其の六 自己犠牲
「待て武ぃ~ッ!」
バリカンを片手に職員室でオレを追い掛け回すIBと、
「嫌じゃ~っ、誰が捕まるかいッ!」
職員室の中を必死に逃げ回り、鬼ごっこを繰り広げていた。
三学期に入り、これまで学生の本文ともいうべき遊びを、勤勉にバリバリとこなして来たオレは、もうすでにこの時期に入って出席日数が三分の一を下回っていた為、このままでは義務教育の中学校すらも卒業出来ないと危ぶまれ、ラストスパートをかけて出席日数を取り戻しに掛かっている最中、出来るだけIBに接触しないでおこうと思っていた矢先の事である。
丸坊主頭の中学校での生徒のオシャレと言えば、唯一ソリコミやテクノカット、上頭を三枚刈りにして横頭を二枚刈りにするといった事しか出来ないが、オレは中二の後半から長髪にしていた。それを今さら坊主頭にしろと言われても、また青ハゲに逆戻りなのだから出来るはずもなかった。
過去にソリコミを入れて学校に来た諸先輩方は、油性マジックで黒くソリコミを塗りつぶされ、またテクノカットというちゃり毛を斜めに剃って来た者は、エルビスプレスリーのように、これまたマジックで悪趣味なちゃり毛に仕上げられていた。
「待て言うてるやろォ~ッ!」
「誰が待つかいッ!」
教職員の机をIBと対面して挟み、IBが右に動くとオレも右に、フェイントをかけて来て左に動こうとすればオレも左に動き、
「よし、ほなら俺を説得させられたら見逃しちゃるから、髪の毛伸ばす理由言うてみ!」
とはIBが言って来たものの、以前右に左に重心を移動しながらIBはオレを捕まえる気満々だった。
「よし、ほなら言うたる! オレのこの髪は空気中から酸素を取り入れる魚で言うたらエラの役割してるんや! 坊主にしてもうたら呼吸困難で死んでまうねん!」
「そんなでたらめで俺を騙せると思うなよ!」
そう言うなり右に回り込んで来た。
「端から騙す気ないわっ!」
即座にオレも机を右回りに移動した。
「ほなもう理由は無いねんなァ~!」
IBが止まるとオレも距離を取って止まり、
「あるある、もう一個ある!」
「何や、言うてみ~ぃ!」
「ジャニーズから誘いが来てるんや! だから坊主頭で事務所に行く訳にはいかんねん!」
「アカンッ! もう絶対坊主やッ!」
またIBはバリカン片手に走り出した。オレは恐怖のバリカン男から必死に逃げた。そのすばしっこいオレを中々捕まえられないでいると、IBはまた立ち止まって話し掛けてきた。
「武、散髪屋着いて行ったるから坊主にせえやぁ~」
「そんなもんいるかぁ~っ!」
「よしわかった! ほな俺も一緒に坊主したるから、それやったらお前も坊主にするか」
IBは痛い所を突いてきた。オレはこういった自己犠牲の人情話には、『ろくでなしブルース』の前田太尊のようにめっぽう弱い性格なのである。つい先日など『ドラゴンボールZ』でピッコロが悟飯を庇い命を失ったのを観て、
「ええ話やぁ~っ、ピッコロお前は偉い!」
と涙をポロポロ流したのだが、次の週にはドラゴンボールでピッコロが生き返っていたのを観て、
「オレの涙返せッ!」
とツッコんだ事があった。
「先生わかった! そこまで言うてくれたらオレは男として先生を坊主にさせる訳にはいかへん。先生のその男気にオレは感動した。オレ今から散髪屋に行って坊主にして来るわ!」
そしてオレは感動を胸に散髪屋に向かったのである。
「ぼく、ホンマに坊主にしてええんか? もういうてる間に卒業ちゃうんか?」
散髪屋のオヤジはバリカンを持って尋ねてくれたが、
「オレ今めちゃめちゃ感動してるねん。オレの気の変わらん内にバッサリ行っちゃってちょうだい!」
オヤジはちょんまげが似合いそうな天辺からバリカンを入れた。オレの青春の証がバサバサと足元に落ちて行った。
そして散髪を終えたオレは学校に戻ると、その時間は柔道場での体育の授業だった。オレが柔道場に入って行くと、整列して体育座りしている同級生達がオレの頭を見て驚いていた。オレはゆっくりとIBに近付き、
「先生、やって来たで!」
と言うと、IBは邪な笑みを浮かべた。その笑みを見たオレは、
(まさか……!?)
と思った。透かさずオレは、
「ほんまに先生も坊主にしてくれる気あったんやろ?」
と聞くと、
「する訳ないやろっ!」
とIBは答えた。
(やられたぁぁぁァァァ~~~~~~~~ッ!)
オレはその場に固まり、心の中でそう叫んだ。