其の七 一張羅のスーツ
その時が早くもやって来た。シバキ回すリストに記載されているオトンの名に、済みの文字を入れる事である。
家出から帰ったオレは、避けられないオトンとの話を、もう逃げる事なく正面からぶつかって行った。マーボーの友情パンチがオレの心に火を点けたのだ。
これまで遠慮していた、オレの中に蔓延する怒りの本音を吐き出す事が出来ないでいたが、家出という行動が、子供の中に抑え持つ、親に対するSOS信号だと気付いたのか、意外にもその話し合いのオトンの第一声はいつもと違っていた。
「お前の中で思てる事みな言え、男同士腹割って話しよ!」
「言うてえんやな」
「ええ」
「ほな言わせてもらうわッ! これまで育てて来てもうたのは世話になったと思てるけど、そやけど事あるごとにドツかれて言う事きかされて、それも腹立ってるけど、オレはあの服破られた時からいつかこのおっさんシバいてこましちゃろと思てるッ!」
一投目から変化球なしの直球も直球、どストライクど真ん中の豪速球でオレは言った。
「そうか! それを聞いて父ちゃんは一つお前で勉強になった。それは何か言うたら、人いうんは暴力で言う事きかせても、暴力では詰まるところ相手に伝われへんというのが今この歳なって解った。しかし武、これだけは解ってくれ! 父ちゃんはお前に質実剛健な男に育ってもらおうと思ってした事や。今はお前には解らんかもしれんが、父ちゃんも父ちゃんなりにお前のこと思ってした事だけは解っといてくれ! そやからお前が父ちゃん殴りたいんやったらええからここで殴れ!」
この息子にしてこの親ありと言わんばかりの、オトンも一投目から変化球なしの直球も直球、どストライクど真ん中の豪速球だった。
「よぉ~し、ほな殴ったるッ!」
オレはこれまでの積年の恨みを晴らすべくオトンの胸倉を掴んだが、だが心とは裏腹に右拳はオトンの頬を殴る事は出来なかった。
「ええから殴れッ!」
オトンは言うが、オレは右手を振り上げたがやはりそれ以上出来なかった。
「殴れへんかったらお前の気も済めへんやろッ、ええから殴れッ!」
更にオトンは言った。
「殴りたいけど身体が動けへんのじゃ~ッ!」
オレも叫んだ。
「よしっ、わかった、ほなら父ちゃんの一張羅もって来たるから、今ここでそれ破れッ!」
「おうッ、持って来いッ、ビリビリに破いたる~ッ!」
オトンは二階に上がり自前の一張羅のスーツを取って来ると、あの時オレのサマージャケットを破いた出刃包丁を次に台所から持って来て、一張羅のスーツと一緒にオレに手渡した。スーパーの任意整理で家にお金のない事は知っていた。この頃オトンはスーツを着て他所の会社に働きに行っている事も知っていた。他に安物のスーツもある事は知っていたが、一張羅と聞けば心が引けた。
「ホンマに破ってええんやなァ~ッ!」
「ええから破れッ!」
「よっしゃ、ほなら破っちゃるッ!」
「おう、行けッ! 後腐れなしに破けッ!」
「わかったァ~ッ!」
こうしてオトンの一張羅のスーツは、オレのサマージャケットのようにビリビリになったが、父と子の崩壊しかけた親子関係はなんとか修復されたのである。
余談になるが、この日からしばらく経ってからの事、とあるお昼のテレビ番組で、電話相談のコーナーがあり、オレは何気なく昼食を食べながらその番組を観ていた。
電話を掛けて来た主婦の相談は、子供がおもちゃを買ってくれとせがむのだが、そのおもちゃを毎回買い与える事によって、物を大事にしない子供に育つのではないかという、本当に些細な相談事だったが、その主婦にとっては子供が良い成長を遂げて欲しいという願いからなるものだった。その主婦の相談に対する返答をした番組レギュラーの少し小太りのおばさんは、
「子供の事を思うあまり、心配して買え与えない愛もありますが、子供が欲しがる物をすべて買い与える愛もあるのよ。心配せず買い与えてあげたらどうですか?」
とゴッドな意見を述べた。オレ自身が親になってみないと本当のところ解りもしない感情かもしれないが、この時オレは、オトンがオレのサマージャケットを破いた事もまた、多少なりとも行き過ぎた所はあったが、オトンなりにオレの良き成長を願ってした事だと理解せざるを得なかった。