第二十五章『定時制高校録』 其の一 定時制高校
定時制高校入試当日、中学校で勉強を一切していなかったオレは、答案用紙に名前を書き、問題とにらめっこの時間が続いた。それでも出来るだけ回答を埋めてやろうとオレなりには努力した。言っておくが大昔に穴埋め問題(〇肉〇食)で、弱肉強食を焼肉定食と記入した男である。努力しても思い付くのは的が外れた回答ばかりである。解答欄を全て埋めるには埋めたが、正直いって正解しているとは思えなかった。唯一の正解は、自分の名前を間違わずに書けた事ぐらいだろう。しかし合格したのである。そして早々と時が過ぎ、定時制高校ならではの簡略な入学式が終わると、振り分けされたクラスに移動した。
一組から三組までの一クラス二十人にも満たない小規模な学年であるが、同じクラスには、この年中学から上がって来た同世代の若者から、六十代のご婦人まで様々な年齢層で編成されており、決まった制服が有る訳ではないので、仕事着で来る者も居れば、私服で来る者、そして昼に専門学校に通いその制服で来る者も居る中、中学当時の改造学生服で来る、やはりオレのように入試で名前だけしかあっていないであろう、中学でろくに勉強もしなかったヤツも多かった。そんなろくでもないヤツでも定時制の入試には合格するのだが、定時制高校というのは入学してからが大変なのである。皆が職を持ち、家庭を持ち、それぞれの事情で目的を持って夕方から勉強をしに来る所なのである。オレのように一度入学したからには卒業してやろうという、朝立ちしたチンポよりも固い意志を持つ者とは違って、改造学生服などを着て生半可な中学校延長のような気分で来ているヤツは、夏休みが終わった頃にはケツを割って辞めて行くのである。なので二年に上がる頃には三分の一が辞めて行き、二クラスになるのだが、四年間通い卒業する頃には一年生の時の半数しか残らないのである。オレはそんな高校に入学したのだ。
定時制高校の授業は日に四時間あるのだが、一時間目の授業が終わると二十分の小休憩があり、その時間に食堂に行くとパンと牛乳が支給され、それを食べ四時間目の授業まで臨むのであるが、パンと牛乳だけでは足らない人は食券を買い、カレーやうどんなどを頼んで腹を満たすのである。そんな日々にようやく慣れ始めた頃、四時間目の簿記の授業が終わっても、オレは黒板に書かれた意味を理解しようと先生に質問した。周りではもうすでにクラスの者は下校していた。簿記の授業は高校からの新たな教科だったので、英語や数学とは違い中学の基礎知識がさほど必要ではなかったので、出来るだけ付いて行こうと思ったからだ。五十代半ばのその男の先生は、十六そこらのこのオレに敬語を使い丁寧に教えてくれていたのだが、先生の説明を理解するのにオレは時間が掛かっていた。それでもその先生は時間など気にせずオレに付き合ってくれていた。授業が終わってもうすでに四十分が過ぎていた。オレの机の横に先生は立ち、理解に苦しむオレが何度も何度も質問すると、その都度、嫌な顔一つせず優しく丁寧に教えてくれた。そんな先生の直向きな姿にオレは中学時分の事を思い出し、こんな先生も世の中には居るのだなぁ~と思うと、何故だか解らないが涙が溢れ出た。そんなオレの横に居た先生は、オレが落ち着くまで何も言わずそっと寄り添ってくれていた。
「先生、なんでこんなオレの為に、こんな時間まで付き合って教えてくれるんですか?」
オレが尋ねると、
「山本君が一生懸命簿記を覚えようとしてくれているからですよ」
と先生は言ってくれた。初めて先生らしい人に出逢えたと思った。先生が敬語を使い教えてくれていたのは高校生としてではなく、社会人としてオレを見てくれているのだと思った。勉強はどこまで付いて行けるか解らないが、この学校に入ってこんな感情になれた事を嬉しく思えた。涙が後から後から流れ落ちた。
定時制高校の先生はこの簿記の先生だけでなく、他のどの先生も生徒を社会人として基本的に対応してくれるので、どの先生も良い先生ばかりだった。小休憩後の食後のタバコも、
「吸うなら正門の外で吸って来いよ」
などと言ってくれ、厳しく注意してくる先生はいなかった。
定時制高校が普通の高校と違う点は他にも色々あるが、中でも通学はバイクや車も許可されている事である。年齢が二つ上の同じクラスのてっちゃんは、今述べたように400CCのバイクで通学して来るのだが、学年ではマスコットキャラ的存在だった。アフロ頭にパンタロンを穿き、60年代から飛び出して来たようなその格好の背中にはギターを背負い、いつも教室に登場する際にはギターを弾きながら、月定可朝の、
「♪ボインは、赤ちゃんの吸う為にあるんやでぇ~、お父ちゃんのもんとはちがうんやでぇ~♪」
と『嘆きのボイン』を口ずさんでクラスを楽しませていた。
そんな和気あいあいとした楽しい定時制高校にはクラブ活動もあった。その中にはサッカー部もあったので、オレは迷う事なくサッカー部を選んだ。基本練習は週二回、四時間目の授業が終わってから、夜の九時からナイター設備の中練習だったが、試合が近付くと自主的に練習を増やしたいと申し出ると、学校側は毎日でも練習を許可してくれた。
初めてオレが練習に参加した印象は、正直言って強豪なチームとは言えなかった。というのもサッカー経験者が各学年に一人居ればいい方だったからだ。そして全体で十一人にも満たない弱小チームは、試合当日人数を合わす為、他の部活から応援を要請して助っ人として参加してもらうような事がしばしばあった。そんな弱小チームではあったが、後に始まる定時制高校の全国大会で、和泉高校は名を残す事になるのである。その話はいずれ語る事にしよう。