80 晩餐会談、新メイド? を添えて
さて、マリアに新人教育が出来るでしょうか。
食事の載ったワゴンを押すと言うよりも、なんとか縋り付くような有様で、カーラは隣りにいる私に目を向けることもしない。
足取りは重いどころかガクガクと膝が笑い、なんとなく心配になってしまう有様だ。
「大丈夫ですか? もしもワゴンを倒したりしたら大変ですよ?」
心配した私が優しく声を掛けると、びくりと震え上がる。
失礼な反応である。
「だだ大丈夫です! 生命に代えても死守します!」
真っ青な顔でそう答えるが、決して目を合わせようとしない。
初対面時の、あの無駄に偉そうな態度と口調は何処に忘れてきたのか。
「……あんまイジメないでやって。アンタをキレさせたらどうなるか、身をもって味わったんだからさ、そいつ……」
飛んできた声に顔を向けると、同情的な顔のアリスがカーラを眺めている。
その隣では、期待顔でワゴンを見つめるエマが目に入る。
見た限り、エマはカーラに全く興味を持っていない様子だ。
うん、まあ、私に圧倒された様な相手では、戦闘狂気味の人形の眼中には入ってこないだろう。
アリスの懇願とエマのあんまりな態度に毒気を薄められ、私の中にもカーラに対する同情が少しだけ湧いてきた。
だが、アリスの台詞にはどうしても聞き流せないモノが混じっている。
私は確かにカーラを叩きのめして電撃で顔面を焼いたが、決して怒っては居なかった。
多少の苛立ちが有ったことは認めるが、「キレた」と言われる程前後見境が無かった訳では無い。
無いのだが、まあ、言っても聞き流されて終了だろう。
「カーラ、お手伝い有難う御座います。配膳は私がしますので、席に着いて下さい」
気持ちを整え、先程とは違う本当に気の毒な気持ちを小さじ半分程含めた声でカーラを労うと、私はテキパキとそれぞれの前にスプーンとフォークを並べ、渾身のボロネーゼを配って歩く。
挽き肉は例によって猪肉を、包丁二刀流でミンチにしたものだ。
カーラにクドクドと説教という名の言葉責めをしながら。
「……アンタの手料理って言うから、てっきり生肉が塊でパスタに乗ってるのかと思ったよ」
アリスはヨロヨロと席に着くカーラに憐憫の眼差しを送り、その視線を手元の皿に落としながら、放心したように呟く。
どこまでも失礼な事だ。
「自分で食べたいと思えないような物を、他人様に振る舞う訳が無いでしょう。それとも、そういうモノがお好みですか?」
白々とした眼差しを無遠慮にぶつけて見ると、こちらに顔を向け直したアリスがうんざり顔で両手を挙げて見せる。
「あー、悪かったよ、作ってくれた物に文句は無いんだし、意外だと思うのも口に出したらそりゃ失礼だ。悪かったから、機嫌直してくれ」
思った以上に素直に謝罪を口にされては、却って面食らってしまう。
どんな事を言われてどう返してやろうかと待ち構えていた私だが、これに対して嫌味で返しては流石に人格が疑われよう。
そう思い、素直に謝罪を受け入れようとした私だが、ふと気が付いた。
「……謝罪は受け取りました。私も大人気無かったと謝罪致します。所で――」
一度頭を下げて、それから私は視線を動かしながら、言葉を続ける。
視線の先に居るのは、顔色が青を通り越して白くなっているカーラだ。
「このカーラの処遇について、分解して資材にするか、人工精霊を消去した後にエントランスに飾るか、どちらが良いか相談したかったのです、が」
まずは軽く、小洒落た会話でも楽しもうと話題を出せば、アリスはもの凄く気まずそうな顔をカーラに向け、カーラは胸の前で祈るように手を組み、泣き出しそう……と言うか泣きながらイヤイヤと首を振っている。
