15 まずは自己紹介
今回は、シリアスさが一握り含まれているかも知れません。
理不尽。
それは道理に合わない、と言うこと。
ではそれは、具体的にはどういう状態かと言うと。
「なんでお前は、短いとは言え旅を共にする相手の名前くらい、聞こうと思わないんだ?」
「どうせ短い期間ですし、訊いてどうするのですか。そのうち忘れると言うのに」
「そういう事じゃないだろうが。っ言ーか、お前は名乗りもしない相手を信用して、旅なんか出来るのか? 今回はたまたま無害なお嬢ちゃんが相手だからまだ良いが、相手が身体目当てのクズだったらどうしたんだ」
「そんな不埒な相手なら叩き潰しますよ、物理的に。確かに今回はまったく失念していましたが、次回こういう機会には、きちんと魔法を使用して信用出来る相手かどうかを確認しますよ」
「今回出来なかったことが、次回出来る訳無えだろうが! 大体、どういう魔法でどうやって確認すんだよ! そもそも、そう言う問題じゃ無え!」
「出来ます。でーきーまーすー。そういう事は魔法に詳しくなってから言って下さい。それに、じゃあどういう問題だと言うのですか」
「お前さんの危機感の問題だ!」
「私に危機感を覚えさせるような相手なんて、そうそう居るはず無いでしょう。大丈夫ですか? 状況を理解出来てます?」
「だから何だよその意味不明な自信は! 心配なのはお前の現状認識力だよ!」
こういう、不毛なやり取りに身を置かねばならない事は、それに近いと言えるだろう。
どれがどっちの発言で、それぞれどういう態度でのやり取りだったのかは、お互いの名誉の為に明かさない事にさせて頂く。
徐々にヒートアップするアルク氏だったが、この男は本当に、何を言っているのだろうか?
特に、私の心配等と言い出すとは、また酔狂な御仁だと、いっそ感心してしまった程だ。
そんな事を考えながら適当に、飛んでくる売り言葉に添える買い言葉を選んで、適当に投げ返して遊んでいると、終いには彼は立ち上がってテーブルをバンバン叩いた挙げ句、がっくりと椅子に腰を落とした。
暑苦しい上に喧しい事である。
「……あーもー、お前と話してると無駄に疲れる。もう良いよ、ただ嬢ちゃんには謝っとけ」
肩を落とし、疲れ切った様子のアルク氏。
あちこち走り回った後に大声を張り上げたりすれば、それは疲れる事だろう。
熱く語った彼には悪いが、自己紹介にどれ程の意味が有るのか、今ひとつ理解出来ない。
出来ないが、それを言ったらアルク氏がまたヒートアップしそうな、謎の予感が強く漂う。
なので放置して観察していると、疲れ切ったような顔を上げて私に問いを投げ掛けてきた。
「そんで、お前の名前は何よ」
言われて、私は考える。
私は重要視していないが、挨拶代わりに自己紹介する手合や、信頼の証として名を明かす御仁も居る。
そうである以上、気軽にせよ重々しくあるにせよ、こういう事態を、名を問われる場面を想定していなかった訳ではない。
名乗る事自体に抵抗は無いのだが、それとは別に問題を抱えているので、考えざるを得なかったのだ。
私は聖教国の手によって、生命を刈り取られた立場と言って良い。
こちらに来て暫くは、単なる事故に巻き込まれただけだと呑気に思っていたのだが、ある時先代が教えてくれた。
勿体ぶっても仕方がないので簡潔に言えば、聖教国は、良く有る世界を裏から牛耳りたいとかいう、手間暇とリターンが釣り合っているのか分からない事にご執心なのだとか。
その為の手駒を手っ取り早く用意したかった、と言うしょうもない理由で、ご丁寧に魔法まで使って、私が元いたあの世界の「人間の魂」をお取り寄せした、というのが真相だったらしい。
私が巻き込まれた事故で、結果何人死んだかは判らない。
聖教国にしても、目的の数を確保出来さえすれば、後は所詮――彼らから見て――異世界の出来事、結果何人死のうが知ったことでは無かったらしい。
だから、その魔法が誰を狙っていたのか、私を捕らえるための物だったのかも怪しい。
大雑把で粗い魔法故に、細かい指定は出来ない。
精々、ある程度の地域を指定できる程度のモノなのだ。
そんな程度だから、予定数に対して多かったり少なかったり、結果はまちまちだったそうで。
……私の時には、多かったのか少なかったのか。狙われたのか巻き込まれたのか、知らないし知りたくもない。
本来であれば、教国が用意した依代と言う名の生贄の死体に、私の意識、と言うか魂が定着させられる予定だったらしいのだが、私は藻掻いて足掻いて、そして先代の伸ばした魔力の枝に縋ってそれを逃れた。
逃れた先が人形の身体で、気が付くと私は元人間の人外に成り果てた訳だが、さて。
糸の切れた操り人形と黒い思惑で踊らされる傀儡、どちらがマシかと考えれば多少は慰められもしたが、やはり自分が人間では無くなったと知らされた時には混乱もしたし、途方にも暮れた。
しかし元々いい歳をしていた私は、比較的早く状況を受け入れ、そして同じ身体に宿る先代の意識に様々な「この世界」での知識を教わったのだ。
「私の名は」
ある程度全てを私に授け、智慧の泉は満足してその存在を消した。
その際に、私はその名を受け継いだのだ。
単純に、尊敬の念を抱いていた、と言うのも勿論有る。
だが、それと同時に。
元の世界の、まあご同類が幾人も存在して、その内の一部が教国で暗躍ごっこに興じている有様を知って、下手に元の世界での名前を、日本人名を明かす事には抵抗があったのだ。
この世界に居るであろう同胞が、味方とは限らないのだから。
「マリア。ただのマリアです」
この世界では、貴族様か特殊な事情でもなければ、姓を持たないのが一般的で、大抵は出身地か、或いは生活基盤となる村なり街なりの名と共に自分の名を名乗る。
しかし、私にはこの世界での出身地も何も無い。
強いて言うなら霊廟のマリアだが、そんな思春期男子が患っていそうな名前を名乗るのは大いに気が引ける。
もうひとつ、と言うかちゃんと名乗るべき「銘」は持っているのだが、それもあんまり変わりはしないし、人間相手に告げても特に意味も無いので、現状ではこう名乗るしかない。
「……ほおん。口と性格が悪い割に、名前は案外普通じゃないか」
私の名を知り、アルクは無礼千万な感想を漏らす。
「マリア……マリアお姉ちゃん……」
一方で、イリーナは何か思うところでも有るのか、私の名前を繰り返す。
「イリーナさん、無理にお姉ちゃんと付けなくても、好きに呼んで良いのですよ? あとアルクさん、貴方は後で髭を毟ります」
私は私の中に渦巻く様々な思いを覆い隠し、少女に優しく微笑む。
微笑んだ心算だったが、果たしてどうだっただろうか。
そして、その慈しみの口調はそのまま、顎髭にはその罪に対する刑罰を宣告するのだった。
シリアスさ云々はともかく、ちゃんと名乗ることもしないとは。私の躾が足りませんでした。