21 気分転換
少女の未来を変えてしまったかも知れないのに、呑気です。
イリーナを衛兵隊に推薦してみたら、本人も割と乗り気になってくれた。
とは言え入隊できるかどうかは衛兵隊の都合もあるので、まずは分隊長たるアルク氏が上に話を通して、その反応次第で面接、という流れになり、それまでとは違う緊張と不安に包まれたイリーナ。
そんな彼女の気を紛らわせる為、と言う建前で、私達はアルク氏の許可を取り、街へと繰り出した。
魔獣や獣の素材類――肉は食用に幾らか確保した上で――を買い取って貰うために冒険者ギルドへと足を運び、無事に纏まった路銀を確保するついでに冒険者登録を勧められて断って、そして人の賑わう大通りへと繰り出した。
目を輝かせるイリーナに屋台の料理を買ってあげたり、そんな彼女に酒を勧める露天のオヤジに睨みを効かせたり、数組の冒険者達に何故か避けられたりしつつ、私達は交易の街の賑わいを楽しむ。
昨日までの私の生活からは考えられない程の人の群れだが、この世界に来るまでの生活を思い起こせばそこそこ程度の人混みだ。
歩くことにも、特に支障はない。
対してイリーナは人の多さに圧倒されている様子で、私の手をきつく握って離さない。
屋台で買った軽食は、もう既に食べ終わっている。
初対面の時と違い色々と余裕がある状況なので、その辺りはイリーナも落ち着いて食べてから移動出来たのだ。
空腹で彷徨った挙げ句に魔獣に襲われて死に掛ける、などと言うことを経験したことがないので、イリーナの心情は想像するにも余るのだが、多分、尋常な精神状態では居られなかったのだろう。
きっと。
「お姉さんが言ってた、新鮮なお野菜とか……何処に売ってるんだろ?」
人混みに気圧されて周りをキョロキョロと見回しながら、イリーナはそんな事を口にする。
お上りさんよろしく目を輝かせつつ人の多さに若干怯みながら、その上で私の目的も覚えていてくれた事に少しだけ感動を覚える。
私が既に忘れ掛けていたというのに。
「歩いていれば、いずれ辿り着くでしょう。もう少し、色々と見て歩きましょう」
ともすれば私の方がはしゃいでいる事実を静かに押し隠しながら、イリーナを促す様に見せかけて「もっと色々見たい」という気持ちをアピールする。
そんな私を見上げて、彼女は嬉しそうに頷いた。
もしかしたら、私がはしゃいでしまっている事は、バレているのかも知れない。
お姉さんに手を引かれて、人が沢山行き交う通りを歩く。
見慣れない景色、見たことのない食べ物や道具類に、興味の対象がどんどん目移りしていく。
人が多すぎて少し怖いけど、それでも好奇心は抑えられない。
だけど、私の我儘にあまり時間を使ってはいけない。
お姉さんは食材の補充がしたい、と言っていた。
肉類は沢山有るけれど、野菜類は殆ど無いのだと。
言われてみれば、お姉さんの作ってくれる食事には、野菜が少なかった気がする。
他にも欲しい物が有るので、食材を扱っている店か区画を探しているのだと言っていた。
そんなお姉さんの邪魔をしてはいけない。
そう思ってお姉さんを見上げて、目的地はどの辺りだろうかと聞いてみたら、お姉さんは静かに微笑んで、まだ時間が有る、他にも見て回ろうと言ってくれた。
普段、あまり表情を見せないお姉さんの笑顔がなんだか嬉しくて、そして、私が物珍しそうに景色を見ていたのがバレたようで恥ずかしくて、なんだかくすぐったい気持ちでお姉さんの手を両手で掴む。
新しい街で、今までにない体験に飛び込む。
そんな不安も、お姉さんが居てくれたら乗り越えられる。
私はこの時、愚かにも。
マリアお姉さんはずっと一緒に居てくれるのだと、信じて疑っていなかったのだ。
結果、2人で目を(多分)キラキラさせてあちこちを見て回り、昼食などをいただき、目当ての食材や香辛料を扱っている店を発見してあれこれ買い込んで、気が付けば空は夕刻の少し前と言う色合いになっていた。
私ともあろう者が、また随分とはしゃいでしまったものだ。
買い歩きと言うものが、いや、人混みを、街の中を歩くと言う行為自体が随分と久しぶりで、私はこんなにも人恋しかったのかと驚きもした。
私の知っている街並みとは、随分と様子が違うというのに。
冒険者や衛兵など、行き交う人の中には些か物騒なものを腰に提げている者も少なくないが、それが白刃を抜き放たれていたりしない限りは誰も大げさに反応しない。
今更ながら、そういう世界なのだと実感した。
そんな格好で普通に賑わっている通りを行き来しているのだが、鞘当などは気にしないのだろうか?
試してみたい気がしなくもないが、そんな事の為に武器庫から剣を出すのも億劫なので好奇心は押し潰しておく。
そんな事を思いながら、私は。
「……イリーナ? 貴女、随分と自信がお有りのようですが、この道は通った事が有りましたか?」
イリーナに手を引かれて気が付くと、雑踏を避けた裏道を歩いていた。
森の中での感覚で、つい彼女の思うままに任せてしまったが、ここは彼女にとっても見知らぬ土地。
あまりにも迷いなく歩くその姿に失念していたが、ちゃんと目的地である衛兵隊宿舎の位置を把握しているのだろうか?
私なら一度あの大通りに出てから、辿った順路を思い出しながらようやく帰れる、その程度の距離は歩いた筈なのだが。
うっかりはしゃぎすぎてしまったのは彼女も同じか、と、内心で小さく安心したのも束の間。
「通ったことは無いです。でも、帰る場所は判っているので、迷いません」
振り返った笑顔から放たれた言葉は、少しばかり私の理解を外れたところを飛んでいった。
「私、小さな頃から、目的地がわかっていれば、迷ったことがないんです」
続いた言葉も、私は呆気にとられて聞くしか無い。
なんだそれは。
考える間に、イリーナは私の手を引き、迷いなく歩く。
見知らぬ街で、縁も無かった建物を目指して。
ここは、決して小さな街ではない。
大規模な交易の街、いや、都市と言って差し支え有るまい。
そんな街中でそれは、大体の方角が判るから、とか、そういったあやふやな自信でやって良いことではない。
本来ならすぐに止めて、大通りへ出るのが正解だろう。
それなのに、私は、イリーナを止めることも窘めることも出来なかった。
これも、特殊技能というやつだろうか?
私は、私自身は持ち合わせていないそれを思い浮かべ、小さく感嘆の吐息を漏らす。
森の中のあれも、偶然ではなかったのか。
危機察知とは別物のようで一度は死に掛けていたが、確かに彼女は森を抜けてみせた。
私は小さく頭を振る。
断定は出来ない。
それこそ鑑定でも使えば彼女の所持技能を知る事は出来るだろうが、私は、数日旅を共にした少女に無断でそれを行うことを躊躇した。
そんな事をしなくても、彼女の思うままに任せて、最悪迷ったらその辺の衛兵でも捕まえれば良い。
そんな風に思考を逃避させていた。
だから。
「だから、どこでもあんまり迷ったりしません。お姉さんが行きたいところがあったら、ちゃんと目的地が判っていれば、いつでも案内出来ます」
そんな彼女の笑顔の裏に有る思いを、知ることも出来なかったのだ。
すれちがいは、少しずつ大きくなってきました。