第二十七章『目差せ! 全国優勝』 其の一 新たな決意
寝屋川で働き始めて半年の月日が経ち、浄水器の取り付け工事と膜の交換の仕事もようやく軌道に乗り始め、オレは岸和田に帰る事にした。茂広組ではお世話になったので不義理を嚙ます事なく、前もって一か月前には辞める事を告げていた。茂広組での仕事最終日、オレを可愛がってくれていたご先輩方がオレの為に送別会をしてくれた。嬉しい限りである。そんな寝屋川での経験を踏まえて岸和田に戻った三月の後半、オレ達はBAR桜子で集まっていた。メンバーはオレ、てっちゃん、タッケン、三浦、柳井である。てっちゃんとタッケンはカウンターでゆうさんと話し、残りのオレ達三人はボックス席で顔を突き合わせて話し込んでいた。
「お前らベスト8まで行ったんやろ?」
「うん。そやけどあと一試合勝ち進んだら日本平の芝生のグランドで試合出来てたんやけどなぁ~っ!」
柳井が悔しそうに言った。
「ええとこまで行ったやんけ」
「どうせやったら優勝したかったよぉ~っ!」
同じく悔しそうに三浦が言った。
「贅沢言うなよ! オレらの時はホンマやったら一点差で、大阪で優勝して全国大会行けてたのに、あの主審のミスジャッジで結局負けてもうて全国行かれへんかったやぞ! そやけどええよなぁ~、お前らの年から準優勝でも全国大会行けて」
「確かにそれは悔い残るよなぁ~」
と柳井。
「めちゃめちゃ残るちゅうねん!」
「俺もまだ悔い残ってるぞ! 優勝出来へんかって……」
と三浦。
「もっかい全国狙いたいなぁ~」
と柳井。
「そやのぉ~、もっかい狙えたらなぁ~」
とオレ。
「優勝したかったわぁ~」
と三浦。
三人はハァ~と同時に溜息を吐いた。
「そやけど俺ら普通科卒業やから、商業とか産業やったらもっかい行かれへんかな?」
こう言い出したのは柳井である。
「おい、それぇ~行けるんとちゃうか!」
と三浦。
「よし、ほなら明日それぞれ中学校に願書もらいに行こや!」
オレの呼びかけに、
「うん、そうしよ! 一回やってみよよ!」
と、オレ達三人は意気投合していた。そんな所へ、
「なんやおもろそうな話しやってんな」
とてっちゃんが、酒の入ったグラスを持って話しに加わって来たのだ。そんなてっちゃんに具体的な計画を話して聞かせると、
「俺も行く俺も行く!」
とサッカーなど経験もした事もないくせに、てっちゃんは俄然やる気を示した。面白い事は皆で共有した方が更に面白いに決まっている。
「よっしゃてっちゃん。ほなてっちゃんも願書用意しといてや!」
「おぉ、わかった!」
「柳井、所でお前願書どないすんねん? 山口県まで帰られへんやろ?」
「問い合わせて郵送で送ってもらうわ!」
「よし! ほなら皆でもっかい全国狙うかぁ~!」
オレがテーブルの真ん中に手を差し出すと、オレの手の上に次々に手が重なった。
「おう。目指すは全国優勝やぁ~ッ!」
こうしてオレ達は全国高等学校定時制・通信制サッカー大会全国優勝の野望を抱き、数日後、岸和田市立産業高等学校定時制に願書を提出しに行ったのである。付け加えておくと、柳井と同時期に山口県から上京し、大阪府立和泉工業高等学校定時制を卒業したサッカー経験者の進も、柳井の誘いを受けて産高に願書を提出したのである。これでメンバーはオレ、てっちゃん、三浦、柳井、進、とこの五人がサッカーの為だけに、平均年齢二十二歳というこの年になって、人生二度目の高校生となる岸和田市立産業高等学校定時制に入学したのである。平成六年の事である。
オレ達には入学試験はなかった。一度普通科や工業高校を卒業していたので、編入という形で二年生からのスタートだった。しかしオレ達からしてみれば、一年生からでも二年生からでもどちらでもよかった。卒業するつもりはまったく無かったからである。柳井だけは目ぼしい女の子が居たのか授業にはちょくちょく顔を出していたが、柳井以外のオレ達四人は、年間で二時間程度しか授業には出なかった。しかし授業には出なくとも、オレ達は放課後の部活だけは毎日勤勉に顔を出して練習を行っていた。まさにサッカーの為だけの第二の高校生活である。
練習に初めて顔を出した時に解った事だが、オレ達を除いた(てっちゃんは数に入っていない)一年生から四年生までの十一人いるサッカー部員の中で、すぐに即戦力になり使えそうな部員は、一年生の北野とプラティニの異名を持つ中道だけだった。北野は柳井と同じくDFの守備に特化した実力を持ち、中道ことプラティニは攻撃型のMFとしての役割を果たせた。あとの残りは大会が始まるまでにオレ達が指導して、実力を付けさせて戦力とするしかなかった。
因みにプラティニとはフランス代表のスーパーストライカーの名前だが、中道がプラティニの再来という訳ではない。フランス代表のプラティニと同じ背番号が付いた練習着を着ていた事からそう呼ばれるようになっただけである。それ以外にも面白いアダ名の一年生、林ことロベルトは、練習着のジャージが垂れ下がるので、いつも腰にベルトを巻いていた事からロベルトと呼ばれるようになり、二年生の保木は、角刈りした大きな頭がロボコンに似ていた事から、ロボコンと呼ばれるようになった。
この頃Jリーグが開幕して二年目に当たる年だったので、時代はJリーグの波に乗り、誰もがサッカーを始めようとちょっとしたサッカーブームになっていた。そんな時代だけに、岸和田市立産業高等学校定時制、略して産高が毎日ナイターで練習を行っていると聞き付けると、俺たちも混ぜてくれと一般のサッカー好きな者達も練習に参加し、練習相手に不足する事はなかった。そんな毎日の練習を積み重ね、すぐには戦力にならなかったオレ達以外の(てっちゃんだけは例外である)残り九名もある程度技術を身に付けた数か月後、岸和田市立産業高等学校定時制サッカー部員全十六名で、いよいよ全国高等学校定時制・通信制サッカー大会大阪予選に臨むのである。