第二十四章 『中学三年記』 其の一 豊中の総番
「山本ぉ~、なんでここで授業受けてるんなぁ~っ!」
「えっ、偶には勉強しとこ思て」
「授業受けるんやったら自分の学校行って受けて来いよぉ~」
先生の声に教室中が笑いに包まれた。
「はいはい、失礼しましたぁ~っ!」
オレは大仰な態度で頭を掻きながら、退散しようと廊下に出ると、
「おう武何やってんな、喫茶店行こぜ!」
ちょうどオレを誘いに来た権田達に出くわした。
忠岡連中と知り合い早一年近い年月が流れていた。この頃には忠岡中学の先生にも名を覚えられ、中二の後半から伸ばし始めた髪もようやく丸坊主頭とは呼ばれないくらいになっていた。勿論校則違反である。
近くの喫茶店に行ってみると、そこには早くも忠岡の女子軍団が学校をサボって屯していた。その女子達が座る奥の大テーブルに歩いて行くと、梨香の両サイドに座る女の子達は肘で梨香を小突きながら、
「梨香りんタケちゃん来たで!」
と冷やかし半分に小さく騒ぎ立てた。梨香は照れながら顔を赤く染め、オレは明後日の方向を向いてさり気なく梨香の席に近付くと、梨香の横に座る子が席を譲ってくれた。梨香と付き合って半年以上になるが、皆の前で並んで座ると、式場で腰掛ける新郎と新婦のようで少し照れ臭かった。
オレ達二人は非常に仲が良く、美男美女の理想のカップルだと皆から騒ぎ立てられる程だった。この日も忠岡に顔を出したのは、授業が終わる頃合いを見計らって迎いに来たのである。
忠岡連中は女子も男子も非常に仲が良く、この日も大テーブルを囲み雑談で盛り上がっていた。
忠岡軍団と付き合いをするようになって感じた事だが、泉北郡忠岡町の面積は日本一小さい郡の為、岸和田市と比べて人口は約十分の一と少ないので、中学校も忠岡郡では一校なだけに、男女問わず子供から大人まで小さい頃から顔見知りが非常に多く、街全体が仲の良い絆の深い地域なのだとオレの目には映って見えた。忠岡軍団と気が合う訳である。オレはこういった下街が非常に好きなのである。
注文したアイスコーヒーを飲み干すと、オレと梨香は皆に冷やかされながら、二人して自転車で二ケツして早々とその場を後にした。
家に帰り新居のようなオレの部屋で梨香と二人テレビを観ていると、『四時ですよ~だ』のダウンタウンの番組が始まる頃に、毎日といっていい程、
「武ぃ~!」
と玄関の方から聞きなれた声がするのである。柔道部の練習を早々と終えたきっしやんと、ソフトボールの練習を終えた女子の大幡である。大幡は女子の割にガタイもごついが、男のような竹を割った性格で、面白さにかけてもお笑い芸人になる素質を秘めた女の子だった。大幡も女ながらにオレの認めた仲の良い友達である。
「上がれよ」
そしてもう一人忘れてはいけない人物が、
「おっ、きっしゃんも大幡も早いやんけ」
と断りもなしに家族のように家に上がり込んで来る、山本家の住人山ちゃんである。オレに彼女が出来てからというもの山ちゃんは気を遣い、寝る時は自宅に帰り就寝していた。それもそのはず、オレと梨香は付き合ってからというもの、夜はオレの家に泊まり、新婚生活のような日々を送っていたからである。
この頃うちの家族の生業は、オトンは新たな事業を起こすまでの期間、堺のとある会社に営業マンとして勤めに行っていた。ばあちゃんが住んでいる一階のスーパーも改装し、もとなしや改め、マウンテンという屋号で古本と新刊、そしてファンシーショップや駄菓子を扱い、更にその店舗の一角に『お好み焼き山ちゃん』というスペースを設け、忙しい時はオレや姉ちゃんも店番をしていたが、ほぼオカンとばあちゃん二人で店を切り盛りしていた。マウンテンも山ならばお好み焼き屋も山ちゃんと、山本の山を取っただけという、なんともベタなネーミングである。そんなベタなネーミングの山ちゃんのお好み焼きは二百円と安く、その中でも山ちゃん自慢のそば洋食は、百八十円と子供達も手軽に買える値段だったので、オレの家に連れが来ると決まって皆がそば洋食を注文し、それを食べながら『四時ですよ~だ』を観るのがオレ達の日課になっていた。
