32 月照らし、人形疲れる
魔法下手同士、肉弾戦再開です。
「ふッ!」
渾身の横蹴りが、エマの腹部に刺さる。
「んぎッ!?」
間抜けにも聞こえる、短い声を漏らしつつ吹き飛ぶ人形。
エマは両腕を失ったに等しく、魔力も覚束ない状況では残っている脚を振り回して闘う他無く、私もまた、右腕は折れ外装は完全に吹き飛び、左腕も修復なしに武器など振り回しては、それだけで折れかねないようなダメージを負っていた。
そうとなれば私も蹴り主体で戦うことになるし、そう思った時に腹を決め、大胆にスカート横を斬り裂き、蹴り足の動作を妨げないようにしておいた。
その甲斐が有った……と、思いたい。
周囲に誰も居ないからこそ出来る荒業だが、そもそも恥じらいらしきものの持ち合わせも無いからこそ、とも言える。
ただ、問題が無い訳でもない。
戦闘が終わったら、身体だけでなく、服も補修しなければならない。
修繕自体は錬金魔法を使えばすんなりと出来るのだが、材料は必要となる。
肉類や金属類のストックはともかく、布の方はあとどれくらいストックが有ったか、考えると気が重い。
ベルネで、もっと買い込んでおけば良かった。
相変わらずすばしこい、と言うかちょこまか動くエマだったが、魔力が枯渇した事は運動能力にも影響を与えていた。
肉弾戦時の凶悪なスピードと小柄な体躯に似合わぬ膂力は、やはり魔法によるものだった。
私達は魔力によって身体を動かしている。
故に、完全に枯渇してしまえば、そもそも動けなくなる。
なるべく魔力を持つ生物、ないし食物を取り込むようにしているのは、その様な事情によるものだ。
大気中に混じる魔素でも活動は出来るのだが、それだけでは戦闘に耐え得るほどの魔力を蓄えるのは時間が掛かり過ぎる。
そう考えると、エマは完全に魔力を失った訳ではないのだが、最低限の運動能力を発揮するのが精一杯、と言った所なのだろう。
対して私はと言えば、身体的な傷は多いものの、魔力的には余裕が有る。
それはつまり、肉体強化他の魔法を使う余力も有ると言うことで。
今の私は、膂力のみならず、速度でもエマを凌駕することが出来る、と言う状態である。
蓄積した戦闘経験と勘から戦闘を続けるエマではあるが、目に見えて追い込まれている。
必要最低限に近い魔力状態とは言え、そこいらの冒険者よりは遥かに獰猛かつ強靭で、諦める様子もない。
ひたすら動き回り、脚を振り回しては私に捌かれ、態勢を崩しては私の追撃を受けつつ、カウンターならぬ、自爆とも言える捨鉢な攻撃を私に浴びせてくる。
ここは逃げて身体の修復に努め、再戦の機会を伺う、という考えは無いようだ。
その有様を、潔い、と評する向きも有るだろう。
だが私は、そんな評価をくれてやる気は少しもしない。
お互いに腕が使えなくなり、蹴り合いの様相を呈して少し経つ。
捌き捌かれ、必死に私に喰らいつくエマは、不覚にも、私と彼女との現在の差というものから意識を逸らしてしまっている。
一進一退、そう言うには私の方が多少有利。
そういう状況だからこそ、彼女は懸命に闘争を続けるのだろうが、その右の蹴りを私が持つ剣の柄で――左腕を使って捌かれているというのに、彼女はまだ気がついては居ない。
現状基本性能のみで動いているエマが、強化魔法を使っている筈の私とまともに渡り合えている時点でおかしいと、気付いていない。
自身の性能に余程自信が有るのか、或いは積み重ねた経験値でやりあえていると思って居るのか。
……実の所、彼女の経験や勘と言ったものは全く馬鹿にできる物ではなく、寧ろ脅威ですら有る。
もっと早くこれほどの本気を見せられていたら、近距離であの爆破魔法を放たれていたら。
