27 獣と月と荒野で
ひとり旅には、やはり危険が付きものです。
違和感というのは、最初に気付いた時は特に気にもしないものだ。
東から離れつつ有る事、西は西で要警戒では有るものの、こちらもある程度以上の距離が離れている事から、私は完全なる油断を満喫していたのだ。
世界というものは、常に警戒すべきもので占められて居るのだと、この時に思い知らされたのだと言っても良い。
1週間も歩き、気が付くと周囲から木立の姿が消えた。
剥き出しの土と転がる大小様々な石、或いは岩が散らばる、荒涼とした風景。
振り返れば彼方に草原や森林の端が見え、思ったよりも周囲の景色に無頓着に歩いて来たのだと気付かされた。
景色よりも、専ら魔法に寄る周辺警戒に夢中で、道らしきを大きく外れなければそれ以外は特に気にしていなかったのだ。
そう言えば、ここに至る遥か手前で道が西と南に別れていて、大半の、と言うかほぼすべての旅人は南に向かっていた事を思い出した。
こんな整備されていない荒れた道の残骸を、魔獣の襲撃に怯えながら歩く者は、まあ居ないのだろう。
この先には廃墟となった街が在る筈だが、普通の者ならそんな所に用はないのだし。
居るとすれば形振りかまって居られない訳アリか、私のような物好きか。
或いはお宝狙いの冒険者なら、何かしらの用事が有るのかも知れないが。
そんな私だって、別に好き好んで魔獣と戯れたいとは――少なくとも今は――思っていないので、周辺警戒は割とこまめに行なっていた。
私以外の人影もない荒野の、道であった名残のその上で。
イヤに淋しげなその風景と、それを照らす月の様子に興が乗り、青白く照らされた地面を眺め、星空を見上げて歩を進める。
休息しようと思えばいつでも出来る。
桁の違う化け物でも出てこない限り、私に万が一は無い。
そんな思い込み、慢心が無かったと言ったら、それは嘘になるだろう。
現に、それまでは、周囲にうろつく獣は私に近づくことを避けていたし、寄ってきそうな魔獣の反応も無かった。
景色を見ていたとは言え、定期的に魔法を使用して居たし、その時に至っては、まさに周辺警戒の為の探知を走らせている最中だったのだ。
反射的に上げた左腕は前腕を斬りつけられ、吹き出した疑似血液が袖を濡らす。
鈍い金属音は、内部骨格が何者かの刃に触れて上がった音を、人工筋繊維とダミーの疑似筋肉や脂肪による緩衝材が押さえつけたものだ。
それはつまり、外側の筋繊維の一部が破断した事をも意味する。
「あっれぇ? オッカシイなぁ。首を刈ったツモリだったのにぃ」
左腕破損部の修復を開始。
さり気なくその様子を隠しながら、私は声の主へと視線を向ける。
私は、油断していた。
だが、警戒を怠っては居なかった。
完全に矛盾しているが、それこそが私の心境だった。
私の不意を討てる化け物など、そうそう居る筈がないという油断。
周辺警戒の為の魔法を使用中だったという事実。
隠蔽系統の魔法を使われても、周囲の情報との齟齬で違和感に気付けると、タカを括っていた。
私の索敵範囲の外から、隠密まで掛けて一気に距離を詰めてくる様な存在など、想定していなかった。
自身の呑気さに、溜息が漏れる。
想定出来て堪るか、そんなモノ。
「久々に見かけた遊び相手、華奢なお嬢さんかと思いこんでたけどぉ」
金色の髪が、月下に揺れる。
「なんでだろぉ? すっごく、なんて言うんだろうねぇ?」
その両手に握られた大振りな、片刃の短刀が、月光を跳ね返して煌めく。
振り返る口元に張り付く笑みが、凶悪に吊り上がる。
「お嬢ちゃん、なんで私と似た……ううん、違うなぁ」
碧に輝く瞳が残光を残して真横にスライドするのを確認して、私は大きく飛び退きながら武器庫を漁り、メイスを引き摺り出す。
左腕は本調子とは言えないので、振り回すのは片腕で振り回せる程度の1本だ。
私が居た空間を踏み抜き、尚も肉薄する1対の刃が、空を斬って吹き荒れる。
「あはっ。異空庫? それとも、ただの魔法鞄? どっちにしろ、やっぱりお嬢ちゃん――」
両手の得物を振り回しながら、愉しそうに口を開きながら。
その目は、しっかりと私を見据え、正確に追ってくる。
私が大きくメイスを振り払うと、それは大げさに飛び退き、ようやく自ら距離を取った。
「唐突に襲い掛かって来た挙げ句、何なんですか、貴女は。会話したいのか殺し合いたいのか、方針をきちんと定めてから出直して下さいませ」
言った所で、この相手が素直に退くとも思えない。
油断なくメイスを構える私に対して、相手はまるで気にしていない様子で、興味津々と言った瞳をこちらに向けてくる。
やりにくい相手だ。
「良く動けるねぇ、凄い凄い。大抵のヒトは、あっという間にバラバラに出来たのにぃ」
私よりもやや小柄なその体躯の、何処にその力が潜んでいるのか。
――愚問だ。
私は、その理由を良く知っているではないか。
「物騒な事を平気で言いますね。私はそう簡単に行かないと理解して頂けたなら、ここは退いて頂けませんか?」
挑発ではなく、本気で何処かに行って欲しい。
そう思った私は、言葉に余計な装飾をせず、素直に嘆願する。
だが、理解っている。
「あはっ――あははっ。折角見つけた遊び道具を、ただ捨てるなんて勿体なぁい。どうせなら、壊れるまで遊ぼうよぉ」
言葉で退くような相手なら、そもそも襲って来ない。
その碧の瞳を禍々しく輝かせ、妖しく笑いながら。
「所でぇ、お嬢ちゃん? アナタの型番は、幾つなのかなぁ?」
そこに疑いはないのだと、確信をもって言い切る。
私を見据えるその目は、少しも笑っていなかった。
なんだか訳知り顔の、危ない人です。