其の二 ダンスタイム
入学式から早一カ月が経とうとする頃、務のおっちゃんがガンで亡くなった。糖尿病から合併症になり、最終的には腹膜ガンだと診断されていた。葬儀にはあの山下泰裕選手も参列してくれていた。務のおっちゃんが亡くなる前に、そのやせ細った身体でオレに腕相撲を挑んで来た事があったが、オレが両手で挑んでもビクともしなかった。オレの中では永遠に、スーパーマンのような務のおっちゃんでいてくれた事が誇らしかった。
五月に入り、昼間の仕事と定時制の両立にもようやく慣れ出し、遊び盛りのオレは週末になると、表向きはプールBARだが、岸和田唯一のCLUB『キャバレット』という80年代ソウルファンクや、イギリスやニューヨークでその当時流行っていたテクノやハウス、ニューウエーブ系の音も取り入れた、刺激的なミュージックを流している店にちょくちょく顔を出していた。
キャバレットのDJユキタカちゃんは、春木中学の六つ上にあたる先輩で、彼の伝説はちょくちょく耳に入って来ていた。中学時代はその時代だけに、長ランにドカンといういかにも昭和の改造制服といったスタイルだったらしいが、そんな格好をしていても、中学時代から正門前にダンボールを敷いてはその上で、カセットデッキから流したラップに合わせてブレイクダンスを踊っていたという。
後に中学を卒業するとユキタカちゃんはブレイクダンスの大会で優勝するのだが、DJでも大きな大会で準優勝するなど数々の実績を持っていた。そんなユキタカちゃんが流す曲に合わせて客はステップを踏み、オレは楽しそうに踊る客を眺めては、ライムを沈めたコロナビール片手にリズムをとっていた。そんな時ある男が店に入って来たのである。
その男は最終電車でミナミから地元岸和田に帰り、ドアを開けて店に入るなり、華麗なステップで皆の注目を我が物とした。陽気な笑顔でリズムに合わせて踊るその姿は、まるで彼にスポットライトが向けられているように輝いていた。ダンスの申し子のような男である。
オレをその店に連れて行ってくれた、ユキタカちゃんのDJの弟子でもあるミキ君が、その男に近付いて行くなりオレの方を指差した。そして二人はオレの座るテーブルに来ると、
「ヒロさん紹介しとくは、歳は俺の二つ下やけど、オレの大親友の武いうねん」
と、ミキ君がそう言ってオレを紹介してくれ、ヒロさんという人物がオレに手を差し出した。オレはその男の手を握ると、スラムの黒人がよく映画などで見せるややこしい握手を彼はしてきた。これが彼ヒロさんとの出会いである。
ヒロさんがミナミから最終電車で帰って来る理由は、ミナミのダイヤモンドビル3Fにある、ディナスティというディスコでホールスタッフとして勤めていたからなのであるが、さすがにディスコ従業員だけあって、ダンスが上手いのも頷けたが、彼は容姿も男前の上に饒舌な会話で人を笑かすのが得意な男だった。オレはダンスがそれほど得意ではなかったが、人を笑かすという意味ではヒロさんと馬が合い、二人で遊ぶようになるのにそれほど時間は掛からなかった。聞く所によるとヒロさんは歳がオレより三つ上で、中退はしたがオレと同じ和泉高校定時制に通っていた事があり、そういった面でも親近感を覚えた。ヒロさんと遊べば遊ぶほどオレと性格が似ている事も解り、ヒロさんには実の兄貴がいたが、どちらかといえば八幡町のアランドロンと言われたオレの方が顔も似ていたので、二人は何処に行っても兄弟に間違われた。
オレ達はとても仲が良く、互いの家に泊まる事もちょくちょくあった。ある時などヒロさんの家で一緒に風呂に入っている中、オレがシャワーで頭を流しながら、
「ヒロさんシャンプーかけて」
と頼むと彼は歯磨き粉をかけて来たので、仕返しに今度は足に小便をかけてやった。そして風呂から出て二人して廊下で身体を拭いていると、そこへヒロさんの母親が帰って来た事があった。オレは慌ててバスタオルで前を隠したが、ヒロさんは母親の前でも気にせずチンコを拭いていた。そんなヒロさんに、
「あんた前隠しぃ」
とおばちゃんが言ったが、ヒロさんはチンコをシゴク真似をして、
「オカン、欲しいかぁ?」
と冗談を言った。しかしヒロさんにしてその母である。おばちゃんも負けてはいなかった。
