第十六章『子供だんじり』 其の一 旧市のだんじり
夏休みも終盤に差し掛かる頃、岸和田の至る所で太鼓の音が響き出す。岸和田祭りの本番に向けて、鳴り物の役に当たっている人達が練習を始めるのである。
オイラの家の直ぐ近くには、祭りの際に宮入りする神社があり、その神社の敷地内にはだんじり小屋が四つもある為、鳴り物の練習が始まると、どんなに騒がしく家の中でテレビのボリュームを上げていても、否応なしに太鼓の音が聞こえてくるのだ。この音が聞こえて来ると、祭りが好きな者は自然と小屋に集まり出すのだが、ちょうどこの時のオイラも太鼓の音を聞くなり、だんじりを見に行こうと家を飛び出した。
「おっ、マッサン」
「おっ、武」
裏の路地に出るなり、同じ目的の者同士が度々こうして出会うのである。二人して神社の境内に歩いて行くにつれ、次第に太鼓の響きが音量を増し、胸の芯まで響く大太鼓の重低音が、更にオイラ達二人のテンションを上げた。
「うわっ、宮本も宮川もだんじり出してるわ。こっちから見て行こよ」
この頃境内には宮本町、大国町、宮川町と、三つのだんじり小屋が軒を連ねて建てられてあり、オイラとマッサンが住む八幡町のだんじり小屋は、境内の中に離れてあった。この時マッサンが他町のだんじりを見て行こうと言うように、祭り好きには大きく分けると二種類の祭り好きが存在し、祭りは勿論の事、だんじりの彫り物やら何かしらもこよなく愛すタイプと、祭りは好きだがだんじり自体にはさほど興味がない人もいる。後者の場合祭りで人と騒ぐのが好きなタイプであるが、オイラはこの後者にプラスして、自町のだんじりは好きだが、他のだんじりはあまり興味がないタイプだった。
「うん。まあええけど……」
マッサンに促されるがまま他町のだんじりを見ていたが、やはりオイラにはしっくりとこなかった。オイラとは対照的に、見送りに用いられている彫り物は関ケ原の戦いの彫り物だとか、この町は大脇の彫り物がシブい! とか、オイラにはさっぱり解らないだんじり用語をマッサンは熱く語っていた。
「マッサン、そろそろうちの町のだんじり見に行こや」
マッサンは別れ惜しそうにしていたが、そこはオイラが強引に引っ張って行った。
八幡町のだんじり小屋の前まで来ると、知った顔ぶれが集まっていた。同級生のやすゆきや裕ちゃん、更に同学年のサトルもさる事ながら、一学年上の近所に住む自転車屋の息子とっちゃん初め、やはり近所に住む一学年上の伊戸ちゃんもだんじりを見に来ていた。
現在の祭りでは、鳴り物役は青年団に所属する高校生を中心とした、新団からおおよそ三年目までの年で編成されている事が多いが、この頃の岸和田祭り春木地区の鳴り物は、粗中学生が主体となって編成されていた。この日、小屋の前に出されただんじりの中で、大太鼓初めとする鳴り物をしていたのは、町内に住む三学年上の高まっちゃん初め、二学年上のくにたん含む中学生のメンバーが主体となっていた。小学生のオイラ達から見る彼らの敢然とだんじり囃子を実演するさまは、早く自分も大きくなって、鳴り物をしたいと思わせるほどカッコよかった。
鳴り物の練習の最中、オイラとマッサンがだんじりの後ろに回り、はしごを伝って小屋根に上ると、後から続々ととっちゃんや伊戸ちゃん達も小屋根に上って来た。小屋根から大屋根に上って腰を下ろすと、マッサンが自前の笛を出し、鳴り物が奏でるだんじり囃子に合わせて笛を吹き始めた。マッサンはだんじりについて詳しいだけではなく、近い学年の中でも群を抜いて、浜太鼓や鳴き笛も出来るセンスある男だった。勉強もそれぐらい熱心にしていたならば、後に夜間高校に進学する事もなかったのだが、とにかくだんじりとエッチな事にかけては、マッサンは小学校一のマニアな男なのである。
「とっちゃんこれ出来るけ?」
マッサンがとっちゃんに笛を渡すと、
「鳴き笛け?」
と言ってとっちゃんも笛を披露し始めた。とっちゃんの父親は尺八の名人だけあって、息子のとっちゃんも笛のセンスは抜群だった。小粋に笛を斜めに構えては、時折身体を揺らして笛を吹くさまは、北島三郎が演歌を歌う時によく見せる動きに似ていた。
しばらくして子供会のおっちゃんが差し入れのアイスクリームを買って来ると、太鼓の音が止み、一旦鳴り物の人達が休憩に入った。ここぞとばかりにオイラ達は屋根から降りて太鼓を叩こうとしたが、
「ぼくらの分もあるからこっち着てアイスクリーム食べ」
とおっちゃんに呼ばれ、アイスを出来るだけ早く頬張った。その理由は鳴り物役の人達が休憩している間しか、太鼓を叩かせてもらえないからである。蒸し暑い夏にアイスは有難いが、早食いアイスは頭がキーーン! となってなかなか辛いものがあった。
