102 受難続きの人形劇団
油断しかしていなかったと思いますが。
油断などしていなかった。
確かにこの街にはそれなりの強者が居るとは聞き知っていた。
だが、真後ろから声を掛けられるまで、その気配にも気付かなかったし、探知の反応も無かった。
私が知覚したと言うよりも、相手が隠蔽系の魔法を解除したのだろう。
慌てて確認した探知だが、返ってきた反応が真っ赤になっている相手など、エマ以来である。
私自身のレベルも上昇し、あの時のエマのそれを上回っているというのに。
そんな私では突破できない隠蔽魔法、そして危険反応。
「俺はこの街で冒険者をやってる、イリスってんだ。よろしくな」
背の低い、声だけで判断するなら10代なかばの少女。
その顔の大半を覆う狐面が、メタリックな光沢を放つ。
今はひとりのようだが、恐らくこれが、噂の双子の魔導師の片割れであろう。
違ったなら……こんな化け物がゴロゴロ居るなど、嫌過ぎる。
「は、はい。初めまして、旅人のマリアと申します」
慌てた気配を取り繕って答えるが、上手く隠せているのか全く自信が無い。
恐らくエマたちも私の様子に気付いているのだろうが、近寄ってくる気配がない。
おのれ、安全圏で様子見の心算か。
「旅人? 冒険者でなく?」
私が焦りを押し殺していると、狐少女は不思議そうに小首を傾げた。
この格好を見て冒険者に思えるとは、やはりあの仮面は前が良く見えていないらしい。
覗き穴らしきも無いし、当然か。
それは置くとしても、じゃあ旅人らしい格好だと自信を持って言えるのかと問われたら、返答に窮するのだが。
「相手を確認する際には、その仮面を外すことをお勧めします。冒険者と言われるほど、物々しい装備を持ち歩いては居ない筈ですので」
旅人らしく旅行用の大きなリュックを背負っているが、実際には装備どころか荷物も魔法鞄の中か、魔法住居の私室だ。
意味もなく虚勢を張る私の言葉に、狐面は肩を竦めて見せる。
「一応、これでもちゃんと見えてるんだけどな? 門の向こうからやって来て荷物無しなんざ、魔法鞄持ちだろうよ……バックパックを持ってるだろうとか、誤魔化すなよ?」
思った以上に見えているらしい。
私も思わず嘆息して肩を竦めそうになるが、ぐっと堪えて姿勢を正す。
さて、どうやってこの場を逃げ出すか。
「言ってもまあそのレベルじゃあ、隠蔽すんのも面倒だろうしなあ。下手に冒険者登録なんざしねえ方が、気楽なのかもな」
必死に考える私の虚を突くように、イリスと名乗った狐少女はその細い顎先に、しなやかな指を添える。
私のレベルが当然のように看破されていることに、驚きはないが焦りは加速する。
特に威圧を放っている訳でもなく、その佇まいはごく自然なものだ。
……風貌以外は。
いや、口調もぞんざいを越えてまるで男のそれだが……うん、触れるのは止めておこう。
ともあれ一応、敵認定されている訳では無い、という事だろうか。
「ねえねえ、お姉さん? お嬢ちゃん? すごく強いねぇ? 何話してるのぉ?」
警戒感剥き出しの私に背後から飛びつく衝撃と、ハチャメチャな順で飛ぶ質問に頭痛を知覚してしまう。
狂戦士の存在を失念していたとか、私も随分と慌てていたものである。
「お姉さんって程でもねえし、お嬢ちゃんとか呼ばれる歳でもねえわな。俺はイリスってんだ、よろしくな?」
狂戦士の無邪気な質問に、狐少女は苦笑して答える。
私は目の前の少女に対しての警戒が、背中に張り付くエマが欲求に従って暴れ始めるのではという危機感に置き換わってしまう。
街に入って即問題を起こすのだけは、本当に勘弁して頂きたい。
「俺ぁ言うほど強か無えさ。そっちは4人組みてえだけど、冒険者じゃ無えなら、唯の観光かい?」
声の調子は変わらない。
だが、ふと、背筋に冷風が吹き込んだような錯覚に襲われる。
「そうだよぉ! アリスちゃんはお酒が飲みたいんだって! 私は美味しいお菓子とか食べたいなぁ!」
私におぶさる、というか背中にぶら下がっているエマが、私の肩越しに元気な声を発する。
当然のようにそれは私の耳元なので、非常に煩い。
エマの言葉を受けた少女は右手で口元を隠し、その表情は完全に読めなくなる。
そのまま、つと狐面の角度が変わった。
恐らく、後方のアリスとカーラを確認したのだろう。