「あんたみたいな小さいチンコ要るかいなぁ~、間に合ってます!」
と冗談で返すのである。恐るべし親子漫才である。このやり取りがオレの中では非常に面白く、後日オレも家に帰って同じ場面があったので、オカンの前でそれを言ってみた。するとオカンは、
「お父さぁ~~~んッ、武がァ~~~ッ!」
と慌ててオトンの許へと走って行った。冗談の通じないオカンだった。
この当時ヒロさんにダンスを教えてもらっていた。中々筋が良いと褒められ、
「お前もミナミに出て働けへんか!」
と誘われたが、オレには定時制があったのでその話は丁重に断った。しかしオレの心のどこかでは、華やかなダンスタイムがある、綺麗な姉ちゃんが行き来するホールスタッフに憧れていた。そんな時にミキ君の同級生がこんな話を持ち掛けて来たのである。
「武、お前アイシスで働けへんか?」
そう言って来たのはアイシスの元従業員の豊康君である。
「アイシスって?」
「女の子がぎょうさん飲みに来るナイトな店や!」
「えっ、マジで、何処にあるんよ?」
「東岸和田の駅の近くや」
東岸和田駅からオレの通う和泉高校定時制は、チャリンコで二分もかからない距離にあった。
「それって学校終わってからでもええんけ?」
「まあ大丈夫ちゃうか! あそこは朝までやってるから」
「ところでそこってダンスタイムあるんけ?」
「あるある。ミラーボールまであるぞ!」
「ホンマけ! 行く行く、その店紹介してよ!」
「よっしゃわかった。ほなら話し通しといたるわ」
水商売をするにはオレはまだ十六才と若かったが、ヒロさんの影響を受けてこの頃凝っていたダンスが出来ると聞いて、オレは働きたくて仕方なかった。昼は鉄工所、夕方から定時制、そして夜からはもう一つの顔を持つ、ダンスのエンターテイナーになるのだとオレは張り切って面接に向かった。面接は十六才だったが男前なので一発合格。それでは明日から来てくれという事で、あくる日オレは定時制が終わると、一昨晩の面接の時より張り切ってアイシスに出勤したのである。
アイシスに数いる従業員の中で、ミッキーと呼ばれるベテランの先輩が、オレが出勤するなり手取り足取り面倒をみてくれた。キープしているボトルの棚のある場所や伝票の付け方、そしてホールスタッフのユニホームまで用意してくれていた。オレはミッキーに言われるまま迅速に業務内容を覚えた後、ユニホームに着替え終わると、ミッキーは少しお姉系な話し声で、
「ほな武、メイク室に行こか!」
と言って来た。
(メイク? あぁ~、そういえばヒロさんもディナスティでファンデーション塗った男前な写真あったなぁ~)
と思い、オレは手を引かれるままメイク室に向かった。メイク室には美川憲一が着用しそうなスパンコールが鏤められたドレスや、小林幸子が着衣しそうな派手な衣装が壁に掛けられてあった。
「武は肌がキレイやからファンデーションは薄くでええな」
ミッキーはそう言いながらパフをオレの顔に当てると、ポンポンとファンデーションを塗ってくれ、そしてファンデーションを塗り終わると、
「次はチークとアイライン塗ろか!」
などと言ってアイラインを引きやすいように、
「武、上見て桃ぉ~いう顔してみ!」
と更にドぎついメイクをオレに施した。
「あのぉ~、ミッキー?」
「なにぃ~、武ぃ~」
相変わらずミッキーはお姉系な声でオレに言葉を返した。
「こんなメイクって、なんで必要……」
ミッキーは俺の話をスルーして、
「そやそや、その前に武の芸名考えらないかんなぁ~」
(何や、芸名って……?)
「武は得意な事って何かある?」
「得意と言われても……、強いて言うなら最近ダンスに凝ってますかねぇ~」
「ほなぁ~、ダンシング山本っていうのはどうや?」
「えっ、ダンシング山本ってぇ~っ」
オレは笑いながら答えた。
「まあ~、あまりインパクト無いなぁ~」
「いやっ、インパクトというか、そんなん必要なんですか……?」
「そらぁ~芸名あった方がええよ」
「そういうもんなんですかねぇ~」
「そらそうよ! あっ、ええのん思い付いたわ!」
「えっ、なんですの?」
「これはインパクトあるで、ボンジュール山本ってのはどう?」
この地点でオレは気付いておくべきだったのである。ダンスタイムなどがある店ではなく、ショータイムがある店だという事を……。