40 予定調和
廃墟の街の、地下に降りてみたようです。
正直な感想を恥ずかしげも無く述べるなら、荘厳の一言に尽きる。
何の変哲もない石造りの地下室は、結界に覆われ淡く、青く輝いていた。
殺風景な、床に敷き詰められた石板の1枚に突き立つ質素な意匠のシンプルな剣は、護られて居たためか錆も傷もなく、青い光を反射してそこに在る。
不思議といえば不思議な、だがそれだけの、青い小部屋と1本の剣。
だというのに、私はおろか、普段喧しく騒いで落ち着きのないエマでさえ、言葉もなく見入っていた。
エマの無言の理由は不明だし興味も無いが、ファンタジー世界らしい、良いものを見れた私は表情を変えずに上機嫌だった。
「ねえ! なんで、あの剣を取っちゃダメなの!?」
揺らめく結界境面越しに覗く風景を網膜と心に焼き付け、満足して立ち去ろうとする私の腰にがっしりとしがみついて、エマが抗議の声を上げる。
「……だから、さっき言ったでしょう。この部屋に入るには結界を解除しなければいけないでしょうし、部屋自体は時間の経過に晒され過ぎていて、結界の解除など実行したら崩れるかもしれないと。貴女は生き埋めにでもなりたいのですか?」
私にとってのお宝は、時間の風雨に晒された数世紀前の遺物が、当時の技術で守られている現場を目の当たりにした、その感動だ。
それだけで充分だ。
下手に手を出して崩落に巻き込まれたら厄介極まるし、護られていた剣が折れたりしたら居た堪れない。
「そんなの、パパッと解除しちゃって、サッと取ってきて、すぐ逃げたら平気だって!」
エマは諦め切れない様子で私の腰にしがみつき、引き摺られながらイヤイヤと首を振る。
動作はまるで幼児のそれだが、腰に絡みつく腕は……なんと言うか、私の身体が上下に分断されそうな膂力を放っている。
正直、色んな意味で解放して欲しい。
そう思いながら、私は戻りの行く手、闇が降りる地下の通路の先に視線を投げる。
「この長い通路を、連鎖崩壊の危険の中、全力疾走するのですか? 先に行く手が崩れたらどうするのですか?」
到着までは割愛したが、罠こそ無いものの、100メートル程度の直線の通路を抜けた先は、瓦礫で入り組む迷宮だ。
さほど複雑では無いとはいえ、確実に行く手は阻まれる。
「そこはほらぁ、マリアちゃんの馬鹿力でぇ、こう、ポイポイーってぇ」
背後からの声の調子がおどけるように弾む。
現在、人様の腰に人外の怪力で張り付く化け物が他人任せとは、とんだ怠け者だ。
それ以前に、馬鹿力とは何事か。
「誰が馬鹿ですか。強く否定はしませんが、貴女にだけは言われたくないです」
「エマは馬鹿じゃないもん!」
私の苛立ちの声に、即座に声を被せてくる。
だったらまずは、私を開放しろと強く言いたい。
「そんなに欲しければ、1人で行動して下さい。私は先に地上に出ますから」
言いながら私は、崩落して地下に沈み込む遺跡を見るのも、それはそれで良いかも知れない、そんな事を無責任に思う。
「ケチ! マリアちゃんのケチンボ! トモダチがこんなに頼んでるのに!」
色々と言い返したい事が積み重なって、脳が飽和しそうになる。
こんな有様では、空想に思考を逃走させたとて、致し方のない事だ。
「生命を惜しむことを吝嗇と言うならそれで結構です。それに友達とは……。マスター・ザガンの人形には一番不要な物ではないですか」
仲間は欲しいし、友と呼べる存在が不要かと問われれば口籠る私だが、エマは無い。
私にだって、友を選ぶ権利くらいは欲しい。
それ以前に、私とお前は……。
「ひどい! 私はトモダチだって思ってたのに! トモダチって言うのは、苦しい事も楽しい事も、分かちあえる存在だって! 私が殺した人間も言ってたよ!」
思い掛けない悲痛な声が、私の腰の辺りで響いて力が抜けそうになる。
彼女が友達というものを知った経緯については無視するにしても、彼女の言うトモダチと言うものは、命懸けの戦いを繰り広げる間柄の事を言うのだろうか?
それは、普通は敵だと思うのだが。
「何が悲しくて、人を刻んで殺す作業を分かち合わなければならないのですか。それに楽しさを見出すのは、貴女だけです。それ以前に、私たちは姉妹でしょうが」
もう、多くを語る気力も湧かない。
ようようそれだけ絞り出した私に、変わらぬ姿勢のエマは尚も何やらキャンキャンと吠え立てていたが、その大部分は私の鼓膜の上を滑るだけで、内容は頭に入ってこなかった。
私は言葉もなく、脱力して様子を眺めていた。
見てわかるような結界は、なんの抵抗もなくエマを迎え入れたのだ。
眼の前で起こったことが信じられず、しかし勝ち誇った顔をこちらに向けるエマの様子に若干の苛立ちを覚えた私は、一旦感情を抑え、結界に手を伸ばしてみる。
エマの時と同じように、すんなりと結界の向こうへとすり抜ける右手。
……この結界は、何の為のものなんだ?
もはや、ただの青くライトアップされただけとしか思えない殺風景な小部屋を見回し、自分の表情が消えていくのが理解る。
こうなってしまうと、床に突き立てられた剣も、趣味の良くないインテリアにしか見えない。
こんなもの、どれ程の価値が有ると言うのか。
つまらないという内心を無表情の顔の下に隠して、特に意味も無くその柄に手を伸ばす。
しかし剣は、びくともしない。
それなりに力を込めたのだが、剣は抜けもせず、折れもしない。
無意味な結界もどきに護られた風な出来損ないのインテリアのクセに、実に生意気な事である。
「なぁに? 抜けないのぉ?」
私の様子を観察していた相方が、ニヤつきながら近寄ってくる。
もとより小部屋の中、それほど離れていた訳ではないのだが。
もう、この小部屋を取り巻くあらゆる事象が苛立ちの対象でしか無い。
柄から手を離した私が不機嫌に黙り込む中、エマは何が楽しいのかニヤニヤと、今度は自分が剣へと手を伸ばす。
どうせ抜けない剣に癇癪を起こして、爆破してしまうのが関の山だろう。
そんな私が馬鹿にしたように表情を変えようとした、その時。
エマの右手が、剣の柄をしっかりと握り込んだ瞬間に。
風船が割れるような乾いた破裂音と共に、青いライトアップでしか無いと思い込んでいた、結界が消えた。
ここまでの通路と同じく、闇が降りる室内。
人間ではなくなった私の目には、しっかりと室内の様子は見えている。
その風景の中で、エマは驚いた様に周囲を見回していた。
……右手に、床から抜けてその姿を露わにした、件の剣をしっかりと握って。
信じられないと言うか、思い掛けないというか、予想外の出来事が目の前で繰り広げられると、思考と言うものには空白が生じる。
それは、私だけではなく、どうやらエマも同じだったようだ。
入れないと思いこんでいた結界内にすんなり侵入できた上に、抜けないと思い込んでいた剣がすんなりと抜けた事で、私達は拍子抜けしてしまったのだ。
だから、当然の様に予想していた事柄にさえ、対処が遅れた。
鈍い振動と低い音が響き始め、見上げた天井の一部が崩落を始めたことを目視した私は。
反射的にエマを見捨て、身を翻して通路へと駆け込んだのだった。
友達って、大事ですね。