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幕間・聖都の暮れ空

遠く、見つめる先は遠く。

 清潔な、それだけの薄暗い室内。


 室内の調度品に過度な装飾の類はないが、見る者が見れば決して安物ではないと判る、質の方向性が機能に割り振られているものばかりだ。

 私室で自由に出来る時間だというのに、簡易とは言え法衣に身を包んだまま窓を向いて椅子に腰掛け、暮れ行く空を見ているその姿。

 その佇まいからも、飾り立てるような事に興味が向いていない事が伺える。


「……クロエ。居ますか?」


 そんな彼女がポツリと、姿勢も変えずに呟く。

 当人も含めて、およそ動く者は見えない、薄暮の空間。


「居ると知っていて声を掛けたのでしょう? 聖女様」


 返事はそんな室内の、影の最も濃い、部屋の隅から上がる。

 薄暗く影の濃い位置とは言え、目を凝らしても何者かが居るようには見えない、そんな空間から。

「聖女様、ですか……。妹にまでそれでは、私は気を抜く事も出来ませんね。それで、『人形狩り』はどうなって居ますか?」

 しかし、やはり姿勢を変えず顔を向ける事もしない部屋の主は、当然のように言葉を返す。

 暮れる空の色を映し、青灰色に染まった白銀の髪も、一筋の揺れも無い。


「おや? お姉様は、聖女と呼ばれるのを気に入っているのかと思っていましたが。さて置き、『人形狩り』は共に連れ出した()()()()()共々、反応が切れました。失敗し(しくじっ)たとは思いますが、少しばかり妙なのです」


 珍しくからかう調子を滲ませたその報告に、しかし聖女と呼ばれたそれは咎める様子もなく、変わらず視線を窓の外に向けたまま、言葉だけを短く投じる。

「妙、とは?」

「例の『帰らずの都市』よりも北東。徒歩で1週間程度の位置。……領都トアズに向かっているようにも、そこから東に向かっているようにも取れる、微妙な位置です」

 影の報告を受け止め、考えるように口を閉ざした聖女は、少しだけ間を置いてから唇を開く。


「……私達が噂を耳にして2年、でしたか。それが今更動くとは……厄介事が積み重なって居るというのに、面倒な事です。とは言え確かに奇妙ですね」


 2年前に偶然存在を確認したのだが、それから数度確認の為に送った者たちの報告で、それは動くことは無かった筈の。

 最後に確認を行ったのは、半年以上も前の事だ。


 間が空いてしまったのは、東の王国、その一貿易都市に、看過できぬ存在が現れたためだった。

 その一方で数を減らす手駒の補充と質の向上には手が掛かり、それを言い訳に、1年以上も動かぬ目標に油断していたのも事実だった。


「ええ、妙です。偶然かも知れませんが、正体不明の『人形』……或いは全く別の何かかはともかく、そいつが今更移動する理由も判然としません」


 嫌気が差すなり飽きたりしての移動ならもっと遠くに居るだろう。

 もちろん、最近移動を開始したという事も当然有り得るのだが。

「気紛れでしょうか? 人形にしろ他の何かにしろ、同じ場所に留まり続ける理由は無いのですから。クロエはどう思いますか?」

 (こぼ)れた言葉に、しかし影は頭を振る。


 問答を重ねる2名には、想像が及んでいないことが有るとは気付けない。

 彼女達が派遣した「人形狩り」は、命令通りに動いている筈だと思い込んでいたのだから。


 目的地へ到達する前に見掛けた妙な二人組について()()へ相談することもなく、勝手な判断で攻撃を仕掛けた挙げ句、あっさりと撃破されたのだ、などと、知ることは無かったのだ。


「無いとは言えません。……ですが、私が嫌々育てた駒を全滅させたそいつは、定期的に送った監視用の駒を悉く消し続けていました。それなりに隠密に長けた連中が、かろうじてその存在を報告出来る程度の時間で、です」


 影は迷うように、考えるように僅かに言葉を区切り、リズと呼ばれた女性はそこに言葉を挟む事をせず続きを待つ。


「お陰で手駒の再育成ですが……ともあれ、監視を嫌って移動するならもっと早く移動していると思います。気に留めていなかったなら、今動く理由が理解(わか)りません。……こんな事なら、もっと早く私が動けば良かったです」


 繰り返すように、確認するように言葉を連ねながら、クロエと呼ばれた影は声に微かな苛立ちの色を混ぜる。

 その声を受け、聖女は初めて小さな溜め息と共に立ち上がり、いよいよ闇に近くなる室内へと向き直る。

「それについては、愚鈍な中枢の方々の所為(せい)です。貴女(あなた)が気に病む必要は有りません。しかし、困りましたね……」

 言葉程には感情を感じさせない声が、冷たく揺蕩う。

 およそ人間的な暖かさを纏わない、造り物の感情にすら、追いつけない音声。

 どんな表情で放ったものか、その顔は室内の闇に溶けて見えない。


「……今度こそ、私が向かいます。どうせ、私の存在は中枢の中でも、限られた者しか知りません。それに、幾ら『当たり』の連中とは言え所詮人間。私が動いたほうが早いでしょう」


 影が一歩進み出る。

 闇に沈みつつある室内で、黒く長い髪が揺れたように見えた。

 その声が纏う決意に似た何かが、闇の中に闇を幻視させた。

「……止めたい所ですが、もしも最初の報告通り驚異的な力を持つ何かが人形であるなら、最低限()()の邪魔だけはされたく有りません」

 およそ親愛であるとか、そういった情の全く見えない、並べただけの音の遣り取り。

 それで充分だった。


 意思疎通は出来る。

 これで充分なのだ。


 ()()は、違うのだから。


「駒の育成には資金も時間も必要ですし……確認だけでも、お願い出来ますか?」


 蒼い筈のその瞳が、向かい合う黒い瞳を捉えて銀色に輝いた、そんな気がした。


 手駒の育成やその費用、手間など気にしては居ない。

 迂遠な計画に手を貸し、暇つぶしとは言え目的に沿ってここまで、自分達の時間を使い、本来の役割を隠してまで付き合ったのだ。


 支配者気取りの間抜けが面子を潰された所で気にも留めないが、それなりに楽しんでいる遊びに、盤外から横槍を入れられるのは面白くない。


「構いません。本来の私の用途とは違いますが、全てはお父様の願いのため」


 応えながら、影は一歩進み出る。

 彼女には遊びの意味は理解出来ない。

 本来の役割を、その手を止める意義が見えて来ない。


 だが、他ならぬ聖女……リズの指示なら、従うに否は無い。

 リズなら、本道を違える事は無いだろう。

 

 最終的に、お父様の願い通りになれば良いのだ。


「そうですね、クロエ。……お父様の願いの為に」


 聖女の返事に踵を返し、闇に溶けるように消えた影は、だから、見えなかった。

 見なかった。


 その白皙の美貌に浮かぶ、残酷な微笑みを。




 夜の闇より冷たく暗い何かに包まれた都市(まち)を、人に似た人では無い影が足早に行く。

 行き交う人々に忌々しげな視線を投げ、すぐにその視線を空へと向ける。


 星々の寒々しい光が、ばら撒かれたようにわざとらしく一面に広がっていた。

その先に、何があるのか。

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