この反応だけでアリスの思惑は汲み取れたが、それよりもこの空気の中、ヘラヘラ笑っているエマが怖い。
まあ、事前に似たような話をしたエマは結果も理解出来たのだろうし、相方が特に賛成も反対もしないのなら、私としてもどうでも良いし、敢えて有耶無耶のまま宙ぶらりんにしておいても面白いだろう。
問題は、そこでは無いのだから。
「それより先に、私は貴女に『待っていろ』と言われた理由を、まだ伺って居ません。どう言った理由で私の旅の足を止めたのか、是非お聞かせ願えますでしょうか?」
今ひとつ、私の機嫌が優れない理由、その大元。
アリスに説明無しに足止めされたその言い訳を、是非開陳して貰いたいものだ。
本来なら無視して旅を続ける場面だったのだが、何故かエマに圧を掛けられ、結局アリスを待つことになってしまった。
それも、待ち合わせのおおよその時刻から、4時間も余計に待たされて。
その結果さらに一泊足を止める事になったし、夕食と言うには些か早い時間だと言うのに、苛々する心のままにパスタを茹で、肉を微塵に叩き、ソースを仕上げてしまった。
これでその理由が「冒険者としての依頼を手伝え」とかだったら、問答無用で叩き出す。
そんな意志を目の奥に滾らせ、私はアリスの言葉を待つ。
私の醸し出す気配にカーラは更に顔色を失くし、エマは我関せずでフォークにパスタを巻き付けている。
「あ、エマ。チーズと香辛料をかけても美味しいですよ」
楽しそうに食事に取り組むエマに一言添えて粉チーズと小瓶に入った液状の香辛料……タバスコに酷似したそれを押してやると、エマは輝かんばかりの笑顔を向けてくる。
「ありがとぉ! 試してみるね!」
空気というものを完全無視したエマの元気さは、アリスの緊張を多分に和らげる効果が有ったようだ。
バツの悪そうな表情を一度エマの方に向け、口元を苦笑で和らげ、改めて私に視線を合わせる。
「あー、その、な? 実は私……冒険者辞めてきた」
どんな無理難題を言われるのか。
そう身構えていた私は、予想外の方向からの攻撃に咄嗟の反応も出来ず、ただ呆けた顔をするのが精一杯だった。
アリスの言い訳一言目は、まさかの無職化宣言だった。
呆気に取られる私を一瞥し、溜息を吐いて、アリスは説明を始める。
始まりは、昨日、冒険者ギルドに戻った所からだった。
「冒険者ギルドにさ、あのヒゲメガネを持って行った訳だけどさ」
ヒゲメガネ。
名乗った意味が水泡に帰したヘクストールだが、同情する気も起きない。
眼鏡は昨日、アリスが大木に叩き付けた時に衝撃で紛失していた筈だが、それもどうでも良い事か。
「あんな大事件を起こした犯人だし、衛兵なり領軍に突き出すくらいは覚悟してたけど」
アリスはそこで言い淀み、気持ちを落ち着けるようにパスタを口に運び、水の入ったグラスを傾ける。
私は口を挟まず、続きを待つ。
「まあ、あのヒゲメガネは良いんだけどさ。もう半分死んでるようなもんだし、この先ったって、どうせ死罪だし」
溜息でも漏らしそうな勢いで、アリスは目を閉じ、私はただ頷く。
「たださ。バケモンが20数体暴れて、冒険者どころか衛兵にも領兵にも、一般人にも犠牲が出た訳で」
私は表情には出さず、内心で小首を傾げる。
だからこそ、ヘクストールは死罪を免れないのだろうし、そんな事を殊更言い出す理由が見えてこない。
「あんな、トアズでも指折りの上級冒険者が手も無く殺されたような、他にも数人で連携して防戦がやっとだった化け物を、あっさりと倒したのが居る、ってのがどうもね」
