1 森の旅路
旅は始まったばかりです。
山野の獣と、魔獣の違いは何か?
獣は不利を悟れば逃げるし、何よりも相手を見る。
だが、魔獣は問答無用の攻撃性を持ち、視界に入ればそれが何であれ――同族ですら――動くものには襲いかかる。
その上、外見もかなり異なってくる。
例えば、フォレストボア――それなりに大型の猪だが、これは魔獣化すれば単純に、更に大型化することが多いと言う。
普通ならせいぜいが私の胸辺りまでの体高の猪が、このように見上げる程にも巨大になると言われれば、なるほど判り易い変化と言えるだろう。
言い忘れたが、今の私の身長は167センチ。
元の身長が約170センチだったので、およそ3センチ程縮んだ訳だが、言うほど違和感がないのが癪だ。
脚は長くなった気がするが、これに関しては気の所為だろう。
負け惜しみではない、間違いなく気の所為だ。
さて、そんな魔獣化したフォレストボアを屠り、溜息を吐いてからその残骸の分解を開始する。
解体ではなく、分解だ。
何しろ細かなことを考えず、獲物の内臓を傷つけたりしないようにと思えば、素人の私では手足をもぎ取り、背中辺りの肉を剥ぎ取るくらいしか出来ない。
こんな不格好な作業を解体と称してしまっては、色々と申し訳ない気分になってしまう。
申し訳なく思いつつも作業をやめないのは、当然のように破損した左腕の外装を修復するためだ。
とは言え先日の山賊達との戦闘後と違って、何倍も気が楽だ。
動物の姿をしてくれているから、素直に肉にして調理して食べよう、と思えるのだから。
――解体して肉にしてしまえば同じ、と思える程、私はまだ人外には成り切れていないらしい。
必要と思える量の肉を切り出し、他にも食用に適している――魔獣の肉も、普通に食用として流通しているらしい――部位を申し訳程度に斬り分け、魔法鞄に放り込む。
この魔法鞄と言うモノの説明は不要かも知れないが、簡単に言ってしまえば見た目以上に物品を収納出来る、非常に便利な鞄だ。
内部は時間が停止しているので、生モノが腐る心配もない。
逆に言えば、バッグの中で血抜きが終わる事が無ければ、熟成が進む事も無い訳だが。
血抜きに関しては、攻撃魔法の流用でなんとかなるのだけども。
さておき、そんな便利なアイテムを気前よくくれた先代に感謝しつつ補足というか、蛇足を付け加えるなら、この世界の魔法鞄というモノは大まかに2種類に分けられるのだと聞いている。
まあ、ご想像通りの、時間が止まるか止まらないか、というヤツだ。
ちなみに、どちらのタイプであっても、生命体を放り込むのは問題無い。
時間が止まらない方は鞄の内外で時間、というか意識が連続しているのに対して、時間が止まる方は中にいる間、意識も断絶している、という違いが有るだけで。
どちらも内側からは、余程特殊な魔法を施されていない限り自力で出ることは出来ないという事も共通している。
自力で出れないのは問題かもしれないが、少なくともどちらも即死はしないのだから、きっと大丈夫だろう。
まあ、時間が流れている方は兎も角、時間が止まっている方では、そもそも脱出しようなんて考える事も不可能になる訳だが。
特殊な方法を施されたモノは、具体例で言えば居住空間として利用出来るように改良を施されているとか、そういったモノになる。
魔法世界の魔法技術の粋を凝らしたような非常に快適な居住空間を備えたものから、簡単な寝泊まりできる程度の簡素なものまでピンキリだが、いずれにせよ、これが有れば野営の危険が大幅に軽減されるので人気の品だ。
……人気だからといって、誰もが持っているモノでも無いのはお約束だ。
なにせ簡単な構造のものですら、口で言う程簡単には作れない代物なので、必然とてもお高い。
比較的稼ぎの良い上級冒険者、と呼ばれる連中ですら、持っていない事の方が多い。
そんなお高いアイテムも当たり前のように持っていて、お陰様でとても就寝が快適なのは、私の数ある密かな自慢のひとつだ。
……同じくらいの数だけ、不平不満も抱えているが。
どうせ私の姉妹人形や資金にあかせて作られた他の人形も、似たようなものは持っているだろうし。
更に余談では有るが、この魔法鞄は所属する団体や国によって呼び名が変わる。
魔法鞄は魔法協会に所属する者が好んで使用する呼称で、それ以外には、主に西の「王国」を中心として「アイテムボックス」と呼ばれている。
これは容量を「リットル」で表示するか「立方メートル」で表すかの違いだけで、モノは同じだ。
私個人としては、別に魔法協会に関係も無いし立方メートルのほうがイメージしやすいのだが、先代及び私の使用しているこの身体を造った主――先代曰く「マスター」が元魔法協会関係者だったとの事で、それに倣っている。
ただの自律人形に人格を持たせたり、過剰な戦闘力を与えたり、その「マスター」とやらがイカれているのか魔法協会関係者が全員どこかのネジが外れているのかは不明だが、いずれにしても余り関わり合いになりたくないものだ。
そんな事を考えながらも、気がつけば簡単な調理を終え、私は食事という行為に胸を踊らせる。
特に派手な戦闘などが無ければ、消費する魔力を大気から吸収する方が上回る。
そんな理由から通常は食事の必要すら無いのだが、元人間である私としては、形だけでも1日3食、きちんと食事を摂りたいと、心が求めてくる。
心の乱れは身体の不調につながる。
そう信じているので、素直に自分の心に従う。
人形の身体に不調が出たら、それはただの故障だと思うが口に出してはならない。
不用意に湧いて出た疑念から目を逸らし、能天気に食事を楽しむ心算だった私は、不意に眉を寄せた。
絹を裂くような悲鳴と言う、食事のスパイスとしてはあまり相応しくないものが、微かに鼓膜を刺激したからだ。
……これは……。
食べてからだと、ダメだろうか?
……まあ、いずれにせよ、間に合わないだろう……な。
溜息混じりの視線を皿に載せたボア肉のステーキに落としてから、もう一度深々と溜息を落とし、魔法鞄にそれらを仕舞うのだった。
一度は見捨てようかと悩んだようです。