8 交易の街、到着と混乱
いよいよ、街に到着しそうです。
野営する旅人や冒険者らしい人の群れを避け、街道脇では有るが岩陰の、ちょっと目立たない位置でドアを出し、2人揃ってドアを潜る。
同じような魔法空間を持っている旅人やらも居るとは思うが、絶対的少数では有ると思う。
だから、妙な連中の目を引かないような配慮だ。
私単品だったら気にもしないのだが。
玄関ホールで安心したように背中のリュックを下ろして手に持ち、少しだけ緩んだ表情を見せる同行者へと、視線を向ける。
私はいざとなればどうとでも出来るが、この少女はそうではないだろう。
下手にこの子を人質に取られ、魔法空間の明け渡しを要求されてしまったらと考えると、心が痛む。
いくら短い付き合いだったとは言え、私だって、好き好んで旅を共にした少女を見捨てたくはない。
面倒事の際には、そうするしか無いのだが。
とある事情から、私は知っている。
そこそこ戦える、そう自負する私とは次元の違う、化け物と称するに相応しい存在がこの世界には存在するのだ、と。
私にこの身体を譲り、使い方を指導してくれた先代が、調子に乗っては強者に目を付けられてしまうと注意を促してくれていた。
そんな先代の強さのレベルに、私は達していない。
そもそも私を救ってくれたとは言え、先代は本当に私に全てを伝えているのか、信じて良いのか迷うが。
それを踏まえた上で、この世界には恐らく……化け物が存在する。
私はそれを確信していた。
石造りのうら寂しい墓所の遥か西の空に、隕石と言っても差し支えのないような大火球が現れ、地平線の向こうへ消える様を、霊廟近くの木の枝に乗って眺めていたことも有る。
遠く離れ過ぎていたので、アレが本当はどれくらいの大きさなのか見当も付かないが、地平線の向こうへ消えていった辺りから、ちっぽけなものでは無いと予想できる。
私では気配を探る程度しか出来無い地脈も、最近なにやら乱れがち、というか何やらざわついているので、西で何かが起こっているのも判る。
……東からは、私が最初に見たおぞましい都市に感じたのと同様の、暗く冷たい気配が地脈に混ざってくるので、そちらにもあまり近づきたいとは思えない。
どうにもこの世界は、私のような平和主義者には過ぎた、物騒な事柄が多すぎるようだ。
少女と2人、並んでダイニングへと向かいながら、溜息が漏れるのを止められない。
ある意味で、と言うか、正しい意味で、と言うべきか、存在的な意味で化け物で在る処の私が、化け物のような存在に頭を痛めるのは、滑稽なことかも知れない。
ともあれ、そんな化け物相手に、たまたま旅路を共にしただけの少女の為に、辛うじて拾った命を投げ出すような義理は、私には無いのだ。
……無いのだ。
修練室で不得手な体内魔力の循環のトレーニングを行いつつ、瞑想っぽい何かを行う。
正直、魔力という物はこの世界に来て……うん? もうじき3年か?
それくらい時間が経っているが、未だにピンときては居ない。
なんとなーく、体内にホワホワするものが有るな、程度の認識でしか無い。
そんな曖昧なものが、熱線だったり光線だったり爆発する火球だったりになるのは、異世界どうこうと言うよりも、もはや夢とかそういう世界の話だ。
現実にそのように作用するのだから、諦めて受け入れるしか無かった訳なのだが。
先代は、魔力をキチンと「纏う」事が出来れば、いちいち自分の魔法で皮膚――擬似生体外装が焼け溶けて吹っ飛んだりとか、そういう事は無くなると言っていたが。
こんなホワホワしたものが、あの熱量だったり爆風だったりに耐えられるとは到底思えない。
そもそも、纏うとは何事か。
思い返すにつけ、いちいち言葉の足らない師匠であった。
直接先代に訴えた事も有るのだが、その認識の所為で上手く防御出来ないのだと嘆かれた。
信じれば叶うとでも?
もしそういう意味での発言だったのなら、どれほど胡散臭い話なのか自覚が有るのだろうか?
そんな風に思って居た、と言うか今もあんまり考えは変わっていないが、それでも、これからは人の目に晒されながら旅をすることになるのだ。
防御なんて事が出来るのなら、それは勿論出来るようになりたい。
とは言え、こんなホワホワが……。
自分の内にふわふわと浮遊するようなそのナニカをなんとなく感じながら、半信半疑な私はついつい小首を傾げるのだった。
納得も自分の魔力のコントロールも上手く出来ない感じで若干途方に暮れる私と連れの少女が、目的地の街に入ったのは夕刻の少し前のことだった。
昼過ぎには門前に着いていたのだが、街に入るための手続き待ちの列が長く、こんな時間である。
金の類は徴収されなかったが、魔法的な処理を施された水晶を使用した様々なチェック……犯罪歴の有無の確認が主だろうが、それに時間が掛かって居るらしい。
まあ、大きな街のようだし、トラブルを起こしそうな連中を排除しておきたいのは良く分かる。
しかしこのシステムは穴があるので、私のようなそれを知っている手合には、問題なく潜り抜けられてしまう。
一応は身を守るという名目は有っても、ここまでにそれなりの数の賊の類を殲滅して、更に分解……手足の切断までして居る。
……更には擬似生体外装の補修の為に幾らか取り込んでも居るのだが、思い出したい事でもないのでこの記憶には蓋をしておく。
ともあれ、平たく言って殺人者かつ食人鬼である私だが、ちょいと魔法を使うだけで特に問題なく街に入れる辺り、やはりこのシステムはザルと言って差し支えあるまい。
賊の類はデッド・オア・アライヴらしいので、殺しても咎められないのかも知れないのだが、殺して食ったとなればどう判断されるものやら。
さて。
街に入ることも出来たし、私達は当面の目的を達した。
寂しさは有るが、相手の都合も有ることだし、私としてもこのまま数日滞在して、更に北へ足を伸ばしてみたい。
決して楽しいばかりの旅では無かったが、同行者が居るというのは確かに張り合いがあった。
私は万感の、と言うには小さな郷愁を飲み込む。
「さて、どうやらこの街はベルネという街のようです。ここで――」
お別れですね、そう言い掛けながら、振り返った先の少女に目を向ける。
そこに居たのは、はっきりと不安げな表情でこちらを見上げる少女。
私は思わず、続ける筈だった言葉を飲み込む。
え? なにその……え?
何故か泣き出しそうな顔で見上げてくる少女に、私はどういう顔をしたものか。
想定外の事態に、しかし顔を背ける訳にも行かない私を、暮れゆく空に浮かぶ雲が見下ろしていた。
会話を重ねなかった弊害です。