96 レベルアップ行進曲
ヒトの精神は疲れやすいのですね。
疲労は判断力を鈍らせる。
「あれぇ? マリアちゃん、寝ちゃってるよぉ?」
肉体的な疲労感は皆無なのだが、精神はそうもいかない。
「なんだ? 寝てるのはともかく、部屋のドア開けたってのに起きないのか? 珍しくないか?」
疲労を癒すためにも、やはり睡眠は必要なものだ。
「……中身は人間、と言っていたか。私たちとは違うのだろうな」
「いや、私も中身は人間なんだけど……」
必要なのだから、遠慮なく睡眠に沈むことにさせて貰う。
多分仲間たち……仲間と呼ぶのにどうしても抵抗が有るが、ともあれ仲間たちはメンテナンスポッドを使いに行っているのだろう。
アリスは案外すんなり終わるかも知れないが、エマとカーラは時間が掛かりそうだ。
実はメディカルルームは他にも3部屋有り、そのうちひとつはポッドが3台設置されている大部屋になる。
3体だったら問題なく同時に使用出来るのだが、知らないだろう彼女たちは素直に順番を待っているのだろう。
私が目を覚ます頃には作業は終わっているのだろうが、合流したらその事を教えておくとしよう。
仲間たちの反応を想像しながら、私の意識は闇の中へと霧散していった。
「カーラが樹液を吸っている夢を見ました」
「あー。外骨格式って、考えようによっちゃあ虫だもんな」
「虫でもなければ樹液など吸う気も無いのだが?」
「叩いたら中身が出ちゃうの?」
「それは虫に限った話では無いな!?」
扉の先の部屋、窓からは陽光降り注ぐ爽やかな庭が見える。
にこにこ顔のエマを先頭に、私たちが賢者様の屋敷へと戻ったのは、すっかりと夜も明けた後の事だった。
一応、昨晩は私以外がドア開けっ放しで夕食を頂いたらしい。
誰も私を起こそうとしないとは、良い仲間を持ったものだ。
「やあ、おはよう。マリアさんはだいぶお疲れのようだったけれど、よく眠れたかな?」
相変わらずの笑顔を湛えた賢者様が、私たちを迎えてくれた。
キャロルは慣れた手付きでお茶を淹れている。
「昨晩は失礼しました。お陰様ですごく疲れ……んんっ、よく休めました」
滑りかけた口を誤魔化し、澄まし顔で一礼する。
その間に、他のメンツはめいめい席を確保し、腰を下ろしていく。
色々と失礼極まる気がするのだが、屋敷の主人が何も言わないのだから、私も何も言えない。
昨日から少し気になっていたのだが、エマは賢者様と並んで座るキャロルの、その隣に座っている。
キャロルとよく似た面差しも相まって、絵面は完全に向こうサイドの一員である。
本当に、本っ当にそちらの子になって貰っても良いのだが。
「そう言えば、昨日はマリアさんだけ、メンテナンスポッドを使っていないとか?」
私の前に置かれたカップを持ち上げ、その香りを楽しむ私に、賢者様が喧嘩を売ってくる。
誰の所為で疲労したんだと言いたいが、まずは言葉をぐっと飲み込み、吐き出す言葉を選ぶ。
「旅の疲れが引き摺り出されたのでしょうね。何方様のお陰か良く眠れました」
賢者様の口元がヒク付くのが見えた事で、私は少し溜飲を下げる。
賢者様は私たち全員で掛かっても勝てる見込みは皆無だから、返す言葉には気を使うというものだ。
「ポッドはいつでも使えますし、複数有ることを知らずに順番で争う様は見てみたかったのですが、昨日は叶いませんでしたね」
白々しく言い放つ私に、賢者様では無く、私の愉快な仲間たちが鋭く反応した。
「おい。複数有るってどう言う事だよ」
「そのままの意味ですよ。都合6台御座います」
アリスのトーンを落とした物言いに、澄まして答える。
「先に教えるとか、出来た筈だな? 何故黙っていたのだ?」
