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第十七章『思い出の写真』

 午前中の授業が終わるのが待ち遠しかった。午後からは九月に入って一度目の試験引が行われる日だったからだ。

 チャイムが鳴りホームルームが終わると、男子は一斉にランドセルに教科書を詰めて足早に教室を後にした。昼からの曳行に先駆けて、自宅に帰って飯を済ませ、パッチを履きハッピを着て真っ先にだんじりに向かうのだが、学校の帰り道に早くも公民館の前に止められているだんじりを目に留めると、自宅に帰るのも忘れて太鼓を叩いたり、屋根に乗って騒いだりしてしまうのだ。

 この日の試験引きは勿論それなりに楽しかったが、本番の祭りが終わればサトシが転校すると思うと、胸にぽっかり穴が空いたようで、やはり心のどこかで()に落ちない楽しさだった。

 三年生の時にも一度、いつも野球をするメンバーだった仲の良かった女の子が、北海道に転校した事があった。親の事情であれ、仲間と会えなくなるのは寂しいものである。

 試験引きの余韻(よいん)(ひた)りながらそんな事を思い出していると、子供会のおっちゃんの話し声が聞こえ、貸しハッピという素晴らしいシステムが有るのをオイラは知った。前もって子供会のおっちゃんに頼んでおけば、本番の祭りにハッピを貸してもらえるとの事だった。

 オイラは月曜日に学校に行くのが待ち遠しかった。それはサトシに岸和田での思い出を作ってやりたかったからだ。

 早速月曜日になるといつもより早く学校に行き、授業が始まる前にサトシの教室に足を運び、本番の祭りは一緒にオイラの町のだんじりを引こうと誘った。サトシは戎町だったが、勿論オイラの申し出を喜んで受け入れてくれた。サトシの後は他の教室に行き、JFCでサトシと仲の良い甲斐ちゃんと啓ちゃんも誘った。彼ら二人は磯ノ上町のだんじりを引いていたが、事情を話すと快く承諾してくれた。

 そして本番に向けての二回目の試験引きが終わり、待ちに待った岸和田祭りの日がやって来たのだ。


「武く~~ん!」


 早朝まだ日が昇り切らない暗がりの中、玄関戸の向こうからサトシ達の声がした。


「お母ちゃん早よやってやぁ~っ!」

「はい、もう出来た!」

「まだ半が乾きやんかぁ~」

「もうみんな来たんやろ、これで行きなさい!」


 前日の試験引きが雨だった為、あくる日に備えて乾かしてあったパッチにアイロンをかけてくれていたのである。

 オイラはパッチを履く前に玄関の扉を開け、


「ちょっとだけ待ってな!」


 とサトシ達に声を掛けた。そしてパッチを履き終わると前掛けを付け、カッコよくハッピを羽織り、最後に玄関で迅速(じんそく)足袋(たび)を履いた。


「お待たせ」


 玄関でサトシ達に言うと、


「あんた、鉢巻き忘れてる!」


 と、お母ちゃんが鉢巻きを手渡してくれた。


「怪我せんように気付けて引きや」

「うん。わかってる」


 家の細道を抜けて紀州街道に出ると、薄っすらと色づき始めた空と共に、()き出し前の引手を呼び寄せる太鼓の音が聞こえ始めた。


「おっ、武くん」


 顔の知れた八幡町の年の近い子達がオイラに声を掛け、


「サトシ、甲斐ちゃん、啓ちゃんおはようさん」


 サトシ達と顔見知りの同級生達もまたサトシ達に声を掛けてきた。オイラ達は気の知れた仲間達と綱を引く場所を確保して雑談に明け暮れていると、一旦太鼓のの音が止み、


「みなさんおはようございます! ──」


 とマイクを通した町会長の声が紀州街道に響いた。


「昨日はご苦労様です。今日の曳行は晴天に恵まれた一日になるようです。えー、八幡町のだんじりは、──〈長~~~い省略〉── 今年の曳行も事故の無いよう、各自が気を引き締めて祭りを盛り上げ楽しんでもらいたい。私はこのように思う訳でございます」


