第二十章『 大人への不信感』
二学期が始まり、また平穏な小学校の時間が流れるものだとばかり思っていた。しかし人生というのは浮き沈みのある折れ線グラフのように、上る事もあれば下る事もある。人は下る時にこそ己を高め、必要とするべき何かを学ばなければいけないのである。逆境こそが唯一自身を成長させてくれる覚醒への材料である。
その日、休み時間に廊下に出てみると、辻本とガっちゃんが同じクラスの大人しい男の子に何やら言っていた。その男の子はズボンを穿いてなく、下半身丸出しの格好をしていた。オイラは気になり近付いて事情を聴いてみると、辻本とガっちゃんはその男の子に、その格好のまま一組の壁を触って戻らせた所だと言った。イジメである。
「お前らもうそんなん止めといちゃれや!」
オイラはその子を庇って二人にそう言ったのだが、その男の子は何をトチ狂ったのか突然泣き出し、仲裁に入ったオイラに向かって、両手を歯車のように大きく振り回し、大振りパンチでオイラに殴り掛かって来たのだ。大人になった現代のオイラからすれば、この行為は恐らく止めに入ってくれた事が嬉しくて泣き出し、辻本とガっちゃんには怖くて怒れないので、そのはけ口をオイラに向けて来たのだと理解出来るが、小学六年生のオイラにはまだそんな事は理解出来ず、
「お前オイラに掛かって来るのは筋違いやろォ~ッ!」
と軽く頭を叩いた。そんな所に担任がやって来たのだ。
「山本君、何やってるのッ!」
担任の西村先生は女の先生で、見るからにオイラがイジメているようにしか見えなかったようで、そうなると当然そう言って来る訳で、まあ頭を叩いたのは事実だからオイラは何の言い訳もしなかった。しかしその日家に帰ると学校から報告の電話があったのか、夜に父ちゃんに呼び出され、
「お前どういう事や!」
と切り出された。事情を話し、とりあえず辻本とガっちゃんがイジメていたのを止めたら、逆にその子がオイラに殴り掛かって来たので一発頭を叩いた。と告げると、
「お前その男の子守ったろ思て仲裁に入ったんやろ? その子が自分に掛かって来たからいうて殴り返さんと、最後まで庇ったらんかいッ!」
と更に怒られた。このとき少し納得はいかなかったが、その夜一人でその事を考え、父ちゃんの言った事をその日の内に理解した。男たるもの一旦守ってやると決めたら、自分の身を犠牲にしようとも、最後までその子を庇い通さなければといけないと思った。その場だけのイジメの行為を止めてやろうと、中途半端に仲裁に入ったオイラがいけなかったのだとも思った。
しかしオイラの知らない所で、辻本とガっちゃんのイジメは複数に渡りあったようで、六年五組に登校拒否が数人出た時、PTAの会議が開かれ、オイラの母親も呼び出された。そしてあろうことかPTAの会議から母親が帰って来ると、
「あんたが主犯格になってるみたいやで!」
と、そうお母ちゃんに言われた。
「えっ、オイラがっ?」
「私、事情も解れへんから、辻本君のおばちゃんとガっちゃんのおばちゃんにそこで、山本さん所の武君にうちの子ら脅されてやったんやッ! て言われてホンマ情けなかったわぁ~」
とお母ちゃんに言われた時にはすこぶる腹が立った。辻本のおばちゃんの言いそうな事である。アイツら二人が親にそう言ったとは思えなかった。
タッケンは例外だが、確かにオイラは学校内では自分からは向かって行かないが、ケンカは向かう所敵なしだった。ケンカが強いからといって悪の根源にされるのは納得がいかなかった。
それから数日経って、また辻本がその男の子をイジメている現場を目撃した時、
「おいッ、お前ちょっと来いッ!」
と言って辻本の胸倉を掴んで裏庭に連れ出した。辻本も幼い時から少林寺をしていたので、ケンカにはある程度自信があるようだったが、しかしオイラと辻本では根性の座り方が違った。弱い者イジメをするような男にオイラが負けるはずもなく、ケンカをする前に、
「ええか辻本、お前もう金輪際弱い者イジメるなッ! ええなッ! 次見付けたらお前イテまうからなッ!」
と胸倉を掴んで一言いうと、
「うん。わかった……」
と泣きそうな顔をして辻本は返事した。
その後登校拒否はなんとか無くなったが、腹立たしい事はこれだけでは終わらなかった。子供社会はこれで収まりが付いたが、大人社会ではオイラが悪者のままだったのである。
それはある日の体育の授業で起こった。担任の西村先生はイジメの件があったのもあって、少しノイローゼ気味になっていた。オイラの目から見て西村先生は、あまりしっかりした先生だとは映って見えなかった。そうなると当然子供はなめて掛かる訳で、その日の授業はドッチボールをする事になっていたので、先生はグランドに線を引く木の棒を持って、オイラ達にその日のドッチボールの説明をしていた。先生の前で三角座りするオイラ達は、話を聞きながらも隣に座る子と小さな声でしゃべくり合っていた。勿論オイラだけではない。多数の子達がしゃべくり合っていたのだが、
「もうぉ~ッ、さっきから私が話してるのにぃ~ッ、ちゃんと聞きなさいよォ~ッ!」
と突然癇癪を起し、手に握る木刀のような線引き棒を持って、後ろの方で座るオイラに迫って来たのだ。オイラは座ったまま何をされるのかと上を見上げたその時、
「あんたがみんな悪いんやぁ~ッ!」
と言ってその棒をオイラに振り下ろしたのだ。オイラは咄嗟に頭を庇い背中を向けた。振り下ろされたその棒はオイラの肩甲骨の所に当たった。先生はオイラにその棒を振り下ろした直後、泣き出して職員室に走って行った。しばらく経っても先生が戻って来ないので、オイラ達は自主的にドッチボールを始め、チャイムが鳴るまでドッチボールをして遊んでいた。
チャイムが鳴っても先生は戻って来なかった。
「どうする?」
と皆が聞いて来たので、
「教室に帰って着替えておいたらええんちゃうか?」
とオイラは言った。その日オイラは日直に当たっていたので、みんなが教室に戻って行く中、ボールと線引き棒を倉庫に片付けてから、廊下を歩いて教室に戻っていると、そこへ教頭先生が血相を変えて走って来た。そしてオイラの前に着くなり、土下座して深々と頭を下げた。
「山本君、今西村先生から聞いたんやけども、どうかさっき有った事はご両親に言わんといてくれへんか、頼むこの通りや!」
何度も何度も頭を下げて、教頭先生は土下座をして来た。
「教頭先生もう頭上げてよ。別に大した事ちゃうし、ケガもしてないから大丈夫やで!」
オイラは親に言うつもりはないとそう言ったつもりだったが、先生はオイラの口から、
「親には言わへんよ」
という言葉を聞くまで頭を上げなかった。そして先生の納得いく言葉をオイラが掛けると、教頭先生は、
「ありがとう。ホンマに済まんかった……」
とまた頭を下げた。
このときオイラは小学生ながらに、自分の立場を守る為に、小学生に土下座までして保身に走る先生を見て、たとえ先生といえども手放しで信用してはいけないのだと思った。愛で包み込んでくれる先生も居るならば、先生に限らず、世の中には信用できない大人は居るのだとこのとき知った。
教室に戻る前にトイレに寄って、鏡に背中を映してみると、肩甲骨には青アザが出来ていた。それでもオイラはこの日の事を親に言う積りはなかった。大の大人がオイラのような子供に土下座までした約束を守る為に……。