37 遺跡案内者の怠惰
観光が、いよいよ始まりそうです。
滅んだ都市を見るのは、初めてではない。
だが、時間の風雨に擦り減らされた空間に身を曝し、風化した姿を直に目にするのは、初めてのことだ。
人の身では到底抗えない、時間という力。
その過ぎ行く跡を眺めるのは、往時を知らない私でさえ郷愁を感じてしまうし、こうまで荒れ果ててしまった有様に視界を覆われてしまうと、畏怖にも似た感情が頭をもたげてくる。
まだ形を残す要壁塔の威容を見上げ、在りし日の役割を未だ果たし続ける物言わぬ守護者の佇まいに、ふと――先代の姿が重なる。
本来守るべき者を失い、しかし命令が有ったというそれだけの理由で墓所を守り続けた彼女は、穏やかな時の流れの中で、その心を摩耗し、風化させてしまったのだろうか。
命令に含まれていないとは言え、マスター・ザガンが憎んでいたと思しき「人間」である私の魂を拾い上げた彼女。
私に知識の大部分を与え、秘めるべきは大事に抱きしめたまま、時の彼方へと流れ去った彼女。
今際の別れの簡素な言葉に、どれ程の思いを詰め込んでいたのだろうか。
――もう、此処には何も有りません。貴方の自由になさい。
人の心の機微に疎い私が、一途にマスターを思い護り続けた人形の真意など、計れはしない。
見上げる塔も、いつの日か時の流れに咀嚼され、石と砂に帰るのだろう。
或いはそれは、私がそうなってしまった後の、遥かな先の事なのかも知れない。
「なぁんにも無いしぃ! 居ないしぃ! 面白くないよぉ! もう何処か行こうよぉ!」
暫し要壁沿いに遺跡を辿り、在りし日の姿に思いを馳せる私の周囲をぐるぐると回りながら、小娘がなにやらパチパチと爆ぜている。
侘び寂びを解さぬ、不粋な輩め。
遠く誰かがねずみ花火と評する声が聞こえた気がするが、気の所為であってもなくても、言いえて妙だと思う。
挙げ句に私の右袖を掴んで、ぐいぐいと引っ張って私の注意を引こうと躍起になっている。
落ち着きというものを、何処に置き忘れたのやら。
「はしゃがなくても聞こえていますよ。少しは景色を楽しむゆとりを持ちなさい」
堪えようとした溜息をついつい漏らしながら、嫌々答える私の前に回り込み、エマは私の顔を見上げて来る。
「景色なんて、こんな崩れかけの石しかないトコ、見ててもつまんないよッ! 飽きたよッ! 他所行こうよッ!」
いつもの間延びした風な喋りを止め、背伸びする勢いで私に詰め寄ってくる。
良い感じで苛々が募っている様で、結構な事である。
「他所を目指しても、どうせ暫くは殺風景ですよ? この遺跡のほうが、まだしも賑やかでしょうに」
「こんな枯れた賑やかし、イヤだよッ!」
私としては、静か過ぎるこの環境は嫌いでは無いのだが、相方は大変に不満なご様子だ。
ここで終生過ごすと言う話でもなし、もう少し余裕を持ったほうが色々楽しかろうと思うのだが。
「もっと色々なものを見て、楽しむ事を覚えるのも悪くは無いですよ?」
言ってはみるのだが、恐らく聞きはしないだろう。
そう思いつつも単に私がもう少しのんびりと観光したかったので、取り敢えず口を開いてみたのだが、案の定、エマの顔には納得の色など微塵も見えない。
「色んな物って、ここに有るのは石ばっかりだよッ! 石を見て見出だせる楽しみなんて理解んないよッ!」
石といえば、宝石類も石の内なのだが、エマは興味無いのだろうか?
興味があった所で、そこらの石をそういった宝石類と同列に扱えと言うのも、まあまあの暴論では有ると言う自覚はあるが。
さておき、エマは完全にお冠で、私の服の胸倉を掴んで来る。
感情に任せて得物を振り回してこない辺りは少しばかり意外だが、どうあっても鬱陶しいことに変わりはない。
1日か2日くらいは滞在して、この街の過去に思いを馳せるのも悪くないと思っていたのだが、それも叶うか怪しくなってきた。
私はやんわりと、しかし力強くエマを押し退け、空を見上げて口を開く。
「移動は置いておくとして、さしあたり、食事にしますか」
太陽は頂点を僅かに通り過ぎた辺りに掛かっている。
人の気配もない滅んだ街の片隅で、食材になりそうなものなど見当たらない景色の中で、必然食事はいつもと代わり映えしない物しか無いのだが、備蓄は幸いまだ余裕がある。
死に絶えた街で行う生命活動の一環という物もなかなか乙かと思ったが、まあ、良い趣味の範囲に入らない事は理解っている。
「うー。良いよ、取り敢えずご飯にしよぉ。でも、ここで食べるのはヤだからねッ!」
だから、エマが心底嫌そうな顔でそう言った事にも、特に反発を覚えることも無かった。
「所で、移動すると言っても、何処か行きたい所は有るのですか?」
エマに促されて魔法住居に戻った私だが、メニューを考える思考は重かった。
凝った料理を作った所で、人形2体、そんな事に感動を覚えたりはしない。
ただ、今日は焼き方に拘って、素人作にしてはそこそこ上手く焼けたボア肉のステーキを切り分け、頬張ってその出来に満足してから、私はエマへと疑問を飛ばした。
「特に無いよぉ? ただ、あの街は寝床にしてたから見飽きたし、獲物どころか動物だって滅多に見ないしぃ? 楽しくないから他所行きたいのぉ」
疑問をぶつけられたエマはと言えば、ステーキの焼き加減が気に入ったのか、ご満悦で進めていた食事の手を止め、不思議そうに答える。
私と過ごして数日、食事は楽しいと思えるようになってきたのか、単なる成分の補給ないし備蓄、と言う考えから踏み出し、食事の感想を聞く機会も随分と増えた。
それは良いのだが、私の質問に対する回答の方は、随分とまた自分本位な事である。
エマは3年ばかりこの地で寝ていたと言っていたが、私は初めて足を踏み入れたので、まだ全然飽きていない。
しかし、彼女はその辺りの考慮はしてくれないらしい。
小規模な都市、と言ったら多少は大げさかも知れないが、街としては大きいこの遺跡に踏み入ってまだ半日。
のんびりと色々眺めながらの散策だったので、まだ入り口周辺でウロウロしていた程度である。
私の観光プランは初日で破綻するらしいが、それならそれで、もう少しらしい理由で追い出されたかったものだ。
馬鹿馬鹿しさに言葉を失った私を見るエマの表情は、やはり不思議そうだった。
観光が、もう終わりそうです。