62 人形はハートが命
人形アリスは元人間。断定したマリアですが、果たして。
「中身が……変わった? 私に近い……?」
驚くほどの判り易さで、アリスは身構える。
警戒ももっともだが、今さっきのされたばかりだというのに、何に対して身構えているのだろうか。
逃げ出そうとするほうがまだ理解出来る、そう思い掛けて、彼女は仕事の最中なのだと思い出した。
護衛任務を放棄して逃げ出すわけにも行かない、か。
「やれやれです。折角私が秘密を打ち明けたと言うのに、つれませんね。もっと心を開いて欲しいものです」
優しい私は職務に忠実な冒険者人形に敬意を表しつつ、心に湧いた幾ばくかの寂寥を言葉に変える。
「いきなり暴れ出すような危ないヤツを相手に、どう心を開けって?」
しかし、そんな感傷的な私に対して、アリスの反応は冷たいものだ。
圧倒して見せた挙げ句、優しく解放してあげたというのに、何が不満だというのか。
そもそも、アリスが素直に話を聞く態度を見せてくれて居れば、私だって無闇に暴れたりはしないというのに。
「そこは、開く側の考えにお任せします」
私は嘆息すらも億劫な心持ちで、後方のエマに若干の注意を払いつつ、おどけて応える。
いきなり暴れ出す、と言う単語に相方の存在を想起したのだが、その相方は最早アリスの戦闘能力には興味を失った様子で地面に三角座りして、私達の会話を黙って聞いている。
……ここには私達しか居ないからまだ良いが、エマは自分のスカートの丈の短さとか構造をもう少し考慮すべきだと思う。
「アンタ、元人間って言ってたな? 元々そんなに喧嘩っ早いのか?」
どうでも良い事に気を取られた私の耳に、アリスの呆れた声が飛び込む。
私はやや驚いてアリスを見るが、思い返せばなるほど、アリスとエマの会話に苛立った私が急に暴れだした、そう見えなくも無い状況だった訳で、当然の推測なのかも知れない。
実際のところは……。
思い返してみれば、事実その通りだったように思えて来た。
「まさかまさか。私は平和主義者で鳴らしてきたのです。1にも2にも、大切なのは対話だと常々心掛けて」
「対話って、拳で?」
これはいけないと言い訳を展開すれば、それをアリスの声が断ち切り、エマが吹き出す。
失礼な連中である。
「大体、平和主義を鳴らすってなんだい。正しい用法とも思えないんだが?」
話を逸らす心算と言う訳でもなく、アリスは半眼で言葉を重ねてくる。
他人様の言葉尻を捉えて揚げ足を取ろうとは、実に良い趣味ではないか。
「用法と言うのは、時代や人の気分で変るのですよ。柔軟に生きることを心掛けましょう」
真っ当に理屈で切り替えせる自信も言葉も無かったので開き直れば、今度は私の後ろから声がする。
「時代は判るけどぉ、気分で変えちゃいけないとおもうよぉ?」
戦闘以外の細かい事など完全に無関心と思えたエマが、私の戯言に口を挟んできた。
それは良いのだが、何故私に追撃する。
仮にも味方だったら、無理矢理にでも擁護して見ろと言いたい。
「どうでも良い事は置いといてぇ、マリアちゃんはアリスちゃんがお仲間だと思ったからぁ、私が暴れる前に制圧したんだねぇ? でもホントに、アリスちゃんは中身は人間なのぉ?」
些細な事に憤慨していると、脱線していた話題を、まさかのお気楽戦闘狂人形に修正された。
驚愕の表情を隠すことも出来す、私は真っ直ぐにエマに視線を送ってしまう。
向けられた方は何のことやら、という表情で私をキョトンと見返している。
「誰がアリスちゃんだよ。……いやまあ、それこそどうでも良いか。そうだねえ、私は確かに中身は元人間だよ。なんでバレたのか、まだ良く判らないけど」
