76 捨て鉢
そろそろ、魔力操作の修練を本気で行ったほうが良いと思います。
服が破れる程度は想像していたが、右袖が完全に吹き飛んだのは少し驚いた。
あと、エプロンも胸から右肩に掛けて吹き飛び、服も多少ダメージを受けた。
服が破れた隙間から下着が覗いてしまっているが、その下着は特にダメージを受けた様子は見えない。
このブラ、素材は何なのだろうか。
右腕は手首から先が激しい火傷に見える状態になっているが、逆に言えばその程度のダメージなのに服が派手にダメージを受けたのが理解らない。
カーラは電撃に顔面を焼かれ、見た目のダメージは大きいようだが、内部骨格に阻まれて人工精霊へのダメージは大幅にカットされてしまった様だ。
とは言え、全くの無傷で守り切ることは出来ず、魔力炉の機能低下と合わせて押し寄せるダメージに耐えきれなくなった彼女はその機能を完全に停止してしまった。
トアズの冒険者ギルドを襲い、冒険者のみならず無関係の住民を殺害したのはヘクストールで、カーラは関与していない。
それはそうなのだが、だからと言って完全に無関係とも言えまい。
しかし、カーラの存在を素直に明かし、捕縛に協力して領軍に突き出したとして、だ。
そんじょそこらの冒険者ではまともに相手出来そうも無い、そんな化け物人形をいつまで捕縛したままで居られるのか。
そんな設備が有るのか。
そもそも、そんな化け物を捕縛可能なほどに追い詰めたのは誰なのか。
それをアリスに被せたとして、じゃあ、冒険者ランクCのアリスに本当にそんな事が可能なのか、詰問されるだろう。
面倒事に違いないが、私は関わらない、とは行かないだろう。
私がその心算であっても、アリスがそれを許さないだろうし。
「お……おーい、アリス? なんか人間みたいなモンが壁突き破って出て来たけど、これ大丈夫なのか? つか、お前は無事なのか?」
カーラをミスリルロープで適当に、上半身は服ごと亀甲に、下半身はスカートを剥ぎ取るのが面倒なのでぐるぐると、拘束しながらどうでも良い事を考えていると、すっかりと忘れ去っていた存在が壁に空いた大穴の向こうから、遠い声を投げてきた。
まだ居たのか、体調は大丈夫なのか、ええと……ギルド職員の人。
そんな事を考えながら壁の大穴に向けた目をなんとなく転がせば、アリスが私に……なんというか、凄く冷たい目を向けて居た。
私は何かしでかしただろうか?
「私は無事だよ。怪我も無い。そいつが今回の犯人だよ、私もすぐ行くから、取り敢えずそいつを拘束してくれ」
視線を私から外すと、アリスは外に向かって不機嫌に応える。
それから私に顔を戻すと、やはり嫌そうに口を開いた。
「……もう、縛り方はどうでも良いから、それ適当に片付けて」
それだけ言うと、もう私の方には目を向けず、さっさと真新しい出入り口から表へと向かう。
カーラの拘束の仕方が気に食わないのか、私の格好が扇情的過ぎるのか、それとも別の何事かか。
私はアリスの不機嫌の理由に考えを巡らせるが、すぐに興味を失った私は手早くカーラを縛り上げ、取り敢えず魔法住居のエントランスへ放り込み、ついでに手早く衣服と右手の修復を行って、何食わぬ顔で元は壁だった大穴を潜るのだった。
荒屋を出ると、既にヘクストールは捕縛されていたが、それ以前に意識を失っていた。
アリスと……確かチャールズだったか、ギルド職員が今後の事を相談している間に頑張って鑑定を掛けて見ると、どうやらアリスさんはお怒りだったらしい。
ヘクストールは脊椎を損壊し、下半身不随、とある。
この男に限って言えば自業自得、寧ろ命があるだけマシだろう。
この後はこの国の法で裁かれる訳で、あの現場の惨状を考えれば良くて死罪だろうから、生きている事を実感できる時間は残り僅かであろうが。
カーラに関してはチャールズは確認していないし、ヘクストールが何を言った所で実在を証明できなければ狂人の妄想で片がつくだろう。
私としても貴重な資材を確保出来た訳で、まあ、アリスの同行を黙認した甲斐があった。
外骨格式の人形は初めて見たので、人工精霊を消去したら修復して、暫くはエントランスに飾っても良いかもしれない。
人形の屋敷に飾られる人形、なかなかに洒落ているではないか。
「おい、変態。一度冒険者ギルドに戻るよ。アンタ達も来な」
そんな事を考えていると、アリスが凄く嫌そうに声を掛けてくる。
それは良いのだが、まず変態とは何事か。
それと、さり気なく言っているが、何故私達も戻らねばならないのか。
外でチャーズと適当に談笑していたらしいエマが私の傍に立つが、そのエマも戻る話は聞いていなかったらしく、私を見上げている。
