82 続く旅、儚い絆
……元は誰の身体だったか、良く考えて行動して欲しいものです。
「……はあ? 言ったんですか? 馬鹿ですか貴女」
口元を拭い、床に洗浄の魔法を掛けて、一息ついてから私はアリスに向き直った。
人の話を聞く際には、飲料を口にしない、そう心に決めて。
「ああ、言ってやった言ってやった。そしたら全員ポカンとしてさ」
アリスはその時の情景を思い出したのか、笑みを零しながら言う。
まさか私の失態をまだ笑っている訳では無いだろうが、下衆な疑念はなかなか拭えない。
「これはアンタも知らないだろうけどさ。私のマスターは割と最近のだろ?」
アリスはニマニマとした笑顔を引っ込め、真顔でそんな事を言い始めた。
「そう、ですね。私も名前を知っている程度ですし、作品についてはアリスしか知りません」
妙な見栄を張っても仕方がないので、素直に首肯する。
アリスの制作者は、確かマスター・ヘルマンだった筈だ。
人形の素体設計で名を残したと記憶していたが、肝心の作品については全く資料が無い。
アリスに出会うまでは、実物を造れなかったのかと思っていた程だ。
私の内心を知らないアリスは私に頷き返して、言葉を続ける。
「まあ、私以外の作品は知られていないって言うより、居ないんだよ」
アリスの告白に近いそれに、私は得心した。
やはり、アリス以外の完成品は無かったのだ。
「私を完成させるのに全財産を使い果たしてね。最後は餓死だった」
いち人形師の凄まじい最期を、アリスは淡々と語る。
さしものエマもその顔に笑みは無く、カーラもまた、自身のマスターの最期を思い出したのか、沈痛な面持ちで聞いている。
「そのマスターの研究費を打ち切り、魔導師団から追い出したのが……ウィルヘルム・レイナルト・トアズ。3代前の領都の領主様さ」
静かに、感情を押さえた声が、食堂に響いたように思えた。
実際には大きな声では無いのに、まるで悔恨で響く鐘の音のように。
「理由は、その当時この領で人形が暴れたらしくてね。討伐に出した領軍は壊滅、人形はほぼ無傷で戦場を去った。領軍の被害の中には、領主様の次男坊が居たって訳さ」
私の口からは、溢れる言葉もない。
人形討伐に失敗し、息子を失った領主。
人形どころか、それを造った者、研究する者をも憎悪しても、不思議では無い。
とは言え、領軍を相手に無傷で切り抜ける人形となると、並の作品では有るまい。
私は何となく、エマを凝視してしまう。
「……えっ? マリアちゃん、その人形が私だと思ってるぅ?」
「可能性は有りそうですし、そうであっても驚かないとは思っています」
心底驚いた顔のエマに、私は無表情で返す。
そんな私の言葉にショックを受けた様子のエマだが、少し考えて、口を開いた。
「ゴメンねぇ、大体いつも暴れてたしぃ? いっぱいの人に囲まれたことも数え切れないくらい有ったから、わかんないやぁ」
清々しい程好い加減な回答に、私は落胆せず、表情も変えない。
何故なら、そんな事だろうと思っていたからだ。
「いやうん、それがどの人形かなんてどうでも良いんだ。今更だし、実の所、私は当時の領主様さえ恨んじゃ居ない。恨んじゃいないが、使えるカードでは有るだろう?」
エマが視線を巡らせるとアリスは軽く笑って答え、そしてアリスは私へと顔を向ける。
「だから、領主の使いに言ってやったのさ。マスター・ヘルマンはお前らを許しちゃ居ないし、その作品である私だってそうだ、ってね」
私に向いた顔が、いたずらっぽい笑顔に変わる。
「趣味の良くない脅しですね。それが効く程、彼らの記憶に残っていたのですか? マスター・ヘルマンは」
マスターの扱いに関して恨んでいない、と言うのは事実だろう。
アリスは私と同じく、人間の魂が人形の身体に収まっている。
作成当時の人工精霊では無いのだから、その辺りの話はほぼ他人事なのだ。
「知ってたみたいだね、顔を青くしてたし。ザガン人形だけでも何考えてるか理解んなくて危ないってのに、ハッキリと自分とこの領主様に恨みを持ってるヘルマン人形とつるんでるとなると、下手に抱え込んだらヤバいと思ったんだろうね」
アリスはカラカラと笑い、グラスの水を飲み干した。
彼女にとっては単なるハッタリだろうが、受け手にとっては芯の有る話だ。
ダシに使われたマスター・ヘルマンも浮かばれまいが、そのヘルマン師を冷遇し、実質死に追いやったのは当時の領主。