……何となく、見えてきた気がする。
私はすぐ傍にエマという化け物が居て、もっと言えばヘクストールの小物感が酷すぎて、考えが及んで居なかった。
確かに、そもそもの現場となった冒険者ギルドハウス及びその前の広場では、私とエマが駆けつけた時には、既に血の海だった。
それが誰の死体だとか、全く気にしていなかったので失念していたが、冷静に考えれば交戦を試みて殺害された、戦闘に長けた者達が居た事は明白だ。
私達の戦闘行為を見ていた者が居ただろうとは予想していたが、その直前に、冒険者ギルドが、そして一般の市民たちが頼りにする冒険者が、兵士達が薙ぎ払われて居たのだと、そんな事も……認識しては居たが、全く気にしていなかった。
「……で、だ。冒険者ギルドとしては、英雄として、私と、アンタ達を領主様の前に引っ張り出したくなった訳だ」
堪えきれず嘆息し、アリスは忌々しげに吐き捨てる。
聞いた私もげんなりと表情を歪め、エマは変わらずパスタを楽しみ、カーラは理解らないなりにオドオドしている。
「それはまた……迷惑な話ですね」
堪らず口を挟んだ私に、アリスは大きく数度頷き、愚痴を再開する。
「だろう? そんな面倒事、冗談じゃない。私はただのCランク冒険者だ、昨夜はそう言ってギルマスを振り切って逃げたんだけどさ」
パスタに視線を落とし、アリスは心底嫌そうにそれをフォークで突付いている。
流石の私も、それが料理に不満があっての事とは思わない。
珍しく混ぜっ返しもしない私の前で、アリスはくるくるとパスタを巻き、しかし口に運ぶでもなく、弄んでいる。
「今朝、改めてギルドに顔を出したらさ? 領軍のお偉いさんと、なんと領主様の御使いの方がいらしてた訳だ」
そんなアリスの放った一言は、彼女を取り巻く状況が悪化した事を表す忌々しい物だった。
私なら即逃げ出そうとする。
いや、逃げる。
アリスも露骨にそうしたかどうかは不明だが、内心は似たようなモノだったのだろう。
「待ち構えられてちゃどうしようも無い。大人しく話を聞いたら、やれ、あのヒゲメガネは近日中に領主様直々に裁かれるだろう、ってさ。それは良いよ、判ってる事だから。だけどさ」
領主がわざわざ遣いまで寄越して、そんな報告だけで済む筈が無い。
よしんば報告のみだったとして、アリスに聞かせる理由が無い。
幾らアリスが当事者だったとは言え、一介の冒険者。
捉えた犯罪者の沙汰など、ギルドを通じて伝えれば済む話だ。
そうしなかった理由、アリスを領主の遣いが待ち構えていた理由。
他人事ながら、私は倦怠感を覚えた。
「領主様が直々に報奨を与えたい、と来たもんだ。それも私だけじゃなく、アンタ達も、ってね」
私はアリスから少しだけ目を逸して盛大に溜息を漏らし、その視界の隅でもう何度目か、アリスが大きく頷いている。
夕刻、私達の前に再び姿を表したアリスが何処か疲れているように見えた理由が、ようやく理解出来た。
「もう、報奨の見当が付いて、心底嫌ですね」
「だろう? 私だって御免だよ。気楽に旅するのに便利だから冒険者になっただけで、英雄なんて柄じゃないっての。それが――」
思わず口を突いた言葉に、アリスは同調する。
「領主様のお抱えの戦力になるなんざ、褒美でもなんでも無いよ。嫌がらせだろ、そんなモン」
アリスの言葉には、私も全霊で同意せざるを得ない。
ただの妄想と言うには有り得過ぎる話で、その上相手の思惑が透けて見え過ぎている。
流石に手を止めたエマと目が合うが、彼女は何も考えていないような笑顔のままで、私を見ているのだった。
危険な人形を抱え込もうとは、なかなか剛毅な領主様のようです。