23 隣に立って
巻き込まれるのもまた、日常です。
イリーナが泣くのは、もしかしたらだが。
なんとなくそう思う、程度の、根拠のない勝手な憶測なのだが。
私がきちんと話をしないからなのでは?
根拠はない。
無いのだけれど、そんな気がした。
お姉さんが旅を続ける心算なのだと知って、私は動揺した。
冒険者になりたいと思っていた時も、衛兵隊に入ると決めた時も、私はお姉さんと一緒なのだと、信じて疑わなかった。
お姉さんは一言も、そんな事を言っていなかったのに。
勝手に思い込んでいただけの私は、取り縋るとか声を上げるとか、そんな事を思ったり行動したりする前に、涙が溢れて止まらなかった。
なんで、ずっと一緒に居るのだと思い込んでいたのか、考える余裕もなにも無かった。
ただ、珍しく慌てた表情に変わったお姉さんが、とても優しく頭を撫でてくれたことは、今でも覚えている。
「よお、冷血女。随分と悠長なお目覚めだな?」
人様の顔を見るなり、顎髭が冷たい目で嫌味を飛ばしてくる。
「説得に時間が掛かりましたので。まだ、納得してくれたとは思えませんが」
もっと色々と返してやりたい気持ちは有るが、苛立ちに比して言葉は出てこない。
「この街に着くまでだって、時間は有ったんだろ? なんで今まで、そう言う話をひとつもしなかったんだよ」
アルク氏の非難がましい視線は止まず、丁度休憩に訪れた様子の、いつもの部下2人も上司に良く似た視線を私に飛ばしてくる。
「イリーナはこの街に用が有るとは聞いていましたが、私は旅の途中に立ち寄るだけの心算でしたし、その旨説明申し上げた……心算だったのです」
事の非の下駄をイリーナに預けようと思ったが、それは流石に無理が有ると、自分でも理解って歯切れは悪くなる。
事は、もっと単純で。
私が最初にイリーナの話を、目的を聞いた時点で、「そうですか、頑張って下さいね」と、切り離していれば良かったのだ。
いや、そうした心算だったのだ。
そこで終わったと思い込んだ私のミスだろう。
もっと、折に触れて「私は旅を続ける、足を止める事は無い」と言い続けるべきだったのだろう。
私が忌々しく思うのは、そんな事を考えてしまう事実そのもので。
出会ってしまっただけの少女相手に、何故こうも心を乱されているのか、その理由に思い当たらない事だ。
「どうでも良い事には良く回る口が、大事なことは随分と疎かにしたモンだな。イリーナの訓練は3日ばかり空けておくから、良く話し合ってこい」
自分の心との折り合いがつかない私は、アルク氏の言葉に素直に礼を述べることも出来ず、バツの悪い顔で頭を下げると踵を返し、一度私室へと戻る。
話し合いと言っても、何を言えば良いのか判らない。
それが一番の問題なのだと、尽きない溜息を漏らしながら。
そうして、私はイリーナと、他愛の無い事を話し合った。
私の見たい景色。
イリーナのなりたい姿。
もうじき行われるという、この街の大規模なバザーの事。
アルク氏は、髭がない方が良いのではないかという疑惑。
イリーナは、泣いて、笑って、くるくるとその表情を変えた。
この程度の会話さえ、私は交わさなかったのだと、実感した。
気が付くと、私はイリーナの頭を撫でていた。
やはり私は、人付き合いが苦手なのだ。
こんなにも容易く人の心に踏み込んでくる、人懐っこい子供の相手は、特に。
それを自覚してしまえば、私は一刻も早く、此処を離れるべきなのだろうと。
弱い部分が、逃げ道を探すようにそう訴えて掛けてくる。
私は歯を食いしばるような気持ちで笑顔を維持し、イリーナの話を聞き、相槌を返した。
結果、私はイリーナの希望やアルク氏たちの煽りも有り。
暫くは、イリーナの傍らに居ることになってしまった。
この環境に居ることに嫌悪感は無いが、旅が止まってしまうことは不本意ではある。
だが、それもこれも、アルク氏に言わせると「私の説明不足と確認不足」で、実に腹立たたしい事に反論の余地が無い。
どうせ成人するまでは見習いが続くし、その間は雑用と訓練くらいしか出来ないから、そんなイリーナがある程度訓練についてこれるようになるまでは。
「……頼むから、あの嬢ちゃんを見ててやってくれねえか?」
真剣な顔で言われてしまっては、軽口で応えるのも憚られる。
どうせ、私自身も修練をし直している最中でも有る。
そう思い静かに頷いて、それからは幾らかの時間を、賑やかに、穏やかに過ごした。
魔法教会や商業ギルドと勝手に進めた風呂回りの話に関して、部外者である筈の私が衛兵隊の総隊長宛に始末書を書かされたり。
挙げ句、南以外の各衛兵隊舎への入浴設備導入の手続きをやらされたり。
腹癒せに魔法教会の連中を巻き込んで防犯、特に一部冒険者の犯罪歴隠蔽に対処するための装置を開発したり。
このままだと衛兵隊南隊舎の食堂を任されそうだったので、ちゃんと料理人を雇わせ、何故か私が雇った料理人に料理指導を行ったり。
先代から譲り受けた知識の幅の広さに、呆れつつ感謝したり。
なんて考えていたら、衛兵隊の各部門から入隊勧誘を連日浴びる羽目になったり。
イリーナと一緒に訓練を行い、日々成長するその様子に驚き、言い知れぬ寂しさを覚えてみたり。
そんな彼女と異なり、私のトレーニングの成果は一向に現れず、さりとて危機感も無い私は、そんな日常をやり過ごし、少しづつ背が高くなるイリーナの隣に立っていた。
季節は巡って、イリーナはもうじき、成人を迎えようとしていた。
当たり前の日々も、季節を回していきます。