風、吹き荒れる

エマはいつでも元気いっぱいです。

 深い深い森の中、唐突に開けた、陽光降り注ぐ空間。

 威容を誇る洋館……この世界の場合、こういう呼び方は適切ではないだろうけれど。

 狂喜のエマ。

 ドン引きの私達。


 そして、唐突に現れた眼鏡の優男。


 エマの反応ひとつだけでヤバいと思わされるこの状況、現れた男はつまり、途轍も無い化け物と言う事なのだろう。

 だが、その姿にはあまりにも迫力が無く、むしろ何も感じ取ることが出来ない。


 森の中の心休まる空間じみたこの場所で、取り巻く環境が混沌過ぎて私の中に小さな混乱が生じ、それが恐怖を呼び覚ます。

 だが、その恐怖の根源は、傍らの小さな狂戦士なのか、それとも眼前の優男なのか。


 私には判断が付かない。


「どうしたのかな? お客さん、そんな壁など作ってないで、僕の屋敷で少し――」


 にっこりと微笑んで、優男が柔らかな言葉を発したと思った瞬間、エマが疾走(はし)った。

 私の障壁は、私自身が攻撃を行う関係上、内側からの攻撃は通る。

 でなければ私が身動き出来なくなだけだし、その程度は術式に織り込んである。

 当然エマの唐突な突進を妨げるような事は無いのだが、それは単身で安全域から飛び出すと言う事でしかない。


「あはははぁ! お兄さん、楽しそうだねぇ!」


 初対面の相手に落日を振りかぶって斬り掛かるとか、狂気以前に頭の具合を心配してしまう所業だが、当の本人は気にする筈も無い。

 そこに在るのは歓喜か畏れか、怖気(おぞけ)がするような笑顔を貼り付けたエマが、ともすれば私の動体視力を振り切るほどの速さで駆け、剣を振り下ろす。


 止めるどころか、声を掛ける暇もない。


 石や岩を容易く切り裂くその斬撃は、恐らく普通の金属ですら受け止める事は難しいだろう。

 だが、それは甲高い衝突音と共に、空中で静止した。


「おやおや、元気なお嬢さんだ」


 背筋を、冷たいものが滑り落ちる。

 何もない……そうとしか見えない、そんな空間で、刃は確かに止まっている。

 まるで私のそれを凌ぐ、より洗練された障壁がそこに有るかの様に。


 いや……有る、のだろう。


 凄まじい笑顔のままのエマは、その剣が当たっているであろう空間を起点に、一度離脱を図る。

 だが、全身に力を()めたその瞬間、彼女は空中へと大きく弾き飛ばされた。


「でも、いきなり斬り掛かるのは、感心しないよ?」


 優男には動きがなかった、その筈だ。

 なのに、エマの――しかも、落日を用いての攻撃を止め、あまつさえエマを吹き飛ばして見せた。


 視界の端でエマに駆け寄ろうとするアリスの肩を掴んで止め、私はエマの周囲に障壁を張る。

 吹き飛ばされた事で却って動きを捉えることが出来たから、エマを中心とした障壁を展開出来た。


 ちょこまかと、すばしこすぎる相棒というのも考えものである。


「止めるなよ! エマちゃんの援護を!」

 アリスが振り返り私に怒鳴る頃には、障壁の展開は完了していた。

 猶予が出来た、そう判断した訳でもないが、私はしかし視線をエマから外さず、声だけをアリスへと向ける。

「エマの、あの宝剣の一撃が届かない相手に何が出来るのですか? 破壊(こわ)されたくなければ、じっとしていなさい」

 しかし展開出来たとは言え、私の障壁が、果たして役に立つのだろうか。

 騒ぐアリスに静かに返しながら、私は胸中に渦巻く不安を払拭しきれない。


「お兄さん強いねぇ! すっごく楽しいねぇ!」


 着地と同時に再び駆け出す、エマの楽しそうな声が無邪気に響く。

 それはそれで私の中の恐怖の思い出が刺激されるのだが、状況はあの時より悪い。


「お嬢さんも楽しそうだね、うんうん、元気なのは良いことだね」


 対する優男は、あまりにも呑気だ。