「私達が冒険者ギルドに顔を出す理由が理解りませんし、そもそも私達は正規の手続きを経て外に出た訳では無いので、そう簡単には領都には戻れないでしょう? 私達はこのまま出立しますので、そちらはお任せ致します」
なるべく冷静を心掛けて、さり気なく面倒事を丸投げしてみるが、アリスの冷たい表情はピクリともしない。
「アンタも関係者だから、証言が必要でしょうが。衛兵には私達が話すから、戻るのに問題は無いよ。どうせ領軍の人に事情説明するだけですぐに終わるんだから。それとも何? 面倒事をこっちに押し付けて、アンタはのほほんと逃げる心算かい?」
表情だけでなく眼の底にまで冷たい光を湛えて、アリスは私の目を覗くように言葉を紡ぐ。
「当然ですよ。面倒事と理解って首を突っ込む趣味は無いのです。暴れたのは、流石に私だってあの惨状は不快でしたので、憂さ晴らしです」
そんなアリスに、私は当然の事の様に、腰に手を当てて胸を張って答える。
私は面倒事は御免なのだし、トアズ観光もある程度満足もしている。
綺麗で活気の有る良い街だとは思うが、悪く言えば特に目を引く特色を見つけられない、そんな街だと早々に見切りをつけてしまっていたのも有る。
どちらかと言えばベルネのごった煮のような雰囲気よりはトアズの方が好みでは有るが、どちらにせよ定住出来ない身の上なので、どうしても深い所まで見てみよう、という気にはならないのもある。
アリスはその冷たい空気を緩めること無く、腕組みで私を睨めつける。
「それを理解って逃がすと思うのかい? 幾ら何でもあの惨状を、私がひとりで収められた訳が無いなんて誰だって判るだろ。中級やら少ないとは言え上級の冒険者連中が何人か犠牲になってるのに」
なるほどアリスの言い分は判った。
だが、判ったからと言って、私が出向く理由が……。
まさか。
「……ほら、アレですよ。危機的な状況で仲間達を護るために、アリスの秘められた力が目覚め……」
「そんな都合の良い話なんざ無いし、アンタ達が暴れてんのも見られてるに決まってるだろう。その目立つ格好で、他人の空似なんて逃げるのは流石に無理だぞ」
嫌な予感に取り憑かれた私の逃げ口上を断ち切って、アリスは淡々と言葉を連ねる。
「いえいえいえ、メイド服なんて珍しくないでしょう? 街角でも、ちょくちょく見掛けましたし」
「メイド服で大暴れする非常識な奴は充分珍しいし、冒険者が手も足も出ない化け物相手に圧倒するメイドなんてそうそう居る訳が無いだろう」
それでは反論の角度を変えてやろうと試みれば、それすらもバッサリと斬り捨てられる。
「世界は広いのですから、人形と渡り合えるメイドのひとりやふたり……」
「現実を見ろ。そんな奴がそうそう居て堪るか」
尚も見苦しく足掻く私を言葉で足蹴にし、アリスの眼光は依然冷たいままだ。
私は言葉を一旦飲み込み、深く息を吐く。
そして。
私は、呼吸を整え、穏便に場を納める努力を放棄した。
「……その流れだと、下手すると私は冒険者にさせられそうなのですが? 私はそんな心算は無いですし、そんな事を言われたら全力で暴れますが、それでも宜しいのですか?」
なるべく低く、常以上の丁寧を心掛け、まっすぐにアリスの目を見て言葉を紡ぐ。
突然様相を変えた私の面持ちに、アリスは流石に怯む。
「……そんなに嫌なのか……。正直、その度胸は冒険者に是非欲しいんだがなぁ……」
アリスの向かいに立つ、チャールズが冷や汗を浮かべて言う。
この男は冒険者ギルドの職員だった。
ならば、あの冒険者ギルド前でのイザコザも見ていたのだろう。
私は視線をチャールズに向け、すぐにアリスに戻した。
「私が他者に与える猶予は、常に1回です。冒険者になれと言われたら全力で暴れる、そう告げた筈です」
アリスの眼光が弱まり、口は開くが言葉は出て来ない。
視界の端で、チャールズが己の失態に気付いた様子で口元を覆うが、もう遅い。
「次は容赦しません。私の名に誓って」
冗談で済む間に、私を見逃せば良かったのだ。
私は目を閉じ、ほんの僅か、逡巡する。
私が正体を明かした所で、誰に何が出来る訳でもない。
覚悟を決め、苛立ちを振り払うように目を開く。
向こう10年は、この街には来れないかも知れない。
それだけを、少しだけ残念に思いながら。
「次に冒険者になれ、などと言われたなら。マスター・ザガンの最後の作品、『墓守』マリアとして、あの街が瓦礫と化すまで暴れると宣言します」
アリスは酷く嫌そうな顔で溜息を漏らして頭を掻き、チャールズは私が何を言ったのか吟味するように押し黙り、数秒後に目を見開いて。
エマは、何かを期待してその瞳を輝かせるのだった。
エマは多分、背中を押してくれそうです。勿論、暴れる方を。