22 踊る人形
準備は整いつつ有るようです。
色々と日常の雑務をこなしながらイリーナの衛兵隊入りはどうなるのか、気を揉みながら数日。
そこそこ纏まった路銀を手にしている私だが、ちゃっかりと隊舎の一室で、いずれは慣れなければならないからと言うイリーナに付き合い、共に過ごしていた。
ちなみにこの隊舎には風呂と呼べる設備は無く、水浴びで身を清めるのみ。
風呂という概念が無い訳ではなく、単にコストの問題と、それほど普及している訳でも無いだけだ。
私としては覗かれ放題な井戸回りで水浴びなど論外であるし、イリーナのこの先も心配になる。
普及が控えめであるということは、逆に言えば無いことはない、と言う事なのだから、何とか手を打てないものか。
……なるべく元手のかからない方法を望むのだが、そんな都合の良いものが有る訳もなく。
私とイリーナはおとなしく、入浴と着替えは魔法住居を使用する事にしたのだった。
ただ待っているのも暇である。
と言う訳で、イリーナを連れて気ままに街を散策してみたり、イリーナが衛兵隊の見学をしている間に魔法協会を冷やかしに行ってみたり。
私は自分が人形であることを忘れる勢いで、ベルネと言う街を堪能していた。
それなりに色々と考えてのことでは有るのだが、行動の上辺だけを並べてみれば。ただ遊んでいるだけにしか見えないだろう。
そんな風にどうでも良いことに思考と行動のリソースを割り振っている間に、と言うか思った以上にすんなりと、イリーナの衛兵隊入隊は許可が出た。
許可は出たのだが、別の問題も湧いて来た。
「はあ!? お前、イリーナと一緒に衛兵隊に入るんじゃないのかよ!?」
目を丸くして驚きの声を上げるアルク氏の様子に、私は妙な倦怠感を覚える。
なんで私がこの数日、イリーナに衛兵隊の訓練の様子を見学させつつ、この街の魔術協会のロッジに顔出していたと思っているんだ。
本来なら出したくもない「マスター」の名前と私の正体を晒して、マスターの幾つかの実験データと商売になりそうな魔法活用の方法を持ち込んで、怪しい連中とあーだこーだと楽し……交渉していたのは、全ては私が居なくなってからのイリーナの不便が少しでも解消したら良いな、という思いからだ。
私はもうじき、この街を去る予定なのだし。
「なんでそうなるんですか。私は森でイリーナを保護して、ここまで送り届けただけですよ。後はこちらで引き受けて貰える訳ですから、私は旅を続けるだけです」
魔術協会の連中と商業ギルドの方の話が纏まれば、まずは実験として、この隊舎に入浴用の設備が整うことになっている。
割と無策で振ってみた話だったのだが、思った以上に魔術協会側の食い付きは良く、商業ギルドの反応は激しかった。
良い方向で。
なんでも、西の古い交易の街で最近入浴施設が開業したらしく、最近そちらに流れる旅人が増えたのだという。
なので、この街でもそういった物が用意出来ないか、連日話し合いが持たれていたらしいが、用地の確保も出来ず、そもそも大型浴場向けの魔法式ボイラーが準備出来るのか、最新の「フランチェスカ式ボイラー」とやらを使うのは気に食わないし、現行技術でなんとか出来ないか、なんて段階で話が進んでは戻ってを繰り返していたらしい。
そんな体たらくだから、客を取られるんだろうに。
ダンジョンによる冒険者寄せ効果と、それを相手にする商人頼みで、良くこの規模の街が維持出来ていたものだ。
統治者が余程優秀なのかも知れない。
そんな訳で、魔術協会には先程述べたモノを、商業ギルドには既存のボイラーを並行同時使用しつつ魔力消費を10%程度軽減できる、接続型の魔法装置の仕様書と設計図を売りつけた。
勿論私の作ではなく魔術協会で新たに出会った悪友の作なのだが、元ネタの提供は私だからと気前よく譲ってくれたので、遠慮なく売り払った。
当の設計者はもう既にボイラーなんぞには興味を失い、私が冗談で話した内燃式エンジン技術と魔法技術の融合というロマンだけが溢れるモノに夢中らしい。
その研究資金にすれば良いものを、と思ったのだが、本人はもうとっくに後方確認を放棄しているのだからどうしようもない。
もともとイリーナの為の行動だった筈なのに、気付けば無闇に路銀を増やしつつ、商業ギルドがやりたい入浴施設の実験場所として(勝手に)衛兵隊の隊舎を提供し、衛兵隊は無料で入浴設備を手に入れる。
見事なWin-Winとなった。
……まだ衛兵隊には話を通していないが、なに、拒否された所で私は困りはしない。
逃げる算段は付いていないが、まあ、どうにでもなるだろう。
「おいおいおい、何だよそりゃあ。上に、入隊希望2名って通しちまったぞ?」
もはや見慣れた彼の部下2名も目を丸くしている中、アルク氏は頭を掻きながら視線を私……の隣、高さで言えば胸の辺りに移す。
また微妙な、何もない空間を……と思い掛けて、そして私は思い出す。
ここ最近、ちょっと別行動が続いた束の間の同居人。
一緒に居るのは朝は朝食までと、夜は夕食から、という感じで、日中は既に衛兵隊の見習いとして訓練に参加しているがんばり屋さんを忘れつつあったとか、私としても申し訳ない気持ちを抱かない訳が無い。
そんな申し訳無さを纏わせた視線を何気なく向けた私は、ぎょっとして表情を変える。
変わったと思う。
「お姉さん、お姉さんは、一緒に居て、くれないんですか?」
止めどなく流れる涙を拭うことも忘れた様に、此方を見上げて、声を殺して泣いていた。
その姿はいつぞやの夜も見たような気がしたが、何故かあの時よりも強く、悲壮感を纏っているようにも見える。
そんなイリーナが、苦しげに、短く区切って問いを投げ掛けて来た。
その短いセンテンスの中にある思いを完全に汲み取れないほど、私はまだヒトデナシには届いていない。
居ないのだが、ではその想いに応えられる程の懐の深さと覚悟は有るかと自問すれども……当然そんなモノの持ち合わせは無い。
おかしい。
私は、ちゃんと、イリーナと別れて旅を続けるのだと、そう伝えていた筈だ。
折に触れて、口に出し……もしかしたら思っていただけ、だったかも知れない。
頭の中でぐるぐると言葉を動かす私だったが、少女の涙を前に、謝罪も言い訳すらも、滑らかに出てくる言葉はひとつも無かった。
気持ちは整わないようです。