「武ぃ~居るけぇ~!」
しかし匂いに釣られてやって来るのはこれだけではなかった。先程別れたばかりの忠岡軍団も暇さえあればこうしてやって来るので、六畳のオレの部屋は毎日のように溢れかえるのだが、そんなとき一本の電話が鳴ったのだ。
「武、あんたに電話やで」
廊下にある電話に出たのは姉ちゃんだった。
「誰からよ?」
部屋から尋ねると、
「なんか豊中どうのこうの言うてるわ」
「豊中……? 誰やろぉ~、そんな名前の奴おれへんしなぁ~、もしもし?」
疑問に思いながらも電話に出てみると、
「お前が春木の山本武かァ~ッ!」
とケンカ腰に受話器の向こう側のヤツが言ってきた。
「誰なオマエッ!」
「俺は豊中の総番じゃァ~ッ!」
思わず噴き出してしまった。自称総番と名乗るヤツは初めてだったからである。岸和田から豊中市は50キロも離れているので、オレの名も有名になったものだとこのとき思った。
「どないしたんな武?」
オレの反応を見て権田が部屋から声を掛けて来ると、オレは受話器を手の平で押さえ、
「ちょっと待っとけ、今おもろいヤツがケンカ売って来とるんや! 後で教えたるから」
と権田に返した。
「呼び出そや!」
「わかっとる。みなまで言うな!」
再び手の平を受話器から外した。
「ほんでその豊中の総番が、オレに何の用やねんッ!」
「お前桝本千秋知っとるやろッ! お前千秋に何かやったやろッ! その仕返しに来たんじゃッ!」
桝本千秋とは、一年のとき同じクラスでオレが気に入っていた、バレー部と陸上部の女の子二人の内の陸上部の方である。何かしたかと問われれば、何もしなかったのがいけなかったのである。それはまだ梨香と出会うずっと以前の二年生の中頃、その陸上部の女の子と二人で学校から帰った事が一度あった。その帰り道に、独り暮らしをする二つ年が上の先輩のアパートに立ち寄った。鍵は掛かってなく、
「武、俺が居れへん時でも勝手に部屋上がって好きに使ってええからな」
と言われていたので、とりあえず二人でその部屋におじゃまして遊んでいた。遊んでいたといっても会話をして楽しんでいただけなのだが、そのとき女の子に発情期のスイッチが入り、オレにモーションを掛けて来たのだ。気になる女の子だったが、そのスイッチの入り方が以上に恐ろしく、気に入っていた清純な恋心がそのとき一気に興ざめ、オレは用事を思い出したとその場をはぐらかし、アパートを出て現地解散したのだ。それ以降その子とは話をする事もなかったのだが、このとき豊中の総番の口から桝本千秋の名前が出たので、女のプライドを傷つけられた逆恨みによる、豊中の総番を巻き込んでの仕返しだとオレはすぐにピンときた。恐るべし女の執念である。おそらく自称豊中の総番は、桝本千秋に、オレをシバいたら付き合ってあげるとでもウソを吐かれ、のこのこと岸和田くんだりまでやって来たに違いないと思った。哀れな男である。
「で、オマエ何処なッ! 待っといたるから早よ来いやッ! 電話番号解ってるんやったら家の住所も解るやろッ!」
「もう春木駅まで来とるわッ!」
「何っ、春木駅っ! よし、オマエそこで待っとけ、今すぐ行ったるよってッ!」
「おう、待ってるから早よ来いやッ!」
面白過ぎてワクワクしながらオレは受話器を下ろした。
「で、武どないなったんな?」
室内からオレに聞き質す権田に向かって、オレは満面の笑みで微笑んだ。権田はオレの微笑みを見て上手く呼び出せたと判断したのか、
「で、場所何処や?」
と嬉しそうに尋ね、
「THE 春木駅!」
とオレは答えた。
それからの男共の行動は早かった。そば洋食を暗黙の了解でかっ込み、ガレージに止めている自転車まで走って行くと、
「誰が武役になる?」
などと権田が言い出し、
「アホかオレのケンカやど、こんなおもろいこと人に譲れるかいや!」
と権田に返すと、
「いやいや、俺が本物の武や!」
と後方で、自転車に跨る山ちゃんまで言って来るありさまだった。