 私でさえ呑まれたエマの狂気に晒されて、それでも現れた当初の雰囲気をひとつも崩すこと無く。


 エマの周囲の障壁が割れて砕け散る。


 男は動いていなかった。

 私はエマから視線どころか、意識も逸らしていなかった筈だ。

 私は意識を漂白された気分だったが、しかし、エマは気にも留めた様子もなく、その足を止めることもない。

 そして、そのまま。


 横薙ぎ、振り下ろし、思いつく限りの斬撃刺突の雨が、あらゆる方向から優男に襲い掛かる。

 だが、そのどれもが、微動だにしない男に――届かない。


「うん、お嬢さんに付き合うのも悪くないけどね。お友達も疲れているようだし」


 優男の視線が、不意に私のそれとぶつかる。


 斬撃の嵐の只中で、エマではなく私達を、私を見た。

 私に心臓があったなら、鼓動を跳ね上げていただろう。


 私が気を取り直す間もなく、男の視線はエマへと戻され。

 そして、私達の周囲に張り巡らせていた障壁が全て、飴細工のように砕けて消える。


 あの男との距離は、20メートル程度は離れている筈なのに。

 エマの爆撃にも数発耐えた障壁なのに。

 私が呆然と状況の理解を拒んでいる間に、そのエマは。


 鈍い音とともに水平に吹き飛ばされ、慌てて視線を巡らせた頃には大木に叩きつけられ、地面に落ちて転がっていた。


「休憩にしよう」


 柔らかなその声を背に私達は、恐らく強制的に機能停止――いわゆる気絶――させられたエマが、幸せそうな笑顔で白目を剥いて居るその場所まで駆け出すのだった。




 お茶会と言うものは、気が休まらないものだと聞いたことがある、気がする。


 なるほど確かに。

「こうしてお客さんを迎えて、お茶を振る舞う日がまた来るとはね。いやあ、長生きはするものだね」

 主催者は実に楽しそうだが、私たちはと言えば。


 私達一行の最狂格が手もなく敗北するような相手に、和やかな歓談など出来る心持ちでは無い。


 飾らずに今の心境を吐露するなら、逃げ出したい、その一言に尽きる。

 そんな有様なので、当然、会話が弾む筈もない。


 通された屋敷の一室、外からの光が室内に柔らかに広がり、小洒落た空間を演出しているが、そんなものに感心する余裕もない。

 エマは同じく屋敷内に通されたが、「治療の為」と称して別室へと運ばれた。

 横たわったまま、空中をふよふよと漂って廊下の先へ消えるのを、黙って見送るしか無かった。


 ――エマ、貴女(あなた)の事は、3ヶ月程度は忘れません。


 エマを見た最後の姿を想う私と、やはり言葉を発する余裕も無さそうなアリスとカーラが当然のように無言を貫く中、遠慮がちにドアを叩く音が室内を泳ぐ。


「どうぞ、入って良いよ」


 反射的に、と言うには緩慢な動きで視線を転がせば、ちょうどドアが開くところだった。

 戸口に現れた人影はペコリと頭を下げると、まっすぐに優男に顔を向ける。


「賢者さま、お客様が目を覚ましました」


 背は低い……エマとどっこいか、少し小さくすら見えるその少女は、どことなくエマを思い起こさせる可愛らしい顔立ちで、長いストレートの赤髪が肩越しに背中に流れている。

 そんな少女の横から顔を覗かせた小さな狂戦士が、すぐに私を見つけて笑みを咲かせる。

「あ! マリアちゃん! 私もお菓子食べたぁい!」

 凛と……いや、ツンとしたおすまし顔の少女との対比が微笑ましい。

 と言うか、無事だったどころか、思いの外元気そうでがっかりする。


 僅かにでも心配してしまった己の不覚を嘆くばかりだ。




 私は、少女が発した「賢者さま」と言う単語を、意識的に思考から排除するのだった。

現実逃避は感心しません。

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