99 不穏の跡
目的地が近いのですから、いっそ全力で走ってみてはどうでしょう?
森の中にぽっかりと空いた広場。
先代からの又聞き、ベルネで読んだ書籍等で知識としては有ったが、初めて目にしたそこは。
話に聞いた通り、人工的に切り開かれたようなその空間は確かにそれなりの規模の集落が有ったようなのだが。
幾つかの建物の残骸は残って居るものの、大部分は焼け落ちたように炭に成り果て、住民だったと思しき小柄な人型の白骨遺体が、野放図に繁殖する植物に紛れてあちこちに散らばっていた。
「……ゴブリンの集落が有ったみたいだね。生きてるのは居そうに無いけど」
アリスの言葉通り、生きている者の気配は無い。
集落同士の諍いでも有ったのだろうか。
文献で読んだ限り、この世界のゴブリンは特に好戦的でも極端に縄張り意識が強い訳でも無い筈なのだが、現実として凄惨な行為の跡がそこかしこに散らばっている。
何が、この集落を滅ぼしたのだろうか。
春の陽光が降り注いでいる筈なのに底冷えするような寒さを感じるのは、まともに弔われている様子もないこの光景の所為だろうか。
「少なくとも、昨日今日の出来事では無さそうです。周囲に特別な気配も無いですし、先へ進みましょう」
焼けた灰が残っていないのは、雨や雪で洗い流され、土に呑まれたのだろう。
戦争の跡、と言うには何か妙な印象を受けるが、それは私がこの世界の戦争を直に目にしたことが無いからか。
騒乱の跡も旺盛な植物の命に覆われたのかも知れないが、それにしても。
火災の跡は有るのに、魔法で爆砕されたような地形の荒れ方は無い。
腑に落ちないが、ここに真相を語ってくれる存在は無い。
私は賢者様ではないので、地脈とやらの記憶を見ることも出来ない。
つまるところ、考えても仕方がない。
私達は言葉少なく、かつてはそれなりに活気があったであろう集落跡を抜けた。
再び森に踏み込んだ私達は、これで3つめの、不可解に滅んだ様子の集落跡にぶつかった。
いや、2つまでは集落跡だったのだろうと推測出来た。
だが、この広場は。
いや、広場というより、これはクレーターと言った方が良さそうだ。
小さいとは言え集落をまるまる飲み込んだ様なそれは、半径300メートルを超えているように思える。
縁に立ち見下ろせば、すり鉢状に窪んだその中心に何か残っている様子も無い。
「こりゃあ……隕石でも落ちたのか?」
「隕石? 空から降ってくるという、質量の有る火球だったか?」
呆然と呟くアリスの言葉に、カーラが素朴に問う。
隕石と聞いて私の脳裏に浮かぶのは、数年前、霊廟――だと思いこんでいたあの場所の近く、大木の枝に乗って見ていた、地平の彼方に消えた大火球。
詳しい位置までは判然としないものの、方向的には合っている。
離れ過ぎていたので、それが自然現象の結果なのか、大魔法なのかは定かではない。
定かでは無いが、これから向かう交易の街には、天から星を呼ぶ双子の魔導師が住むという噂を聞いている。
結びつけるのは乱暴だが、無関係と考えるのも難しい。
出来れば関わりたくないが、目立たぬように過ごすのも……。
視線を巡らせれば、厄介事の象徴とも言えるような、私の誇らしい仲間たちが物珍しげにクレーターを見物していた。
2度有ることは、と言う諺が有る。
しかし、4度目であり、かつ、初めての出来事に遭遇した。
やはり集落が有ったと思しき広場の、見慣れてしまった焼け落ちた家屋の残骸や白骨達。
そんな風景の中、割りと新し目の、しかし見窄らしい掘っ立て小屋が幾つか立ち並んでいる。
私の知る限り、ゴブリンは質素な生活をしては居るものの、知性を持ち、他の人類との交流も持っていた筈だ。
眼の前の建物もどきは、質素と呼ぼうにも余りに雑である。
そして、ここには何者かの気配があるし、探知にもしっかりと反応がある。
物珍しさにうっかりと踏み込んでしまった事を、私は後悔した。
森の奥から現れた私たちに気付いた住人達が、のそのそと、その雑な塒から這い出して来たのだ。
「おいおいおい、なんだァ? 誰が来たかと思えば、こりゃあ良いや。姉ちゃん達、随分と運が悪いなァ?」
頭を抱える程、低俗な眼差しと下卑た物言い。
まともに行水しているのか疑わしい、薄汚れた身なりの男の言葉に反応して、さらに十数人が、ニヤニヤと下品な笑いを顔に貼り付けてぞろぞろと出てくる。
「これはまた随分と……。野盗かなにかか? コイツら」
アリスが辟易した顔を私に向ける。
別に私は彼らの知り合いでもなければ、仲間でも無いのだが。
「どうやら元冒険者らしいが、押し並べてレベルが低いな。一般人より強い程度の、そんな連中がこんな所で何をしているのやら」
