其の五 正義の味方
九月に入り岸和田の至る所で頻繁に太鼓の音が聞こえ始めると、もう間もなく岸和田祭りの本番がやって来ると肌で感じ始め、内なる高ぶりが源泉のように溢れ出し、街全体が提灯の飾り付けや寄り合いで更に活気が増す頃、オレはある提案を秀吉達に持ち掛けた。
「お前ら岸和田祭りどないすんな?」
「どないするて毎年見に行ってるけど」
「それやったら今年はオレのとこの町曳けへんか」
「そんなんイケるんか?」
「おう、貸しハッピ借りたら曳けるぞ」
「そうか、ほなら俺曳くわ!」
「ほなら俺も」
「俺も」
と次々に声が上がり、総勢十五名の忠岡軍団が岸和田祭りの春木地区八幡町を曳く事になったのである。
だんじり祭りには九月の祭りと十月の祭りがあり、岸和田祭りと呼ばれる浜のだんじり祭りは九月、そして同じ岸和田だが山手の祭りは十月に開催され、忠岡初めとする他の地域も十月に開催されるのである。
同じ岸和田祭りであっても、正直なところ地元春木地区の祭りを愛していても、やはり観客が多い旧市の祭りは羨ましくさえ思え、『泉州恋女房』の歌詞に出て来るこなから坂や、アーケードでの掛け声や歓声が反響する商店街を、一度でもだんじりで駆け抜けてみたいという願望はあった。それ以上に十月の祭りを曳いてきた忠岡軍団もこの時、春木地区ではあるが、岸和田祭りが曳けるとあって大層喜んでくれた。
「そらそうと女子の分は借りたらんでええんか?」
「あいつら旧市曳くて言うとったぞ」
「そうか、ほたら女の子らのハッピはええな」
祭り本番、曳き出しが始まる夜明け前から、忠岡軍団がチャリンコに乗ってオレの家に集まった。普段は変形学生服を身に纏った連中が、この日はお揃いのハッピを身に纏っていたので何だか変な感じがしたが、それも時間と共にしっくりと馴染み始めた。
人を寄せる太鼓の音が街に響き出す頃、暁の爽やかな薄明が、東の空の星々のまどろみを消し去って行った。そして曳行責任者の話が終わると、曳行が始まり、太鼓の音が静から動に替わった。一年に一度の祭りを毎年曳いていても、この曳き出し一発目のだんじりが走り出す時には、全身に凛々しくも勇ましい鳥肌が立ち、熱き高ぶりが一気に身体中を駆け巡り、身体を一巡するとそれが頭部へと回り、やがて喜びの笑顔へと変わるのだ。綱を引きながら周りを見ると、同じように喜びに満ちた男達がこちらを向いて笑っていた。
各曳行時間の節目節目となる休憩時間には、青年団は炊き出しと酒が出るが、青年団にも満たないオレ達中学生は、この頃はまだ自分達で食事をして次の曳行に備えるしかなかった。オレの部屋には忠岡軍団全員が入り切らないので、裏のガレージが主にオレ達の詰所となった。
その日、昼の曳行が終わると、夜の曳行が始まるまでのひと時は、各自が食べ物を調達し、皆の真ん中に敷かれた茣蓙の上に調達した食べ物を並べ、詰所と化したガレージでオレ達の宴会が始まっていた。とそんな所に、忠岡の一学年下の悪ガキ三人トリオが顔を出した。
「お前らもこっち来て飲めや!」
オレが手招くと、礼儀正しく頭を下げ三人トリオも宴会に加わった。
「なんやお前ら大道曳いてるんか?」
三人トリオのハッピを見てオレが言った。
「そうなんですけど……、なんか全然おもしろなぁ~て……」
「おもしろないてどういう事な?」
「実はそのぉ~」
話を聞くと、貸しハッピを借りて三人で曳いてはみたものの、別段大して知り合いが居る訳でもなく、何処の誰だか解らない三人がだんじりを曳いていても、同年代の風当たりも冷たかったらしく、一日目でだんじりを曳くのを辞めようとしていたのだと言う。
「まぁ~、知り合いも居れへんのに曳いたらそないなるわなぁ~。よしっ、お前ら八幡町のハッピ借りて来たるから明日から内の町曳くか?」
「えっ、いいんですか武くん」
「かめへんかめへん。明日までに用意しといたるわ!」
現在では少年団という子供会が育成する団体があるので、祭り当日にこういった事はめったと起こらないが、この頃はまだ少年団もなく、青年団に上がるまでの中学生の行動は自由だったのである。
そうして後輩を交えて酒を飲んでいると、今度は下野町(旧市)のハッピを着た忠岡女子軍団が現れた。勿論その中にはマイスイートハニーもいる訳で、オレ達は酒と女で酔いもより一層回り始め、その日の夜の曳行も忘れて宴会は遅くまで続いた。
あくる日、後輩達も交えてだんじりを曳き、楽しい一日を過ごした。中でも、宮入りの遣り廻しはスリル満点の記憶に残る最高の遣り廻しだった。
そして時が経ち、十月になると今度は秀吉がハッピを段取りしてくれた。忠岡だんじり祭の道之町のハッピである。
だんじりは神戸の東灘から和歌山にかけて約700台あるが、その構造と外観から大きく分けて『上地車』と『下地車』と呼ばれる物があり、上だんじりには数種の型があるのに対し、下だんじりは岸和田型の一つのみを差し、秀吉達が曳く忠岡祭りも遣り廻しを主とした岸和田型のだんじりだった。
忠岡だんじり祭は岸和田祭りに比べ、道之町、仲之町、濱之町、生之町の四台とだんじりの台数は少ないが、本部前のS字上りと下り、そして大阪方面に向けての遣り廻しは迫力があり見物だった。
祭り当日、初めて曳く十月の祭りに心躍った。これは実際に曳いてみて解った事だが、その地域特有のコースによって、自身の祭り体内時間の流れ方が違う事を知った。そして何より地元の人々の自町に対する思い入れや祭りに対する真剣身は、地域や時期が違えど、どの地区も同じ思いなのだと、参加する事によって更に体感した。そんな祭りを楽しむ男達の顔はどれも良い顔をしていた。
宮入り当日こんな出来事もあった。休憩時間アスファルトに腰を下ろし忠岡軍団と輪になってべっちゃくっていると、そこへ紋付袴を身に纏った老人が杖を突き、両脇にガタイのごつい護衛を二人引き連れて現れた。その護衛の袖からは極彩色の刺青がチラリと見えていた。聞き耳を立てていると、ハッピを着た厳つい地元のオッサン達が、
「会長、遠い所よくお越しくださいました」
などと口々に言っていた。明らかにアチラの世界の偉いさんである。その老人がオレ達の方を見るなり近付いて来ると、数あるヤンチャ連中の中からオレの正面に腰を下ろし、オレの目を真っすぐ見据えて、
「君は悪者の親分になる素質と、ええ者の親分になる素質を両方持ってるみたいやのぉ~。もし悪の親分になる道を選ぶなら、是非うちの組に来てくれ!」
とこう言って来たのだ。男としてこう言って来られて悪い気はしなかった。しかしオレの出した答えは、
「じっちゃん。オレは悪者の親分にはなれへん。正義の味方になるわ!」
だった。老人は、
「そうか、惜しいのぉ~」
と言ってオレに背を向け、水戸黄門のように笑いながらその場を去って行った。
その日の夜の曳行、オレは梨香と二人、暗がりに響く太鼓の音を聞きながら、秋の匂いを感じつつ手を繋ぎ歩いた。甘酸っぱいそのひと時を、十月の星空が温かく見守ってくれていた。