20 新しい道へ
突拍子もない事を言い出しました。
僅かな時間とは言え、訪れた静寂に耐えきれず、私は出来るだけ平静を装ってイリーナの方へと顔を向ける。
そこには、私が何を提案したのか、理解出来ているけどどうしてそうなったのか判らない、そんな困惑顔がこちらを向いている。
「……俺の一存で軽々しく返事なんか出来ねえけど、ま、悪くねえ考えかもな。お嬢ちゃん次第だが、話しとくくらいは問題ねえ、結果についてはなんとも言えんが」
さてどう応えたものかとイリーナの目を見る私の耳に、煙草の煙とともに吐き出された言葉が滑り込む。
そちらへと視線を向けると、思いの外真面目な顔のアルク氏が、私を真っ直ぐに見据えていた。
「それは勿論、イリーナの意志を確認しなければなりませんし、そちらの都合も御座いますから。冒険者になるよりは安定するかと、そう思って言ってみただけです。無理を通せとまでは申し上げられません」
何事かを考え込む様子のアルク氏に、私は思っていることをそのまま伝える。
衛兵隊でなくとも、他に幾らでも仕事は有りそうなのだし、街を歩くだけでも色々と見えてくるものも有るのだろうが、少なくとも今すぐに、イリーナを冒険者として送り出す気持ちにはなれなかった。
その冒険者崩れなども相手にする職業だし、トラブルの際にはあちこち走り回ることになる、そんな職業だ。
だけれども、少なくとも同僚が居て、上司が居て、少なくとも危険に対して1人で立ち向かわなければならない、なんて事にはならない……筈だ。
何が有るかなんて判らないのだけれど。
「……正直、若えヤツで、衛兵になりたがるのはそう多くない。大概は冒険者に夢見ちまってるからな。そういう意味で、こっちとしちゃあ寧ろ有り難えくらいだ」
イリーナに目を向けたままで言うアルク氏の後ろで、頷きながらやはりイリーナへと視線を向けている若い2人の衛兵。
アルク氏の発言から判断するに、彼らもまた珍しい部類の存在なのか。
「嬢ちゃんはどうだ? 冒険者程稼げねえかも知れねえが、給金に波は無え。まだ若えし、訓練やらなんやら大変だと思うが、ウチの大隊長はいつも『無闇に無茶するな』っ言って、ありゃもう口癖になってるレベルだ」
アルク氏の言葉を、後ろの2人の衛兵の苦笑が補強している。
咥えていた煙草を灰皿に押し付けて、分隊長殿は短めな言葉を続ける。
「だからまあ……他所に比べりゃ、この街の衛兵は働きやすいんじゃねえかと思う」
その視線を真っ直ぐに受け止めてから、イリーナは私に視線を向けて、そして困ったような表情を浮かべる。
アルク氏の話を聞く限り余り悪い印象は受けないが、実際に働いてみないことには判断も出来まい。
特に、昨日まで、と言うか先程までは冒険者になると思っていたのだし、急に言われても困ると言うものだろう。
我ながら、思い付きで他人を振り回すのはどうかと思うが、多分これが。
今更遅い、と言うものだろう。
考えてみたら、お姉さんは、朝から口数が少なかった。
……いつもだって、それほど多い訳ではないのだけれど。
でも今日は、そんな事を考えていたから特に口数が少なかったのかと、少しだけ納得した。
お姉さんは冒険者にあんまり良い印象を持っていないように、思ってはいた。
森の中で出会ってこの街までも、そして昨夜の酒場での事も。
そんなお姉さん自身も冒険者なのではないか、その身のこなしを見て思ってもいた。
だからこそ、冒険者になることに難色を示したのだと。
そんなお姉さんが、私のために考えてくれたであろう、提案。
衛兵隊に入る。
私は、考えても居なかった。
分隊長だというアルクマイオンさんは、少し乱暴な話し方だけど、本当は凄く優しい人なんだと思う。
私に務まるのだろうか、とか、そもそも入れるのかどうか、とか、戸惑いは幾つも重なる。
だけど、突然の提案だったというのに、私には嫌悪感も拒否感も無かった。
私は戸惑いに揺れる瞳をアルクマイオンさんからマリアお姉さんへと向け直して、その目を見る。
静かな、静かなその目を。
何も言ってくれないけれど、だけど、その、優しさを。
私は少しだけ目を閉じてから、すぐに目を開き、そして頷く。
出来るかどうかで尻込みするなら、始めから冒険者を目指したりはしない。
他に思いつく仕事も無かったから、父と母の思い出を追って、冒険者になろうと思っただけだ。
背中を押してくれる人と、手を伸ばしてくれる人が居て、迷う理由はもう思いつかなかった。
私の目を見て小さく頷くイリーナに、私も小さく頷き返す。
なんで頷かれたのか今ひとつ理解っていないが、まあ、その気になったとか、そういう事なんだろう、きっと。
イリーナがその気になって、アルク氏が上に話してくれた所で、その上の人が駄目と言ったら振り出しに戻る訳なのだが、余計なことを言って場を白けさせる理由も必要もあるまい。
イリーナの進路が決まってくれれば、私としても気兼ねなく旅を再開できると言うものだ。
中断という程この街に逗留しているどころか、まだ1日しか経っていない。
とは言えもうじき子守も終わりでお役御免であろうし、少しゆっくりと街を眺めてから旅を再開しても良いだろう。
次は北に向かおうかな、そんな事に思いを馳せる私は、キラキラの顔でなにか言いたげなイリーナから、そっと目を逸らすのだった。
自分の発言に、責任を取る態度には見えません。