オレ、山ちゃん、きっしゃん、そして忠岡軍団率いる権田達この日は八名が、総勢十一名となって嬉しそうに春木駅に向かったのである。
駅に出る一つ手前の角に自転車を止め、
「ほな行って来ら」
とオレが言うと、オレの肩を権田が引き留め、
「待てや武ぃ~っ、公平にジャンケンで決めよや!」
と言い出したのである。
「そや、それに賛成ぃ~!」
などと山ちゃん含め数人の忠岡軍団も口々に言い出し、
「あかんオレの事やオレが行く」
と言ったが、
「この国は民主主義やからのぉ~」
などと言い出す者も現れた。そして協議の結果、
「最初はグー、ジャンケンぽん! あいこでしょ! ジャンケンぽん! あいこでしょ! ジャンケンぽん! あいこでしょ! ジャンケンぽん!」
「よっしゃぁ~俺の勝ちやぁ~っ!」
と替え玉山本武役を見事勝ち取ったのは、誰あろう忠岡の番長権田だった。
権田は嬉しそうに腕をボキボキ鳴らし、オレ達は角を曲がり駅が見渡せる所まで出ると、改札口を出た所に、今か今かとオレが現れるのを待つ身長180㎝程の巨漢な男が立っていた。間違いなくそれが豊中の総番だと人目で解った。権田は嬉しそうに豊中の総番に歩み寄り、オレ達はその場から権田の行動を見物した。すると権田は、
「お前かァ~コラァ~ッ!」
と更に近付いた後、
「俺が春木の山本武じゃ~ッ!」
などと駅前でオレの名を大声で叫んだ。
「アイツ楽しんどんのぉ~!」
横に居る山ちゃんに言うと、
「あかん、たまらん、俺も行く!」
と山ちゃんも、
「俺が本物の山本武じゃ~ッ!」
と大声で叫びながら改札口に走って行ったのである。そうなると先程ジャンケンに負けた秀吉初めとする忠岡軍団も、
「ちゃうちゃう俺が本物の山本武じゃ~ッ!」
「春木のスーパースター山本武じゃ~ッ!」
「俺が正真正銘のタケシ山本じゃ~ッ!」
「おいッ、豊中ァ~ッ! 俺がグッドアフタヌーン山本じゃ~ッ!」
などと覚えたての英語を織り交ぜながら、次々に好き放題言う奴らが豊中の総番に向かって行った。
「アイツらほんまにアホばっかりやのぉ~」
横に居るきっしゃんに話し掛けると、
「ホンマやのぉ~」
ときっしゃんは笑みを浮かべ、オレ達は呆れ返りながら最後にゆっくり歩いて行った。
意表を突いた複数の山本武の出現に、豊中の総番は口をポカーンと開いて放心状態である。
自称豊中の総番の出方次第では、分身の術を使った山本武軍団にボコボコにされていたかもしれないが、自称豊中の総番は意気消沈して戦う意欲も失せていたどころか、縮こみ上がっていた。そんなヤツに殴り掛かるほど卑怯な連中ではないので、オレを含め皆がそいつに事情を尋ねたのである。
「だいたい想像は着くけど、何でお前オレにケンカ売りに来たんな?」
すると豊中の総番は、
「冬休みに旅行会社のツアーで千秋と出会って……」
と語り始めた。事情を聴くとオレの睨んでいた通り、自称豊中の総番は桝本千秋に踊らされていた。哀れな男である。そして桝本千秋に会いたいが為に家出までして岸和田に来たらしく、騙されているとも知らずに50キロも離れたこの街まで来るとは、益々もって哀れな男だった。
体付きはデカいがこの総番、年は一学年下の二年生だった。間違いなく総番もハッタリに違いないと思った。しかしこの哀れな男をオレ達は放ってはおけず、とりあえず各家に順番で泊めてやる事にした。一日目はオレの家に泊めてやり、二日目は権田の家、そして一週間が過ぎようとする頃、またオレの家に泊まるその日の昼、山ちゃん初め忠岡軍団といつものように『四時ですよ~だ』を、そば洋食を食いながら見ていると、忠岡軍団の一人フミヤがオレにこんな事を言ってきた。
「武、豊中がさっき俺に言うてたんやけど、アイツ権田にケンカ勝てるとかほざいてたで」
オレ達の間では、名前を覚えるのもめんどくさいので豊中と呼んでいた。その豊中が一週間もして慣れ始めたのか、ついフミヤにそんな事を口走ったのがいけなかった。
(こらぁ~権田聞いたら必ずキレるな!)
