55 パンとナイフと星空と
ご招待を受けたのですから、行儀良くしましょう。
夕暮れの街道沿いで夜営の準備をする商隊に遭遇し、そのメンバーの中に不穏な存在を感じ取った私は、即座にその場を離れようとした。
しかし、同行するエマがその商隊、恐らく不穏な何かに興味を示し、勝手に話を纏めて商隊と共に野営することになってしまった。
隙を見てエマに説教を試みたが、全く効果は無く。
私は諦めて、せめてエマがこれ以上余計なことをしないように目を光らせよう、そう心に決めた。
……多分、無駄だろうが。
旅路の友、干し肉を小さく削った欠片と野草の類を煮込んだスープと、ごわごわのパンを手渡され、礼代わりにボア肉の塊を渡して周囲から歓声が上がる。
しかし今日はもう食事の準備も終わってしまっているので、明日以降の食事に使って貰えば良いだろう。
「すっごいねぇ、久しぶりだけど、このパン固いねぇ」
何が楽しいのか笑いながら、エマはボリボリとパンを噛む。
パンを食す擬音とは思えないが、旅人が持ち歩けるパンとなると、こういった物しかない。
これでも、日持ちが「比較的」良い、というレベルなので、ケチると結局食べられなくなったりするそうだ。
私は魔法鞄を持っているし、そもそも普段の食事は魔法住居内で何かしら作るので、こういったパンには縁が薄い。
従って、実感としては判らないのだが。
「固いと言いながら、普通に食べるんじゃありません。もう少し、見た目相応を心掛けなさい」
そういう私だが、人目のある場所でパンをスープに浸す度胸もなく、私はパンをナイフで薄くスライスして口に運ぶ。
エマの細い顎が秘める怪力に目を瞠る男共の姿は少しだけ楽しいが、私にも何やら引き気味の視線が投げつけられている事に気づいて内心で小首を傾げる。
私に普通の人々の度肝を抜く様な特異な点など、見た目には無い筈なのだが。
手元のナイフは少々特異な見た目のコンバットナイフ、のコピー品で私のお手製だが、ゴツくて殺意満々のデザインであること以外は、ごく普通の刃物なのだし、珍しくもあるまい。
私は周囲の視線の群れを無視し、表面上は無愛想に、探知魔法に集中する。
この商隊に感じた違和感、正確に言えば商隊に紛れた人ならざる気配が気になる私は、少々の迷いは有るものの、探査魔法の使用に踏み切る。
まあ、こういった魔法はよほど勘が優れて居ても気付かない類の魔法なので、変に緊張する必要はない。
とは言え得体の知れない相手に対峙する以上、不必要に楽観的に構える気にもならない。
スプーンで掬ったスープを静かに口に運び、話し掛けてくる男達に気のない返事を返しながら、私は魔法に集中する。
探査魔法の重ね掛け、と言うのは、実は言う程特殊な事では無い。
鑑定程詳しく知れないとは言え、ある程度の情報は1回重ねれば判る。
その情報で気になる箇所が有れば、対象に注視したままで、更に探査を重ねれば良い。
理屈を訊かれても私には判らないので、そのうち魔法協会の誰かに聞いてみたい所だが、それで私に理解できるかは不明だ。
場合によっては鑑定を使用することも視野に入れ、しかしその為にはある程度近寄らなければならない。
あまり目立った動きはしたくないな、そんな事を考える私の頭の中に、探査の重ね掛けによる情報が浮かび上がってくる。
名称、アリス。
魔導師ヘルマン作の自律人形。
その他、細々とした情報が幾つか。
……これだけ知れれば充分だろう。
私はもう溜息を吐くのも面倒になり、ただ視線をエマの方へと滑らせる。
エマもまた、私に視線を寄越して……居る筈もなく、周囲の男共と何やらどうでも良い歓談を楽しんでいる様だ。
……お前は人間を殺す人形なんじゃないのか?
良いのか? それで……。
アリスと言う名称の人形はこの商隊の女性組の輪に入っており、こちらとは距離が有る。
向こうが私達の正体に気が付いているかは不明だが、表面上、関心を持っている素振りはない。
遭遇戦などの状況でもないので、エマも恐らくは鑑定なり探査なりを行っているだろう。
「マリアちゃんはねぇ、私の妹なんだよぉ? すっごく頼りにならないし生意気だけどぉ、お料理は上手なんだよぉ?」
緊張感を維持しようと躍起になる私の耳に、相方の能天気ですこぶる苛立たしい声が滑り込む。
大物なのか考えなしなのか、私としては後者であると思うが敢えて口にすまい。
「私が料理が得意なのでは無く、お姉様が料理に関心が無さ過ぎなのです。たまには厨房にお立ちになって下さい」
私が応えて少しだけ辛辣に口の端に言葉を乗せると、周囲でどっと笑いが起こる。
エマは悪びれるでもなく私に笑顔を向けて「私は料理が出来ないモン!」などと言っているが、その目が笑っていない。
やはり、あの人形を警戒しているのだろう。
……いやまさか、私の言葉に怒った訳では無いよな?
自分も随分な口ぶりで私を紹介していたクセに?
私はエマから視線を逸し、さり気なく周囲に視線を走らせる。
男達はやんやと盛り上がり、私達に最初に声をかけた老人も楽しそうに笑っているが、誰も酒に満たされたジョッキを持っていたりはしない。
商隊の積み荷の中にはエールの樽も有るようだが、それは商品だ。
個々人の荷物に酒の類は無い。
危険に対処するためには酒に酔っていてはマズいのだろうし、商品に手をつけるなど御法度だろう。
そういった認識を全員が持ち、規律が守られているのは素晴らしい事だと思う。
こそこそと何かを探るには、非常にやり難い訳では有るが。
あの人形は何の目的でこの商隊に潜り込んでいるのだろうか。
探査の結果を見るにそこそこの戦闘能力を持っているようだし、見た目にも判るような武装を身に着けている。
つまりは護衛、と言うことだろうか。
しかし、この商隊にヘルマンという名の男こそ存在したが、その男は若く、魔導師でも無かった。
それなりの騒ぎの中で探査魔法をあちこちに走らせるのは集中力的な意味で苦労したが、護衛の魔法師は居るが、魔導師は居ない。
つまるところ件の人形は私達と同じく、単独で動いているのだろう。
彼女と話す女性陣の中にも、護衛らしき冒険者やらの中にも、他に人形は居ない。
だからこそ、気になった。
明らかに人型でありながら、人間とは異なる外見のゴーレムは、魔法師ないし魔導師に依って使役される。
その用途は様々だが、基本的に命令が無くては動かず、命令も基本的にはシンプルなものに限られる。
一方で私達自律人形は命令こそ有るものの、それを遂行するために自ら考え行動する。
それなりの性能の人形を造った者は、往々にして人間種に恨みを持っていたらしい。
中には変わり者の人形製作者も居るかも知れないが、この世界で語られる有名所の人形製作者と作品達は、大体碌な事をしていない。
そんな人形が単体で、商隊に潜り込んで何をしたいのか。
溶け込んでいる様子から、昨日今日この商隊に潜り込んだ訳でもあるまい。
領都トアズを目指して旅を続けたこの商隊の、終着はすぐそこだ。
目的はこの商隊の中に有るのか、それともトアズに有るのか。
関わりたくない私だが、それで済むものなのか。
見上げた星座は無機質に私を見下ろすが、その星座の名も知らない私は、やる気のない半眼を返すしか無いのだった。
他マスター作の人形は、2体に気付いているのでしょうか。