それこそ私は、今頃スクラップだっただろう。
要するに、初めから舐めて掛かってくれたお陰で、今の私は何とか優位に立ち回れている、という状態なのだ。
魔力操作の下手な私が、強化魔法の効果を落として左腕の回復にリソースを割いている、というのに。
左脇腹に蹴りを受けながら、同じく左脇腹に右の蹴りを叩き込む。
攻撃の出始めはエマの方が早く、事実直撃もエマの蹴りの方が僅かに早かったのだが、今となっては速度で私の遅れを取り、威力も大きく減じている。
もはや彼女は、私の膂力に耐える事も出来なくなっていた。
よろめく私の視界から、エマは派手に吹っ飛んで消える。
視線を追わせて吹き飛んで転がる様子を確認し、私もやや強引に、それを追って地を蹴る。
私の接近を察して急ぎ立ち上がるエマだが、その動きは更に鈍っている様に感じられた。
いよいよ、基本的な機能を維持する魔力も尽きつつあるのか。
ふらつくエマは迎撃の心算か、右足を振り上げようとしている。
その懐に、エマの反応より早く踏み込めた私は、軸として咄嗟には動かせなくなっているエマの左腿に渾身の蹴りを叩き込む。
魔力で強化した右足を伝って、大腿骨に当たる内部骨格が折れ、脚そのものがひしゃげて歪む感触が伝わってくる。
人体に於いても最も長大で、頑健を誇る大腿骨が折られた、その事にショックを受けたのか。
それとも、もはや私の踏み込みにさえついてこれない事態に追い込まれたことが衝撃だったのか。
バランスを崩し、自分の脚に視線を向けてしまうエマ。
狂戦士では有ったかも知れないが、歴戦の士では無かった彼女の僅かな弱さが、大きな隙となった。
彼女の視界から外れ、意識からは疾うに忘れ去っていたであろう私の左腕が跳ね上がり、その手に有る剣が疾走る。
気付いた彼女が視線を上げるのと入れ違いに、私の振り下ろした刃は彼女の左腿に食い込み、へし折れた骨格は抵抗する事も無く、その脚を斬り離した。
素早く左脚だったものを蹴り飛ばし、直後にエマは大地に沈む。
既に左腕を失い、バランスを狂わせていた彼女は体勢を立て直すことも叶わなかったのだ。
それでも尚、立ち上がろうと藻掻くその喉元に、私は剣を突き付ける。
「勝負有りです。足掻くのはおよしなさい」
地面に横たわり剣で牽制され、エマは悔しげな視線を私に向け、しかし飛ばしてくる言葉は湧いて出ない様子だった。
戦闘も終わり魔法住居に戻った私は、思いつくままに備蓄の肉を頑張って調理し、食前酒代わりにマジックポーションを頂いてから食事に取り掛かる。
全く、とんだ厄日だった。
急いで魔力を回復させ、そして傷を癒やすために、魔力と肉を取り込む事に集中する。
生のままで頂いても回復効果は得られる、寧ろ効果は高いのだが、調理したのは私の元人間としての矜持だ。
食事による満足感を得た私は、精神的な疲労を癒やすべく部屋に戻り、着替えもそこそこに……右腕の修復の妨げとならないよう、ブラウスの残骸を左手で剥ぎ取って、寝台へと身を投げ出す。
思い返せばベルネでの1年間、色々な人間達の訓練に付き合い、自らも修練を積んでいた事は、無駄にはならなかったらしい。
そう思って、せめて感謝でもしようかと記憶を辿るが、イリーナはともかく、顎髭に関しては小憎らしくも厭味ったらしい表情しか思い出せない。
調子に乗って歩き続けた挙げ句に狂戦士と戯れる羽目に陥った最悪な1日は、微妙な苛つきと共にその幕を下ろす。
はて、今宵の月は、果たしてどんなだったか。
思いを巡らす間に、私の意識は眠りの沼へと引き込まれていった。
疲れているのは分かりますが、きちんと着替えて寝たほうが良いです。