其の三 着ぐるみのスーパーマン
そんなグースカにその場から「行って来るわ!」と手を振り、家の前の細い路地を通り抜けて表通りに出てみると、聞きなれた声がオイラに話し掛けてきた。
「おっ、武、今日から幼稚園か!」
声のする方へ振り返ってみると、市場の仕入れから帰ったばかりの務のおっちゃんだった。
務のおっちゃんとは、父ちゃんの弟で、つまりオイラの叔父さんという訳だ。
トラックの荷を降ろしている手を止め、オイラに向かって「さあ来いっ!」と言わんばかりに両手を広げて柔道の構えを執ってきた。
オイラはお母ちゃんの手を振りほどき、一目散に務のおっちゃん目掛けて駆け出した。
───
内の家系は柔道家系で、じいちゃん初め、父ちゃん、務のおっちゃんと、共に柔道の有段者なのだが、中でもこの務のおっちゃんは柔道六段と、家族の中でもズバ抜けた才能の待ち主だった。こと柔道においては家族のみならず、柔道界においてもそのズバ抜けた才能を大いに発揮し、そしてまた貢献した凄い人でもあった。
どれぐらい凄い人かって……?
まあこの頃こそ髪は薄くなり、横髪を強引に伸ばして頭の上にバーコードのように乗っけてはいたが、幼いオイラから見ればハッキリ言ってそれはもう、
『あなたもしかして、おっさんの着ぐるみを着たスーパーマンのご親戚の方ですか?』
と、そう言いたくなるほど凄い人だった。そんな大げさなと思う人もいるかもしれないが、それにはちゃんとした根拠があった。
まず第一に、この務のおっちゃんは身体165センチ、体重60キロと、軽量級で小柄だったが、その165センチの着ぐるみの中にはキングコング並みのパワーを秘めていた。硬貨を握力だけで簡単に折り曲げてしまうのだ。それだけでも凄い事だが、この人の凄さはまだそれだけではなかった。若かれし頃からの柔道大会を総なめにしたであろうトロフィーや盾の戦歴の品数々。聞いて驚くなかれ、その数えをざっと見積もっても、オイラの集め持っている怪獣の消しゴムより多かった。
(どんだけえぇぇぇ~~~っ!)一人ツッコミIKKO風。
それもさる事ながら、オリンピック候補生にも抜擢された経験を持ち、更に日本代表選手として海を渡り、遥か遠くのカナダの地で開催された国際大会にて持ち帰ったメダルの他、あの相撲界の巨匠 千代の富士親方が現役の横綱だった、一日に優に千回は腕立てをしていたであろうバリバリの頃に、腕相撲をして勝ちこそしなかったが、その小さな体で引き分けたのだ。
更にこんな事もあった。
あるときオイラは遊び疲れて乾いた喉を潤そうと、じいちゃん家の冷蔵庫の扉の内側に、こっそりと隠し持っていたカルピスの原液で、大量にカルピスを作ってガブ飲みしてこましちゃろうと立ち寄ったところ、まだお天道様も沈まない日中からすき焼きを囲み、牛のような大男と務のおっちゃんがすき焼きを突きながら、
「まあ、先生どうぞ!」
と、その大男が務のおっちゃんにビールを注いでいるではないか! 幼いオイラからしてみればその大男があまりにも大きかったので、
(うわぁ~っ、牛がすき焼き食ってるわぁ~っ!)
と、ビックリしたのだが、誰あろうその大男こそ、あの柔道界の重量級金メダリスト、若かりし頃の山下泰裕選手だった。
その山下選手が恩師と仰ぐ務のおっちゃんは、山下選手を発掘し、東海大に引き抜いた第一人者でもあった。
ちなみにこの時の事は忘れる事なくよぉ~く覚えている。一切れの肉もオイラには一切当たらなく、
(ホンマ、どんだけ食いよるねん!)