「訊かれませんでしたので」
定番の返しで、カーラをあしらう。
「マリアちゃん、楽しそうだねぇ」
「すこぶる愉快ですね」
どこか感心した様子のエマに、特上の笑顔を向ける。
「一番の曲者と言うか、一番面倒臭いのはアンタって事なのね……」
「お褒めに預かり光栄です」
呆れ声のキャロルに、私は笑顔をスライドさせる。
4者4様の反応を楽しみ、私はお茶を口に含む。
爽やかな香りが心地良い。
朝のお茶の時間と言うのは、実に良いものである。
何故か仏頂面のアリスとカーラ、平素と変わらぬエマであるが、各々メンテナンスポッドを使用したことでどの様な変化があったのか。
と言うか、妙な変化が起きてしまうような物をメンテナンスポッドと呼称して良いものか、今ひとつ測りかねるが、この際は置いておこう。
まずはエマだが、内部骨格のガタツキや自己流の無理な修復による変形、筋繊維の一部接続不良等が綺麗に修復された上に例によって3シリーズ化したことで、レベルが当然のように上昇した。
レベル888とか、もはや本気で手が付けられる気がしない。
カーラはザガン人形ではなく、方式も違うためどうかと思われたが、きっちりと各所のメンテナンスが行われ、レベルは288と大幅に上昇した……ように見える。
実際は250だったレベルが168にまで下降していた訳で、それを考えればあまり大きな上昇とは言えない。
とは言え本人は大喜びなので、それはそれで良かったのでは無いかと思う。
落ちに持ってきたアリスだが、内部骨格修正によるレベル上昇は有ったものの、585。
あまり変わっていないように見えるので大いに冷やかしたのだが、不機嫌なアリスは気付いていないだろうし、私もしばらく教える心算は無い。
フレームが完全にザガン人形の、3シリーズのそれになってしまった事。
それにより、基本性能が大幅に上昇している事。
つまり、我々の中で、能力の上昇という点では実はアリスが一番伸びたのではないか、という事を。
意地悪で言わない、という部分も勿論有るし寧ろそれが最大の理由なのだが、一応、別の理由が無くもない。
内部骨格がザガン人形のそれと同じになったと言う事は、ドクター・ヘルマンの技術的痕跡はひとつも残っていないという事だ。
本人も気付いている可能性は有るが、わざわざ突付いてからかってやろうと言う気にはならない。
今は不貞腐れているアリスも、旅を再開し狩りのひとつも行えば、今までとの違いを実感も出来るだろう。
私も3体に遅れる形でポッドを使ったのだが、レベルの上昇は無かった。
あちこちのガタツキがなくなったらしく確かに快調では有るが、どこか寂しい。
私も意外とメディカルポッドに夢を見ていたのだなと、思い知らされたのだった。
そんな朝の心温まる時間を過ごして居た私に、賢者様が生暖かい視線を向けていることに気付いた。
気付いたが、反応してやるのも気が重い。
何を言われるのか思い当たるものが無いだけに、余計に避けたい。
「マリアさん、魔法について、少し教えようか?」
しかし、賢者様は臆すること無く、ごく気軽に声を掛けてくる。
ヒトが気にしている部分に、随分と豪快に踏み込んでくるじゃあないか。
跳ね除けてやろうかとも思うが、しかし相手はレベル5000超えの、しかも魔導師だ。
魔法的な何かを教わろうと思うなら、なるほど確かに、これ以上の適役はそうそう居ないだろう。
障壁やら結界やらがより強固に出来るのなら、それに越したことは無いのではないか。
どうしたものかと悩んだのは一瞬。
「宜しければ、是非」
私は先程までの彼に対する態度を忘れ、しれっと頭を下げるのだった。
ヒトの精神は図太いのですね。