「まあフミヤ、しょせん年下の言うた戯言やから権田には言うたんな、あいつに聞かせたら間違いなく100%キレるから」
「そやの、俺もそう思う」
しかしこの日のフミヤの口の軽さは綿菓子より軽かった。三十分もしない間に権田の耳に入っていたのだ。
「コラァ~ッ豊中、お前ちょっと出て来いッ!」
「えっ、何……? ぼく……?」
豊中はすっとんきょうな顔をし、フミヤは明後日の方向を向いてすっとぼけた顔をしていた。なかなかオレの部屋から出て行かない豊中にじれったくなった権田は、オレの部屋に駆け込んで来るなり、
「オマエッ、俺にケンカ勝てる言うたらしいのッ!」
と激昂していた。
「え?」
と豊中はフミヤの顔を見たが、フミヤはやはり明後日の方向を向いていた。
「オマエッ勝てる言うんやったら今から八幡公園行って勝負しよやッ!」
「え、えっ、いやっ、そのぉ~」
「言うたんやろ」
「えっ」
「言うたんやろ」
「えっ」
「言うたんやろフミヤに、フミヤ言うとったんやろコイツッ!」
「うん。言うとった!」
フミヤは明後日の方向から現在に向き直り、権田に向かって頷きながらアッサリ答えた。
豊中も豊中である。捲れてしまった事実に今度は居直り、止めておけば良いものを、
「よっしゃほなやろや!」
とほざいてしまったのだ。
オレ達は八幡公園へと移動し、オレ達の見ている前で権田と豊中が向き合った。相手が構えるなり猪突猛進型の権田は、豊中に殴らせる隙を与えず左右の連打で秒速でノックダウンを奪うと、続いて顔面に蹴りを入れた。さてそろそろ止めてやらねばと思っている矢先、何をトチ狂ったのか横に居た秀吉と山ちゃんが突然豊中の名前を叫んで走り出した。そして倒れている豊中のあばらに長渕キックを二人で浴びせ始めたのだ。
「フミヤ止めに行くぞ!」
「おう」
俺もフミヤも即座に駆け寄り、狂ったように豊中をボコボコに痛めつけている三人を止めた。仲裁に入った時には、豊中の元からゴリラのようにブサイクな顔は、もうすでに原形を無くしてエレファントマンのように腫れ上がり、痛そうに脇腹を押さえていた。
「こらちょっとヤバいなぁ~、秀吉ちょっと来い」
二人してその場を離れると、
「秀吉、このままアイツ家に帰したら、間違いなく警察に走られてお前らパクられるぞ」
「そやのぉ~、ちょっとやり過ぎたのぉ~」
オレは笑いもって、
「ちょっとちゃうわぁ~、ボコボコやんけぇ~」
すると秀吉は苦笑いしていた。
「冗談抜きでどうする? 病院連れて行かなヤバいぞ」
「そやのぉ~」
「お前、姉ちゃんの子供の保険証借りられへんか?」
「ほなちょっと姉ちゃんに電話して聞いてみるわ」
姉ちゃんはすぐに了承してくれ治療費まで貸してくれた。近くの徳洲会病院まで行き診断の結果は、見事に肋骨が数本折れていた。幸い肋骨が肺に刺さっている事はなかった。
あくる日、その場に居なかったきっしゃんがオレの家に遊びに来ると、
「自分誰な? ボクサーか?」
と、原形を失い誰だか解らない豊中に尋ねるといったほど、豊中の顔は腫れ上がっていた。
「いやいや、豊中です。調子こいて権田君にケンカ勝てるて言うてしもて……」
「アホやのぉ~、無謀なこと言うたのぉ~、俺はまた武にやられたんかなぁ~思たわ!」
「いや、むしろ武君が居れへんかったら死んでました……」
当初豊中を一週間ぐらいで家に帰す予定が、この件があった事で帰すに帰せず、とりあえず顔の腫れと肋骨を巻いているコルセットが外れるくらいになるまで、ただ飯を食わさなければいけないようになってしまったのである。