無言の私に代わり、カーラが鑑定結果まで添えて口を開く。
探知の結果からして、そんなところだと思っていた。
「姉ちゃん達、変に暴れねぇ方が良いぜ? 大人しくしてたら、すーぐ気持ちよくしてやるからよォ」
ひとりの声に、周囲から下品な笑いが漏れる。
著しく不快だが、一応は確認しておかねばなるまい。
鑑定を使ったと思しきカーラに、私は顔を向ける。
「……あの方々は、善良な冒険者なのですか?」
自分で言っておいてなんだが、流石にそれは無いだろうと思う。
案の定、カーラはつまらなそうに嘆息すると、ふるふると首を振った。
「どいつもこいつも、軽いでは済まない犯罪歴持ちだ。そういう意味では、私達のお仲間と言えなくもないぞ?」
予想通りだが、要するに手加減も慈悲も必要無い、と言う事らしい。
「……私は別に、犯罪者じゃ無いんだけど?」
比較的最近まで真っ当な冒険者として活動していたアリスが、実に不機嫌そうな顔で噛みついてきた。
私たちと共に行動する以上、時間の問題でしか無いだろうに。
そんな事を考える私の耳には、やれ順番がどうの飽きたら売れば良いだの、皮算用にしても楽観的過ぎる台詞が滑り込んでくる。
私はひとつ、溜息を零した。
「アリス。何ならここで、殺人鬼デビューしておきますか? アレならきっと、野盗扱いで犯罪歴にならないかも知れませんよ?」
私の呟きは、距離的に男達の耳には届かない。
しかし、アリスの耳には当然入る。
嫌そうな顔が、私に向いた。
「いや、私だって殺しくらいは経験有るよ。だからってあいつらを殺す必要……ああ、放っといたらどこかで馬鹿をやらかしそうだな、アレ」
一瞬だけ人道っぽい事を口にしたアリスだが、すぐにその必要が無いことに気が付いたようだ。
苦労して金を稼ぐよりも、持っている者から奪えば良い。
邪魔する者は殺せば良い。
そんな生き方をしてしまったモノを更生させるのは、周囲も本人も、並の努力では叶わないのだ。
そして私は、そんな努力を払う気は無い。
無意味な説教に費やす無駄な時間など、毛の先ほども持ち合わせていないのだから。
「ねえねえ、じゃあさ、私がやってもいーい?」
いつの間にか両手それぞれに短刀を構えたエマが、うきうきと声を弾ませる。
そんな様子を見た私とアリスは、互いに顔を見合わせて肩を竦めあった。
思えば、随分長い時間、エマはその本分を発揮しない、或いは出来なかった。
トアズでは廃棄人形を相手に暴れたものの、その後は賢者様にいなされ、修練に時間を費やした。
その間に季節は秋から冬に入り、そして春を迎えた。
呆れ顔のアリスと私は、少し時間を置いて、頷きあう。
「エマちゃん、暴れて良いってさ」
「ひとりも逃さないで下さいね。あと、終わったら燃やしてしまいますので、ある程度纏めて貰えると助かります」
下卑た笑みを浮かべる男達は、私たちの会話の内容が聞こえていない。
数を頼りに女子供はどうとでも出来ると思い込み、ジリジリと包囲の輪を形成しつつ有る。
「もちろん! だぁれも逃さないよぉ!」
対して、弾けるような輝く笑顔のエマが、楽しそうに――駆けた。
私やアリス、カーラでさえ理解り切った結末に、同情も憐れみもしない。
返り血とかが服に付いたら嫌なので、跳ね回るエマと赤い花が咲く様子を、少し離れて見守るのだった。
あの広場は、森から一番浅い位置に有った。
だからこそゴブリンたちが集落を作り、その跡地に冒険者崩れが寄り集まったのだろう。
「お肉がいっぱい手に入ったねぇ」
森を抜けた私は、広がる草原の青さに目を細め、大きく伸びをする。
「……まあ、肉は肉……だけどさ」
ここから人の足で4日程南下すれば、そこはもう目的地だ。
「きちんと洗浄も浄化も行っているし、何も問題はなかろう。肉など、私達の補修材でしかないのだ、何を気にする事がある?」
これから人類の街に行こうと言うのに、とても不穏な会話を繰り広げる仲間たちを背に、私の顔から表情が消える。
……まあ、街に着いたら大人しくしてくれれば、文句は無い。
「あの街には数日、観光の予定で立ち寄るだけですからね? くれぐれも、善良な一般人を殺してしまったりしないように。特にエマ」
「わかってるよぉ! マリアちゃんは心配性だねぇ!」
カラカラと笑うエマの声は底抜けに明るく、この見上げた春の晴天のようだ。
ちらりと横を見れば、どこかげんなりした様子のアリスと、その向こうでなにやらエマに頷いて見せているカーラが目に入る。
ほんの数日程度、大人しく過ごして欲しい。
過ごさせて欲しい。
遥か先のアルバレインに思いを馳せ、そしてもう一度見上げた空に、私は意味もなく願わずには居られなかった。
願いというものは、儚いですね、本当に。