56 暗夜
商隊の皆様には、突然のご不幸をお悔やみ申し上げた方が良いでしょうか。
商隊のメンバーは63名。
大部分が男で、女性は両手の指で足りる程度しか居ない。
旅から旅の商隊がトアズを目指しているのか、トアズが拠点の商会かなにかの仕入れ軍団なのか不明ではあるが、その辺りの事には特に興味は無い。
夜警組の若い連中と冒険者とが商隊の夜営地周辺に各々陣取り、周辺の警戒を行っている。
私とエマは寝たフリでその時を待つが、待機時間は案外短かった。
「エマ、起きていますか?」
相方が寝ていない事はなんとなく知っていたが、私は小さく声を掛ける。
私達は気を使われ、宿泊用の雑魚寝スペースの端の方を充てがわれていた。
周囲には人が居る状況なので、小声どころか、普通の人間では聞こえないレベルの空気の振動を発したが、返事は似たような小声で返ってくる。
「寝てるワケ無いよぉ? とりあえず、この辺の人間皆殺しにしちゃう?」
内容は物騒だが、口調が余りにもやる気がない。
私が止めると思っているので、とりあえず言ってみただけなのだろう。
勿論、そんなもの止めるに決まっているが。
「トアズに入れなくなるので却下です。領都に近いこんな場所で目立つ真似はしないで下さい。そんな事より、貴女の気になる人形が動きました。何か用が有るのでしょう?」
言った途端、エマは音もなく起き上がる。
案外慌てているように見える辺り、本当に探知も探査も使っていなかったらしい。
注意すべき対象が至近に居るのなら特に、警戒を怠るとはどういう事なのか。
指摘した所で、どうせ私に任せてるとか、適当な事を言って躱されてしまうのだろう。
彼女にして見れば、恐らく一度は鑑定を試み、そして視たのだろう。
そして視てしまった以上、気が逸って仕方が無いのだろう。
エマが静かに気配を消しながら、その疑似血液が楽しそうにざわついているのが判る。
自身に迫る実力の者がすぐそこに居ると知っているのだから。
爆殺人形が近接戦闘に傾倒するようになった理由は知らない。
殺戮を重ねる間に、実力の有る冒険者か何かと戦闘になったことが有るのかも知れない。
格下相手に魔法で一方的に蹂躙するだけの作業に、飽きたのかも知れない。
理由は知らないが、本来は魔法戦闘用にデザインされ、魔法行使のサポートを行うための装備を持っていた筈の彼女は好んで刃物を扱うようになった。
私達3シリーズは汎用性に重きを置き、私がこの身体を使いこなせていない事には目を瞑っても、基本性能は高く、また、2シリーズから引き継いだ成長性も持ち合わせる。
汎用性に富むと言えば非常に響きが良いが、逆に言えば尖った部分は無く、自身の特性に特化して成長を続けた2シリーズには、相手の得意分野では及ばない。
対して2シリーズは成長性を持ち合わせては居るものの、そもそもの設計が個々に異なっている。
基本コンセプトが同一なだけで、それぞれが独自の、悪く言えば互換性の無い、或いは低い内部骨格設計が行われている。
故にその基本性能は、良く言えば特定の分野で3シリーズに優るが、悪く言えば歪であり、エマで言うなら本来は近接戦闘用とは真逆の設計だった。
それは、ステータス云々以前に、内部骨格の設計の段階からの事で、もはや向いて居るとか居ないとか言う以前の問題だ。
それなのに、彼女は自身の設計デザインに、自身の嗜好から反逆したのだ。
如何に自己再生機能を持つとは言え、どれほどの時間、己の嗜好に併せてその内部骨格に無理を掛けていたのか。
ロールアウト時のレベルが幾つかは知らない。
今現在、具体的な数字で言えば666という作為的な数字の彼女のレベルのうち、どれ程を無茶な殺戮行動で引き上げてきたのか。
戯言のように自身について面白おかしく語っていたエマは、いつか限界が来て内部骨格が維持出来なくなるその前に、強敵と笑いながら殺し合い、破壊される事を望んでいた。
名も知らない人形と思しき何者かと、そして私、2名にその望みを無視された訳だが。
因みに、私のレベルは584――先代のレベル833の分との差分により、能力補正有り――で、数字の差だけを考えてみても、本当に良くも勝てた物だと我が事ながら感心してしまう。
私が具体的な自身のレベルを、特に現在の数字になってから口にしたくなかったのは、日本人的な悪癖の弊害だ。
なんとなく語呂合わせが出来る数字の中でも、なかなかに良くない響きを連想してしまったのだ。
――先代のレベルは833か、などと、下らない事を考えなければ良かった。
どうでも良いことに思考が逸れる私の前で、エマは半身を起こし静かに、しかし楽しそうに昂ぶっている。
人形アリス、そのレベルは580。
私と互角のレベルの、エマにしてみれば格下の。
しかしその格下に敗北した経験を持つエマは、油断が無いというより、ただ楽しげに。
「エマ。くどいようですが、ここで暴れるのは御法度です。今日は接触だけで済ませて下さい」
いざとなったらエマの前に立ちはだからなければならない、そう考えると私の小声にうんざりとした色が濃く混ざる。
私の声に振り返ったエマはにっこりと口を開く。
「理解ってるよぉ。マリアちゃんのこと好きだしぃ、迷惑なんか掛けないよぉ」
にこやかに、しかししっかり小声で返されたその言葉に、私は何の説得力も感じない。
相手に気取られないように殺気は抑えているが、私の目には暴れたいようにしか見えないのだ。
何故ならその両手には、見慣れたく無かった短刀が、それぞれしっかりと握られている。
私が漠然と感じた不安、嫌な予感はこれだったのだろう。
最初は人間の群れを見掛けたエマが、殺戮衝動に駆られているだけかと思ったが、実際は強者と戦いたいという、漫画の主人公の様な事を考えていたらしい。
こんなところで暴れたら、どう頑張っても人目に付かない訳が無い。
目を付けられた人形には同情の念が無くもないが、それよりもこんな所をウロチョロしていた事が腹立たしい。
視点を変えれば、その台詞はそっくりそのまま、彼女が私達に言いたい台詞にこれから変わるのだろう。
エマが周囲の気配を伺ってから静かに立ち上がり、私も溜息よりも静かにエマの隣に並んで立つ。
既に私達は隠身を使用している。
考えてみれば、なんでエマは魔法戦闘デザインの筈なのに、魔法が苦手なんだろうか。
現実逃避的に考えを逃しただけだったのだが、不思議と言えば不思議だ。
本人に聞いてもどうせ「魔法苦手じゃないモン!」とか騒ぐだけだろうし、どうしても解明したいと思う程の興味は無い。
そんな事よりも、どうにかこの場は、可能な限り穏便に済ませて頂きたい。
音も無く、周囲で寝こける人間達に気付かれる事無く、私達は雑魚寝スペースを静かに立ち去るのだった。
どうやら、荒事回避の方法が思いつかない様子です。