その男の作品だと名乗られては、英雄だなんだと持ち上げる気にはなれまい。
「冒険者として活動してた誼でバケモンは斬り伏せたし首謀者も捕まえたけど、この領に仕える気は無い。しつこい様なら、今からマスターの無念を晴らしても良いんだぞ、って言ったらもう、引き留められなかったよ」
笑いながら言うアリスに少し引きながら、しかしそれも道理だろうと納得してしまう。
向こうはアリスという人形が完成していたことは勿論、アリスの中身が変わった事など、知らないのだ。
アリス人形がヘルマン師の遺志を継いでいると思い込んでも、それほど不思議では無いだろう。
「なるほど、事情は理解りました。晴れて冒険者を卒業、おめでとう御座います」
アリスが待ち合わせに遅れた事も、疲弊して私達の前に現れた事情も理解出来た私は、小さく吐息を漏らしてから、冷めつつ有るパスタに手を伸ばす。
彼女の長い長い話は終わり、彼女が啖呵を切って冒険者を辞めたお陰で、私も領主様に接見する必要も無くなって、めでたい事だ。
そう呑気に考えた所で、気づいてしまった。
いや、思い出しいたと言う方が正しい。
「……それはそれとして。アリス、私は結局、何故貴女に待たされたのか、その理由を聞いていません。今の話は、それとは関係有りませんね?」
私がフォークを動かす手を止めて声を上げると、安心して食事に勤しもうと思っていたらしいアリスの手も止まる。
だが、顔を上げることはしない。
「私を待たせた、その理由をお伺いしても?」
アリスはその話題から逃げたい様子だが、なあなあで済ます心算は無い。
アリスは暫し私から目を背けてパスタを眺めていたが、観念して顔をこちらに向ける。
「……えーっと、無関係でも無いんだけどね? 最初は領主まで出てくると思わなくてさ。ただ、冒険者ギルドとしては、ザガン人形には手出し出来なくても、野放しにも出来ないとか言い出すとか思ってさ」
顔は私に向いているが、目は逸らされている。
私の目が半分閉じる。
「だから、アンタたちの首輪になるとか言って、適当に領都を離れようと思ってたんだよ」
目を泳がせ、頬を掻きながら、言い訳じみた事を口にする。
やはり、理由はどうあれ、私たちと同行する気だったらしい。
「なるほど。その予定でギルドマスター辺りと話を詰める予定が、想定外に大物が出てきて、自分ごと囲われそうになって逃げてきたと」
突き放すように冷たく言うと、何故か隣のカーラが身を竦ませた。
なんでお前が反応するのか。
「端的に言うと、そうなるかな?」
アリスは弱々しく笑いながら答え、しかし冷え切った反応の私に頬をひくつかせ、そして観念したように肩を竦めて軽く両手を挙げる。
その後に続くであろう言葉を、私は言わせない。
「なるほど、まあ、お尋ね者になった訳でもないでしょうし、これからは気楽な旅人生活です。冒険者ギルドから依頼を受けられなくなるだけで、狩りでもすれば収入はなんとかなるでしょう。今後の旅の安全をお祈り致します」
私は半眼のまま、流れるように言葉を並べ、わざわざ席を立って慇懃に頭を下げる。
理由は変わったが、アリスの目的は変わっていない。
私としてもそれを断る理由は無い。
無いのだが、受け入れる理由も同じく無いのだ。
「え? いや、ちょっと待って……?」
アリスにしてみれば思いも寄らない反応だったのだろうか。
これまでに幾度も非友好的な応酬を繰り広げた仲だと言うのに、ここ一番で気持ちが通じないのは悲しい事である。
「アリスさんはこれから、色々とご苦労されるでしょうが、同じ旅人として応援しております。是非頑張ってください」
おひとりで、と言う文言は省略する。
ニッコリと笑って見せた心算だが、上手く表情を作れているだろうか。
まあ、カーラですら表情を変えられるのだし、私に出来ていない筈は無い。
「いや、あのさ、話を聞いて欲しいんだけど」
「何処かで出会ったら、旅の話を聞かせて下さいね」
困惑顔のアリスだが、有無をも言わせず言葉を被せる。
ケタケタと笑い出すエマ。
下手に手を出せない様子で、ガタガタと震えるカーラ。
この空間からは見えない、夜の帳が落ち始めた空を、3つの青い光が東へと駆けて行く。
悲喜こもごもの夜の始まりは、アリスの送別会から幕を開けるのだった。
魔法住居内からは、直接外界を観測する手段は限られますが、さて。