アリスの視線が私を捉えたのが感じられる。
「だよねぇ。私もお人形の気配までは感じたけどぉ、中身なんて判んないのにぃ」
エマも、素直で純粋な疑問の眼差しを私に向ける。
私はアリスの中身が元人間である、確かにそう看破し、自信満々に突き付けた。
そんな私の自信の根拠を理解出来ていない2体に、しかし私は苛立ちもしなければ呆れもしない。
何故なら。
「それはですね。尤もらしい理由は有りますが、結局のところは――」
本当に気付いた切っ掛け、彼女の制作者に対しての敬意が感じられない、と言う事に関しては、何となく伏せる。
エマには後で、マスターを貶めるような発言をしてしまったその理由として話さざるを得ないが、アリスに対しては伝えた所で、である。
それを受け止めた彼女が今後の言動を改めようが改めまいが、私には関係の無い事だ。
「根拠など有りません。敢えて言うなら、勘ですね」
内心を隠した私はいっそ誇らしげに、胸を逸らすように答えて見せた。
そんな私の自信満々に見える答えにエマは表情を消し、アリスはこれ見よがしに溜息を吐く。
「じゃあ、何かい? 私ゃ、アンタにカマ掛けられて口滑らした、間抜けって事かい?」
怒る気力も失くした様子で、アリスは言葉を吐いてから、もう一度嘆息する。
元人間、諦めが肝心。
それを地で行くアリスの生き様に、私は素直な称賛の念を抱く。
「そう言う事です。やーい、と言って差し上げますよ。それとも、ざまあ、の方がお好みですか?」
そんな私が心からの賛辞を送れば、アリスはまたも半眼を私に向ける。
「……私はアンタが嫌いだよ、それが良く判った」
「つれない事です」
しみじみとアリスが呟き、私は短く応えて視線を転がすと、エマは憐れむような視線をアリスに送っている。
あのエマに、そんな表情をさせるとは、アリスも侮れない存在なのかも知れない。
そんな事を思う私と、何故か少し仲良くなった風のエマとアリスは、見張りの交代要員が来る直前まで、心温まる交流を続けたのだった。
夜が明け、結果ほぼ完徹の私達だったが、寝不足やら倦怠感とは無縁である。
昨夜声を掛けてくれた人の良さそうな爺様に朝食を誘われたが、出立前の商隊は忙しいだろうと招待を辞し、私とエマは先んじて領都トアズを目指して歩き出す。
「アンタらもトアズに行くんだろ? くれぐれも妙な問題起こすんじゃないよ? 少なくとも、私にとばっちりが来るのは御免だからね」
人知れず見送りに来てくれたアリスが、心温まる別れの言葉をくれる。
アリスも嫌そうな顔だが、受ける私もげんなり顔だろうと思う。
「それは私にではなく、エマに言うべき言葉ですね。なにせ私は」
「平和主義者なんだろう? アンタの冗談は、どれを取っても笑えないな」
気の利いた答えをアリスに潰され、私は憮然と押し黙る。
そもそも私は冗談など言っては居ないのだが、まあ良い。
目的地が一緒とは言え、領都は広い。
先に到着してしまえば、アリスと出くわす事はもう無いだろう。
「レベルだけのポンコツ人形が、私達以外のザガン人形に出会って破壊されないよう、気をつけて下さいね」
晴れやかな笑顔で、私は激励の言葉を送る。
「はン、言ってろ。もっと鍛えて、いつか絶対泣かしてやる」
獰猛な笑みで、アリスは負け惜しみを言う。
僅かに見つめ合った私達はすぐにお互い目を逸らし、街道を北上する者と出立の準備を開始する集団の一員に別れる。
出会いと別れは旅の醍醐味。
別れ際、アリスの舌打ちが聞こえた気がしたが、きっと空耳だったのだろう。
小さな友情が芽生えたようで、微笑ましいですね。エマとアリスに。