少し間を置いて何か考え込んでいる様子を見せてから、狐面がこちらに向き直る。
「なるほど、そんじゃあ、菓子はちょいと難しいけど、酒が飲めるトコでも案内するかね。付いて来な」
楽しそうに口を開くと、ごくごく気楽な調子で私とエマの横を通り過ぎようとした。
その刹那。
「下手に暴れてくれるなよ? 手加減とか、凄え面倒くせえんだからよ」
今度は冷風どころではない。
背筋を氷塊が滑り落ちたような気がして、身体が緊張した。
私の首元に纏わり付くエマの腕も、びくんと力が籠もる。
そんな威圧感も一瞬で消え去り、振り返れば右手を上げて手招きし、振り返りもせず飄々と歩いて行く。
黙って見送ったら、怒られるだろうか。
まあ、先程の台詞からの一連の流れは「黙って付いてこい」と言う意味だろうし、あんな危険物の機嫌を損ねる度胸の持ち合わせは無い。
振り返ったついでに仲間の残りふたりに目を向ければ、青い顔のアリスと泣きそうな顔のカーラが私を凝視している。
「逃げられるとも思えません。行きますよ」
周囲に聞こえない程度の小声を、数メートル離れた2体に放つ。
人間では隣に立っていても聞こえまいが、アリスもカーラもそれぞれの表情のままに頷きを返してきた。
私にしがみつくエマの震えも伝わってくるが、これは恐らく、恐怖とかそんなモノでは無かろう。
右足を踏み出しながらちらりと肩越しに振り返ると、楽しくて仕方が無さそうなエマが、目を輝かせている。
視線を前方に戻した私は、取り敢えずあの狐少女の機嫌を損ねない事と、エマの暴発を止めることが己の役割なのだと理解した。
ここ最近、私の小者感が加速度的に増している気がするが、恐らくきっと、気の所為では無いのだろう。
ところでエマには、好い加減私の背中から離れて、自分で歩いて欲しいのだが。
「んで? 何だってお前は、俺なんぞを呼び出したんだ?」
人形4匹をいつもの大テーブルに案内し、酒樽の妖精こと冒険者にしてギルドの防衛班長、グスタフさんにちょっとだけ接待を任せた俺は、クエストカウンターでギルドマスターのブランドンさんを呼び出して貰った。
名目は酒のおすそ分け、って事にしたんだが、流石に組織のトップを張る男は飲み込みが早い。
「やべえ化け物がこの街に来たから、伝えとこうと思ったんだよ。言っとくけど、そこらの賞金首なんざ問題にならねえバケモンだ」
カウンターに凭れながら、俺は視線を酒場中央の大テーブルから外さない。
「……なんなんだよ、またお前はトラブルを持ってきやがったのか。いい加減にしろ」
そんな俺の脳天を鷲掴みにしながら、ブランドンさんが小声に怒気を混ぜてくる。
なんともはや、器用な事だ。
「俺が呼んだ訳じゃ無えよ。取り敢えず酒が呑みてえっ言ってたから、ここに案内したけどよ。厄介そうだし、下手に街ん中に放流したか無えしな。監視も込みで、ウチで預かっても良いか?」
俺の目は、緩いウェーブ掛かった、短めの金髪の少女に固定されている。
他の3体は俺に対して攻撃の意思を見せなかったが、アレだけは違ったからだ。
別に俺に恨みが有る訳でも無し、むしろそんな後ろ暗い感情じゃ無いから却って厄介な。
純粋に暴れたいだけの、そんな目だ。
そんなジャジャ馬、おっかなくて街に出せない。
「面倒くさがりが、そこまで言うとはな。責任は取れるんだろうな?」
俺の頭を掴んだまま、ブランドンさんがシリアスに言う。
真剣なのは歓迎だが、いつまで人様の頭に手を乗せてんだ。
「まあ、最悪の最悪は消えて貰うしか無えけどな。そんな面倒なこと、させてくれないのを祈るぜ」
暴れるとなれば、こっちは街に被害が出ないように配慮する必要が出てくる。
そんな羽目にならないように、今は祈るしかないんだが。
「俺も立場上、あんまり問題は起こして欲しく無いしな。出来る範囲で協力は惜しまん。適当に何とかしてくれ」
頼りになるかどうか、非常に微妙なブランドンさんのお言葉に、俺は苦笑いを浮かべるしか無い。
適当に、ね。
まあ得意分野だ、ボチボチやりますかね。
俺は脳天に乗せられたおっさんギルマスの手のひらを振り解くと、背中越しに右手をひらひらと振って、グスタフさんと化け物がなにやら楽しそうに笑いあっているテーブルへと足を向けるのだった。
エマの動向が、今後を決めそうです。