と、その食いっぷりを目の前に、オイラは喉を鳴らして見ていたからだ。
───
「よぉ~し、武、ほら来いっ!」
力強い声で務のおっちゃんが言った。そしてガッチリ組み合うと、まるで飛行機ごっこでもするかのように軽々と左右に揺さぶられ、次に新幹線並みの早い速度で持ち上げられたかと思うと、そのまま投げに転じられ、地面に着くスレスレの所で、受け身を取らなくてもいいように、上体を起こされて軽くあしらわれた。
「よぉ~し、武、ほれっ! 今度はお前の番や、投げてみぃ!」
今度は務のおっちゃんが、オイラが技を掛けやすいように屈み込んでくれた。
オイラは以前から、務のおっちゃんから教わった投げ技の順序を頭の中に思い出し、同時に自分の身体に命令を下した。まず一の順序で、オイラの胸倉を掴んでいる務のおっちゃんの腕を左手で掴み、逆の手で、務のおっちゃんの胸倉をしっかり掴んだ。ほぼ同時に、相手の重心を少し後方に押してやる。すると相手はその力に反発しようと重心を前に掛けようとして来る。そこで二の動作に移る。その前に重心を移動して来た力を利用して、相手を自分の方へとグッと引き寄せながら透かさず相手の懐へと飛び込むように入るべし、このとき腰を回転させ、背を向けた状態のまま重心を落とす。そして最後に力いっぱい相手を背負い込み、落としている腰ごと跳ね上げるようにしておもいっきりぶん投げる。
その動きに合わせて、まるでオイラがいかにもぶん投げたかのように、すごく自然な感じで身を投げ出して、務のおっちゃんが転んでくれた。
オイラを喜ばす為に転んでくれているとは解っていても、実際にぶん投げた気持ちになってくる。これがまた気持ちいいのなんのって、先ほどまでの沈んでいた気持ちが、この時ばかりは吹っ飛ぶように忘れ去っていた。
「幼稚園がんばってこいよ」
そのあと務のおっちゃんに見送られ、またお母ちゃんと二人大芝幼稚園に向かって歩き出した。しばらく歩くと天の川に差し掛かった時、お母ちゃんが妙な事を聞いてきた。
「あんた昨日の夜中のこと覚えてないやろ?」
「へっ?」
そう言われてももちろん覚えている訳がない。寝ションベンすら気付かないほど熟睡していたのだから……。
「お父さんと二人で笑ろた笑ろた!」
その時の光景が蘇って来たのか、更にニヤついた顔でオイラに言ってきた。オイラには何の事だかさっぱり解らなかった。
「なにがよ?」
なので聞いてみると、
「お母ちゃんら寝よ思てちょうど布団の中入ったら、寝てると思てたあんたの布団がガバッと捲れて、あんたいきなり立ち上がるんやものぉ~」
「えっ、うそやん」
目が点になった。勿論覚えている訳がない。
「ほんで、どないなったんよ?」
「ピーンと気を付けしたまま、『日の丸弁当ぉ~ッ!』って叫んでまた布団の中入って寝たん、あんたいっこも覚えてないの?」
「えっ、ホンマに」
「あんたそんなに日の丸弁当食べたかったんか?」
「えっ? うそやぁ~ん。ホンマにそんなこと言うたんけ?」
テレビっ子だったオイラは、この時分テレビの影響を受けやすい体質にあった。それは後に大人になってからも大して変わらないのだが、おそらくこの時は、アニメ『いなかっぺ大将』の主人公大ちゃんが、美味しそうに日の丸弁当を食べていたのが夢にまで影響したのだ。
そしてお母ちゃんは意味ありげな含み笑いを漏らすと、この話題は沸騰した蒸気のように蒸発して消え去った。
岸和田㊙物語シリーズとは別に、ローファンタジーの小説、
海賊姫ミーシア 『海賊に育てられたプリンセス』も同時連載しておりますので、よければ閲覧してくださいね! 作者 山本武より!
『海賊姫ミーシア』は、ジブリアニメの『紅の豚』に登場するどことなく憎めない空賊が、もしも赤ちゃんを育て、育てられた赤ちゃんが、ディズニーアニメに登場するヒロインのような女の子に成長して行けば、これまでにない新たなプリンセスストーリーが出来上がるのではと執筆しました。