其の八 独りぼっちの卒業式
「えっ、お前高校進学する気になったんかぁ~?」
「いや、ちゃう。働きながら行ける学校世話してもらお思て」
「そやけどまたどういう心境の変化な! あんだけ高校には行かへん言うとったのに」
「うちのばあちゃんが親の為に高校だけは出といたれ言うもんやから、まあ一種の親孝行というか、まだばあちゃん死んでないけどばあちゃんの遺言というか、とにかく育ててもうた義理返しとこと思て……」
「そやけどこの時期から行ける学校いうたら、もう定時制高校しかないぞ」
「かめへん。それでええから手続きしてや!」
来週に卒業を控えていた時の話しである。担任の前山は快く手続きを済ませてくれ、岸和田に二校ある定時制高校の内、オレは大阪府立和泉高等学校に願書を提出する事になった。
そして卒業式の日がやって来た。正門には三月だというのに早くも桜の花が開花し、卒業式を演出する雰囲気を醸し出していた。各教室ごとに二列に並んで体育館に向かい、オレ達のクラスも順番が回って来た。同級生の中には、この日でIBとはおさらばとあって、前日に散髪屋に行き、横髪を刈り上げて角刈りをして来る者や、爪楊枝のように細い眉毛にして来る者、中にはオキシドールで髪を脱色して来る者まで現れる中、オレは三学期に入って長髪から坊主頭にした事もあって、髪もまだ伸びていなかったので、オトンのチックを借りて横の髪の毛を出来るだけペタンコに寝かし、坊主頭を最大限坊主頭に見えないよう努力した髪型で卒業式に臨むはずだった。しかし体育館の入口に立っているIBにこの日も嫌がらせをされたのでる。
「お前なんなその頭は?」
「なんなその頭言われても、坊主頭の横髪寝かせて来ただけやんか!」
「洗い流して来い!」
「なんでやねん。横の髪が寝てようが寝てなからろうが、校則違反は犯してないやんか! オレを注意するんやったら他の者注意しいや! 明らかに先に入った者は校則違反とちゃうんけ!」
「とにかくお前はその髪洗い流して来な体育館には入れん!」
「おうそうかいッ! ほなら卒業式なんか出るかいッ! なにが卒業なッ、こんな理不尽な教師の居る所で卒業なんかしたないわいッ!」
オレは腹立たしさに怒りを覚えながら今来た道を戻った。屋上に上り寝転びながら空を見上げた。青空に白いペンキをハケで描いたような雲が浮かんでいた。タバコに火を点け煙を吹かせた。空を見上げながら尾崎豊の『卒業』がオレの中に流れていた。
♪校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた
放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた
行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解っていたこと
この支配からの 卒業
しばらく経って屋上から下り、正門に続く外壁を右手に歩く中、マイクを通し体育館から聞こえてくる同級生一人一人の読み上げられる名前が胸に響いた。オレの名前を呼ばれた時、オカンに悲しい思いをさせると思った。
(オカンすまん)
心の中で囁いた。
IBに対する腹立たしさが膨大過ぎてオレ自身このとき理解していなかったが、腹立たしさとは裏腹に別の感情もあった。それが寂しさという事を知ったのは、家に帰り部屋で一人いる時だった。しかしその感情に負けないでおこうと思った。思い起こせば小学校時分の教頭先生の土下座事件以来、心から信頼出来る先生にそれほど巡り合っていないように思えた。IBのように暴力を振るい、間違った事をしようとする大人も世の中には存在する事も理解していた。しかしその間違った大人を許してやるほど、オレはまだ年齢を積み重ねてはいなかった。
テレビを点け、見るともなくブラウン管を眺めても、頭の中に浮かんでくるのは卒業式の事や、卒業式後の正門で、皆が笑顔で楽しそうに喜んでいる姿だった。今更そんな所に行こうとは思わなかった。IBとの中学生活最後の意地の張り合いで、オレは引かないでおこうと決めたのだから、自分がとった行動に迷いはなかった。気分を変えて想像を膨らました。卒業式後正門の前で、オレの第二ボタンを女の子達が欲しがる想像である。しかし余計に虚しくなった。そんな時玄関の戸が開く音がした。オカンが帰って来たのである。オカンは帰るなりオレの部屋に直行して、
「あんたの名前が呼ばれた時、いつまで経ってもあんたの姿が見えへんからおかあちゃん辛かったわ……」
とそう言い残し、
「すまん……」
と謝っておいた。オカンはもうそれ以上何も言わなかった。それからオカンは服を着替え、ばあちゃん一人で店番をさせているマウンテンに向かった。
また部屋で一人になった。だがしばらくして一本の電話が鳴った。マウンテンで仕事をしているオカンからの電話だった。内容は、同じクラスの津島と宇高ちゃんがオレの卒業証書を持って来てくれたとの事だった。津島は小学校から同じクラスの仲の良い女子である。宇高ちゃんは中学から知り合った友達である。どちらも優しい女の子である。オレはマウンテンに向かい、二人から卒業証書や諸々を受け取り礼を言った。そんな所にきっしやんと大幡もオレを心配して家に寄ってくれた。続いて梨香が来て、やはり忠岡軍団もやって来た。最後に山ちゃんも、自校の卒業式を終えてやって来た。知らぬ間に寂しさが楽しさに替わっていた。
後に大人になって担任の前山から聞いた話だが、IBは前山にこう言ったそうだ。
「これまで数々の生徒を世に送り出して来たが、武だけは最後の最後までオレに屈しへんかったなぁ~」
と……。
そしてそんなオレが、いよいよ四月から高校生になるのである。