45 未だ荒野にて
遺跡から離れた様ですが、まだ荒野は続くようです。
懐かれているのだと都合良く解釈しようと思った、あの晴天の遺跡の日。
遺跡破壊を堪能するエマが、ただ高揚する気分のままに言葉を紡いだのかとも訝しんだが、あれから1週間。
エマの様子は変わらず、私達の関係も変わっていない。
「マリアちゃん、ここから北に行ったら海があるんだっけぇ?」
用も無いのに宝剣「落日」を振り回し、今日もエマはご機嫌だ。
先刻出会った魔獣化した砂漠狼の小さな群れは、新しい玩具を手にしたエマが実に楽しそうに全て斬り殺した。
爆殺人形とは何なのか。
血みどろのエマに洗浄の魔法を掛けてやりながら、思わず考え込んでしまう。
まあ、私が暴れずに済んだのは楽で良いのだが、そんな調子で理由を見つけては暴れているので、旅の足はそれ程早くもない。
普通の旅人のそれと、大差は無いだろう。
「ええ。海は有りますね。北にまっすぐ山を越えて、徒歩なら1年は掛かるでしょうか?」
エマの質問に肯定の形で不正解であることを告げる。
謝罪キャンペーンの真っ最中なので、私だって気を使っているのだ。
実際に1年掛かるとは思わないが、少なくとも半年以上は掛かるだろう。
天険と名高い北の山脈を越え、軍事国家と名高い北のメイザーシア帝国を縦断し、更にその先。
面倒だしなんだか物騒な予感がするし、そこまで苦労して北を目指したいとは、私は思わない。
ここから海が見たいなら、単純に東、聖教国の方向へ4~5ヶ月歩けば良い。
海が見たい訳でもなし、聖教国なんて近づきたくも無い。
「ちぇっ。そんなに遠いなんて聞いてないよぉ。海、見てみたかったのにぃ」
唇を尖らせる様子のエマに、私は絶対に東の海の事を伝えないと心に決める。
うっかり口を滑らせたら、まだしも近いそっちに行きたがるに決まっているのだから。
探知と探査、2つの魔法の違い。
それは、大雑把に言えば知覚する事と詳細を知る事。
探知は、範囲内に何か居る、或いは有る、ということが判る。
探査は範囲内の詳細、とは言えある程度大雑把な事だが、例えば小型の獣が居る、という事を知ることが出来る。
精度が違うとざっくりと言っても良いのだが、そもそもの用途が違うのだと、私は理解している。
探査の魔法を極端な広範囲で使ってしまえば、押し寄せる周辺情報に脳が疲弊する。
逆に、探知を眼の前の物体に使っても、それがそこに有ると判るだけでそれ以上の何かを知ることは出来ない。
ちなみに裏ワザというか小技なのだが、探査で確認出来た反応を指定して探査を掛けると、その詳細を知ることが出来る。
鑑定ほど細かく知ることは出来ないが、相手が生命体でかつ、こちらのレベルがある程度異常高ければ、知りたい情報はほぼ見えると言って良い。
私はこの技法に「詳細探査」と名付けたが、他にこれを使う者が居るのかどうかは知らない。
今の私では鑑定を使うのは集中力が必要な上、それ程遠くまでは飛ばせない。
探査を2回以上使うか、鑑定を使うか。
私は魔力に余裕が有るので、前者を多用している、と言うことだ。
若干話が逸れたが、そんな探知魔法を私は広範囲、具体的に言えば周囲半径900メートルに展開している。
直径で言えば2キロに迫る範囲、だが私を中心としている以上、私から見てどの方向にも1キロに満たない距離。
コレが、私が知覚出来て、かつ、全周囲に使える限界である。
少し前、ひょんな事で大怪我を負うまでは、修練と魔法使用、どちらもサボり気味だった。
それ故半径で言えば200メートル程度までが限界で、それで充分だと思い込んでいたのだが。
まさか隠蔽系と能力向上系の魔法と、元来の身体能力にモノを言わせ、一気に距離を詰めて斬り付けてくる化け物が居るとか、想像さえしていなかった。
まあ、その襲撃者は不得手な隠蔽系の魔法、「隠身」と「消音」を強引に使って魔力を無駄に消費し、それが響いたお陰か私は最終的には何とか勝てた、というオチが付いたのだが。
以来、私なりに努力を重ね、警戒範囲を広げることにやや注力していた。
「エマ。この先900メートル、反応が5つです。判りますか?」
そんな私の努力の結実、探知の魔法の範囲ギリギリから、こちらへと向かってくる反応に気がついた私は傍らの相方に声を掛ける。
「遠すぎだよぉ。そんな先の状況とか、知ってどうするのぉ?」
返ってくる返答に、私の頬がひくつく。
――お前が200メートル人外ダッシュで斬り掛かって来て怖かったから、警戒範囲を広げたんだろうが理解れよ馬鹿!