 町会長の長ったらしい話に、婦人会のおばちゃん達だけが手を叩き、花束を贈呈して盛り上がっていた。


「えー、続きまして、曳行責任者から一言頂きたいと思います」


 進行の声の後に、


「みなさんおはようございます。──〈またまた長~~~い省略〉」


 曳行責任者の一言ならぬ長い話が終わると、コメットが幾つか鳴らされ、花束の贈呈と共に鳴り物が太鼓を叩き始めた。

 ブレーキに足を乗っけているだんじりの正面に立つおっちゃんが、


「ほなそろそろ行こかぁ~いッ!」


 とマイクを通して声を掛けると、青年団の人達が一斉に、鬨の声にも似た士気高まる気合の入った声を上げた。鳴り物が駆け足の太鼓を刻み直した。その音に合わせ、


「ソウリャ、ソウリャ、ソウリャ!」


 と青年団の喜びに満ちた勇ましい掛け声が紀州街道に響いた。オイラ達子供会に所属している小学生達も、青年団に負けずにハリキッて声を出した。太鼓のリズムに合わせて掛け声を出しながら横を見ると、右の綱を引くサトシと目が合った。嬉しそうな表情でオイラの顔を見ながら必死にサトシも声を出していた。オイラは後ろを振り返った。後方を引く啓ちゃんと、右後方を引く甲斐ちゃんも嬉しそうな顔をオイラに向けてきた。

 本部前に差し掛かった。曳き出し一発目の()(まわ)しである。オイラ達子供会に所属している小学生達は、青年団より前を引いているので遣り廻しに直接携われないが、それでも自分たちが引く綱も、少しは遣り廻しを成功させるのに重要不可欠なんだと思うと、わくわくが止まらなかった。

 停止線にだんじりが止まり、後ろを振り返ると青年団の人達が一斉に頭を下げ始めた。追い役の人達が、引手が体勢に入った事を示す合図をうちわを高く上げて示すと、一響きの笛の音が鳴り、続いて追い役が次々に笛を吹き始めた。太鼓の音が静から動に切り替わり駆け足のリズムになると、綱がギュッと絞られる音を小さく感じた後、引手の足が動き出すと共にだんじりも動き始めた。オイラは前を向き直して綱を前へと押しやった。歓声が上がると共にオイラは再び後ろを振り返った。物凄い勢いでだんじりが交差点を直角に曲がり、道路のセンターをキープしながら駅方面に上って来た。オイラはまた前を向いてがむしゃらに声を出しながら、足も全速力で動かし綱を一生懸命引っ張った。太鼓の音が駆け足から刻み足に変わると最高点にスピードが達した。この興奮は引いた人しか解らないと思った。横を見るとサトシは喜びと興奮の入り混じった表情で、オイラと同様にがむしゃらに綱を引いていた。

 この頃の春木地区の曳行は現在と違い、割と細い道をだんじりがすれ違うのが見物とされていた。子供ながらに、だんじりがすれ違う時には綱を引きながら後ろを振り返り、どちらのだんじりが大きいか興奮しながら見比べていた。

 曳き出しが終わり、次の曳行が始まり出す頃、近所のある一角には露天商の屋台が並びだし、リンゴ飴や金魚すくいなど、子供にとっては魅力的な様々な出店がある中、オイラ達男子に人気の出店はなんといってもサメ釣りだった。水槽に見立てた籠の中にはサメのフィギアが百匹以上も放置されており、それを釣り上げ、口の中に入っている札の番号に見合う景品と交換してもらえるのだが、これがまた、店のオヤジの後ろに展示されてある、ガンダムのプラモデルやファミコンのカセットなど滅多と当たらないのである。いや当たっている人など見た事がないのだ。しかしおもちゃで子供の好奇心をくすぐるこの出店は、子供たちにとって魔性の出店と言っても過言ではなかった。


「サトシ何当たったんな?」

「きな粉あめ」

「甲斐ちゃんは?」

「ぼくもきな粉あめ」

「啓ちゃんは?」

「同じく」


 とやはり大概がハズレなのである。


「おっちゃ~ん、ホンマに当たり入ってるんけ?」

「ぼく人聞き悪いこと言うなよぉ~、ちゃんと入ってるよぉ~!」

「ホンマかいやぁ~、みなハズレばっかしやぁ~ん」

「さっきもファミコンのカセット当てて帰った子おるでぇ~」

「うそや! マジで! ほなオイラもう一回するわっ!」


 こうして大人の口車に乗せられて、オイラ達の大事な小遣いが減っていくのである。


 子供たちにとって昼の曳行での一番の楽しみは、各時間帯に行われる曳行の終わりに、毎回配られるアイスクリームやジュースといった甘い物だった。お小遣いを持ち合わせていなくてもアイスやジュースが貰えるのだから、子供たちにとってこれほどの楽しみはない。

