其の六 温厚なきっしゃん
そんな事があって一月後、あの争う事を嫌う温厚なきっしゃんが、深刻な顔を引っ提げてオレに相談を持ち掛けて来たのである。聞くとドンが顔を合わす度てんご(ちょっかいを出して来る)して来るので、もう堪忍袋の緒が切れたのだときっしゃんは言ってきた。争いごとを嫌うきっしゃんは、自ずから人にケンカを吹っ掛ける事など普段からなく、大人しい性格の上に、温厚で弱い者いじめなどする男ではなかった。対するドンは、大人になってからは温厚になり、弱気を助ける良き男になるが、この頃は自分よりも格下だと判断すると、人を小馬鹿にしておちょくったり、人の嫌がる事を平気でしていた。
「ほんでお前どうしたいねん?」
「サシで勝負したいんや!」
温厚なきっしゃんが、こうまで言って来るのはよっぽどの事である。
「別にドンとケンカするのが怖いから武に言いに来たんとちゃうんや。アイツらいつも軍団で居るから、ドンとやった後に他のヤツが来るのが鬱陶しいねん。だからドンとタイマンで勝負する時に武に立会人になってもらお思て……」
「なんやそう言う事か。かめへんど!」
オレはそう言うなり一組に掛けて行きドンを呼び出した。オレに呼び出されたドンは、あたふたしながらオレに近付いて来た。
「おうドン! お前きっしゃんに、いらんちょっかい出してるらしいのぉ~」
「えっ、いや、別にぃ~、そんな事は……」
本人は言葉に詰まっていた。身に覚えがある素振りだった。
「おい、勘違いするなよ。オレがお前に仕返ししに来たんとちゃうど」
「えっ、ホンマけ?」
オレが仕返しに来た訳じゃないと知ると、ドンは言葉遣いも生き生きし始めた。
「お前がてんごばっかりきっしゃんにするから、きっしゃんももう堪忍でけへん言うて、お前とサシで勝負したい言うから、ちょっとお前今からきっしゃんと勝負したれ! オレが観といたるから」
「おぉ、それやったらやるよ!」
オレが相手ではないと解ると、ドンは自信を持って言葉を吐いた。
「ほな校舎の裏行こか!」
二人を引き連れて階段を下り、人気の無い校舎裏へとオレ達は向かった。校舎の裏にはプレハブがあり、その裏ならレンガの壁に囲まれている為、学校の外からもまったく見えずに勝負を付けれる場所だった。二人は向かい合うと互いにメンチを切り始め、無言の戦闘態勢を整え始めた。
「ほなお前ら正々堂々勝負せえよ!」
オレが声を掛けるとお互い相手に向かって行った。きっしゃんはお得意の柔道技で仕掛けようとするが、それを警戒していたドンは、距離を取ってきっしゃんにパンチを浴びせた。そのパンチを顔面に受けながらも、必死にきっしゃんはドンを掴みに行こうとするが、ドンはヒットアンドアウェイの巧妙な作戦で、きっしゃんに身体すら触れさす事を許さなかった。オレは心の中で、
(きっしゃんガンバレ!)
と応援しているが、きっしゃんの顔は見る見る内に腫れ上がり、その差は歴然だった。それでもきっしゃんは顔面を打たれながらドンに近付き、やっとの事ドンの袖を掴んだが、その時ドンの連打に地面に膝を着いた。
「ドンそこまでや!」
オレの言葉にドンは両手を下ろした。
「きっしゃん。お前もようやった。もう悔いはないか?」
「おう……」
きっしゃんは話すのも辛そうだった。
「ドン。お前の勝ちや! それとなドン、もうあんまりてんごしちゃんなよ!」
「おっ、おぉ……」
この時ドンは狐につままれたような顔でオレに返事した。後に大人になってドンと酒を飲んだ時、ドンはこの時の事をこう言っていた。
「あのとき次は武が掛かって来るて思てたけど、お前きっしゃんに肩貸して帰ったよなぁ」
「当たり前じゃ! 男と男の勝負にそんなブサイクな事できるかぁ~っ! お前そんなこと思とったんかいッ! 逆の立場やったらお前はそうしてたいう事やな! そんなこと思てるさかいお前はアカンねん!」
きっしゃんはこの日ドンとのケンカには負けたが、男と男の勝負には正々堂々戦い抜き、男らしく負けを認め、人生においての男の生き様としては勝利したのだと、オレは大人になった今でもそう思っている。