反射的に、忘れ掛けていた数年ぶりの素で怒鳴りそうになった言葉を苦労して飲み込み、しかし完全に黙っているのも癪だった私は、自分が半眼になっているのを自覚しながら口を開いた。
「どこかのお馬鹿さんが、いきなり襲い掛かって来たことが有りましたので。警戒を強化しているのですよ」
「へえぇ、非常識なヒトも居たもんだねぇ」
「貴女の事ですよ」
白々しい私の台詞に、どうでも良さそうな表情で前方に視線を投げるエマの答えが被さり、私は冷え切った声を抑える事が出来なかった。
そんな私の冷え冷えとした対応を無視し、前方に注視している風のエマは、唐突にその口角を上げる。
「遠いけど、これは人間だねぇ。男3、女2。こんななぁんにも無いトコで、何してるんだろぉ? 冒険者かなぁ?」
遠いと文句を言ったクセに、エマはきっちりと探知の魔法を走らせたらしい。
使える索敵系魔法は対人間用、と言うだけは有る。
「なるほど。流石に為人も判りませんし、会話が聞こえる距離でも無いですし。念のため警戒だけはしておきましょう」
エマの笑顔の意味を測りかねて、私は慎重な行動の提案をしてみる。
「そうだねぇ。まあ、向こうはこっちに気付いてる様子もないしぃ? でもぉ、なぁんて言うのかなぁ?」
そんな私に向いた笑顔は、邪悪なそれ。
私は、エマとの戦闘で見た記憶がある、あまり思い出したくない類の笑みが、再度私に向けられている事に、遅れて気がついた。
文脈からして、その笑顔の意味まで私に向けられている訳ではないと判るのだが、それでも記憶を刺激されて、私の魂が震える。
「殺しちゃったほうが良い、そんな気がするよぉ?」
内心の怖気を無表情で覆い隠し、私はエマと視線を入れ替えるように進行方向の彼方へと向ける。
私達の後方、南には何もない。
少し東に進路を変えれば、あの遺跡都市が有るだけだ。
言わば廃道とも言えるこの荒れ地を、どこを目指して、誰が移動しているのか。
私達でさえ、隠しているとは言え、それなりの旅支度をしていると言うのに。
……エマの旅支度がどの程度のモノか、知らないし確認もしていないが。
狩る獲物も少なくなる、そんな旅路を態々選んで旅するとなれば、相応の目的が有るのだろう。
依頼を受けたか、或いはお宝狙いの冒険者か。
適当に身を隠したいならず者か。
そうでなければ、物好きか物知らずか。
それとも、死出の旅路の巡礼者か。
エマが殺意を滲ませている理由も気になる。
単に殺戮したいだけ、そんな気もするが、それにしては何かが引っ掛かる。
「一応訊きますが、その心は?」
剣呑な笑みを浮かべたまま視線を前方彼方へと滑らせて、エマは私の問に答える。
「勘だよぉ?」
何だそれは。
そう思った私が口を開こうとしたが、遮ってエマが言葉を続ける。
「ただねぇ? マリアちゃんを見つけた時はねぇ、楽しく遊べそうって思ったんだけどぉ」
偉く傍迷惑な勘違いだ、そう思ったが、私は黙して先を促す。
「アレはねぇ……。なんて言うかぁ、そうだねぇ」
言葉が区切られ、笑みが消える。
おや。
私は気を取られ、無意識のつま先が蹴った小石が跳ねる。
「気に喰わない、ってヤツだねぇ」
理由になっていない、そう思ったが、結局感想は口に出来なかった。
あまり見たことの無い表情のエマが。
心底から憎々しげに顔を歪めたエマが、私との戦闘でも見せなかった眼差しを、遥か彼方へと飛ばしていた。
おや、エマの様子が。