 夜の曳行の楽しみは、その日の曳行の後に配られる梨である。それを貰いパッチで擦ってキレイキレイした後、丸ごとかぶり付くのが粋な食べ方なのである。この日も無事夜の曳行が終わると梨を頬張り、四人仲良く明日の宮入り前に集合するのを決めて解散した。


 あくる日、宮入りの最中にとんでもないハプニングが起こった。八幡町の宮入りの順番がやって来ると見事な遣り廻しで宮(八幡神社)に入り、だんじりを止めてからのひと時をオイラ達は宮の出店を回って遊んでいた。そんな時、オイラはお腹の具合が悪くなり、宮からオイラの家は目と鼻の先だったので、


「家に帰ってウンコしてくるわ……」


 と皆に伝えてその場を走り出した。走って帰らなければいけない程ウンコが漏れそうな状態だったのだ。八幡神社はオイラにとって庭のようなものだったので、通常の人が混雑している道から帰ったのではウンコが漏れてしまうと、オイラは林の中を通ってケツを押さえながら走って行った。そして林の先に地面に深く穴が掘られた焼き場がある事は知っていたので、勢いよくその焼き場をジャンプして飛び越えた時、焼き場の上に飛び出している枝木に、ぽっかりと吊り下がっていた物体に、オイラはダイビングヘッドをブチかましてしまったのである。着地した時、


「痛ったぁ~っ!」


 と膝を着いていると、恐怖の羽音が聞こえ出した。オイラの頭目掛けて小さな悪魔たちが集中攻撃を仕掛けて来たのである。オイラがダイビングヘッドをブチかましてしまった物体は、なんとスズメバチの巣だったのだ。オイラは必死になってその場を離れたが、後から後からスズメバチがオイラの頭目掛けて飛んで来ては後頭部に激痛が走った。後頭部を数か所刺されてしまったのだ。

 少し離れた場所で再び膝を着いて唸っていると、そこへサトシもオイラの家でトイレを借りようとやって来た。


「どないしたんよ武くん」

「頭ハチに刺されたぁ~っ、痛い~~っ」

「オシッコ頭から掛けたげろかぁ~」


 ハチに刺されると、アンモニアを掛けた方が早く治るという都市伝説を、サトシは知っていたのである。


「サトシ……、それだけは止めてくれぇ~っ、笑えん、痛い~~っ」


 その後サトシに支えられ、なんとか自宅に戻ると先に大便を済まし、お母ちゃんを呼んで頭を冷やしてもらったが、痛みは治まらず熱も出だした。サトシにとりあえず先にみんなの所に戻っておいてくれと伝えると、サトシの表情は寂しそうだった。それから布団で安静にしていたが、熱は治まる事なく上がり続けた。布団の中でサトシが戻って行く時の寂しそうな表情を思い出し、なんとかして早く体調を戻し、サトシの許に戻ってやらねばと考えた。

 数時間が経過すると午前中の曳行も終わり、サトシ達が様子を見に来てくれた。オイラはまだ熱が出ていた。


「スマン。まだ頭が痛ぁ~てフラフラやねん……。もうちょっとだけ休ましてくれへんか……。必ず戻るから……」


 実際だんじりを引ける状態ではなかった。サトシと最後の思い出作りの筈が、とんだ災難に見舞われ、サトシに寂しい思いをさせてしまっている事はわかっていた。


「うん、わかった……」


 玄関から帰って行くサトシの姿は、言葉で言い表せないほど寂しそうだった。

 熱さましとバファリンを飲み、熱が治まった時には昼の曳行は終わっていた。

 夜の曳行前に、気遣いと不安の表情を顔に出したサトシがまた誘いに来てくれた。


「どう……? 良うなった?」

「おん。この通り!」


 オイラの言葉と元気な顔を見るなり、サトシの表情に笑顔が戻った。

 二人して路地から表通りに出てみると、だんじりには提灯の飾り付けがされてあり、その傍らには甲斐ちゃんや啓ちゃん達も、オイラが戻って来るのを待ってくれていた。

 そんな提灯の明かりに照らされた楽しそうなオイラ達を、カメラを持って現れたお母ちゃんが記念撮影をしてくれた。


      挿絵(By みてみん)


 この日みんなで撮した集合写真は、大人になった今でも大切にしている。今でもこの写真を見ると、微かな太鼓の音とサトシの嬉しそうな顔を思い出す……。

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