なんとかアイスを飲み込むようにして食べ終わると、オイラは早速だんじりに乗って小太鼓を陣取った。次にマッサンが大太鼓の位置に着くと、とっちゃんは架木に腰掛け、マッサンの笛を口元に当てると、いつでもスタンバイOKとばかりに、高い音色を響かせ調整の音を鳴らした。後は鐘を叩く伊戸ちゃんを待つばかりだった。
「おい、伊戸、早よ来いよ!」
マッサンが声を掛けたが、伊戸ちゃんの右手には二個目のアイスが握られていた。
「うん。今行く。ちょっと待って」
しわくちゃの笑顔で伊戸ちゃんは返事を返すと、心惜しそうに右手のアイスを手放し、梯子を上ってようやく鐘の位置に着いた。これでメンツが揃った。
だんじり囃子は鐘から鳴らすのがセオリーである。鐘が歩くリズムにするか駆け足のリズムにするか、又は刻み足のリズムにするか、いわば司令塔役である。オイラ達はようやく太鼓が叩けると、伊戸ちゃんの醸し出す音を三人で期待した。
「コン!」
伊戸ちゃんの一打目がだんじりの中に響くと、オイラ達の表情が一瞬にして変わった。
「チキチン! コンチキチン! コンコンチキチン! コンチキチン! チキチンチキチンチキチン……」
ふざけた叩き方で伊戸ちゃんが刻み足を鳴らすと、また一瞬にして緊張の空気が解かれた。
「伊戸ぅ~、ふざけらんとちゃんと叩こうよぉ~!」
マッサンの指摘が入り、
「ゴメンゴメ~ン!」
と顔の表情を崩して頭を掻きながら、冗談交じりに伊戸ちゃんが言った。愛嬌はあるが時として空気の読めない所もある伊戸ちゃんは、なかなかもって憎めないそんな男の子だった。
改めて伊戸ちゃんが駆け足のリズムを響かせると、次にオイラがそのリズムに合わせて小太鼓を叩き、頃合いを見計らってマッサンが大太鼓のバチを振り下ろした。身体の芯まで響く重低音は、オイラ達のボルテージを一気に加速させ、高揚感ある物へと変えてくれた。続いてとっちゃんが笛の音色を響かせ、オイラ達の心は時を超えて早くも岸和田祭り本番さながらに、それぞれが祭りの風景を思い浮かべながら、自身の生み出す音に陶酔していた。
しばらくオイラ達は、鳴り物の人達の休憩が終わるギリギリまで太鼓を叩いて楽しんだ。そんな昼下がり、
「武、旧市のだんじり見に行こよ」
とマッサンが言う旧市とは、岸和田祭りの時などによくニュースなどで中継されるそれである。オイラ達春木地区も岸和田祭りに入るのだが、テレビなどでよく取り上げられるのは旧市の方で、正確に述べると岸和田地区(旧市)と春木地区を総合で岸和田祭りというのである。この頃岸和田地区はまだ南上町と別所町はだんじりが無かったので、岸和田地区はだんじりが全十九台、春木地区は松風町がまだだんじりが無く全十五台だった。その内春木地区から春木南だけが岸和田地区に参加するといった形を執っていた。
「えっ、今からけ?」
「おう。旧市もだんじり出して、鳴り物の練習絶対やってるはずや」
「チャリンコ乗って行くんけ?」
「おう。チャリンコで行ったらじきや」
正直オイラは他町のだんじりにあまり興味がなかったが、春木のだんじり以外を見た事がなかった。同じ日に開催される岸和田祭りは、当然春木地区で毎年祭りに参加しているものだから、ニュースに映し出される映像でしか旧市のだんじりを観た事がなかったのである。事だんじりに関して積極的に誘って来るマッサンの言葉には、見に行けば何か新しい発見が得られるような、そんな気にさせてくれた。なので自転車で長い道のりを行くのは億劫だったが、
「まあええけど……」
とこのとき了承したのである。
紀州街道をひたすら南に向かってペダルを漕ぎ進めると、下野町を超えた辺りから大太鼓の音が聞こえた。更に進むにつれ太鼓の音は次第に大きくなり、並松のS字を超えた所で右手に小屋を見付けた。
「並松町のだんじりや!」
自転車を止めて眺めて行く訳でもなく、小屋の前を通過する時、バスガイドのようにマッサンが説明してくれた。マッサンがオイラに見せたかったのは、どうやら並松町のだんじりではなかったようだった。ひたすら紀州街道を南に進み、小学五年生のオイラからすれば、もうこれ以上進めば南紀白浜に着くのではないのかと思い出す頃、
「マッサン、まだ行くんけぇ~?」
と、自転車を漕ぐのを飽き飽きしてマッサンに尋ねると、
「武もうちょっとやから」
と、マッサンは立ち漕ぎしながらオイラに返事した。
それからしばらくするとまた太鼓の音が聴こえ始め、あともう少しだとオイラも立ち漕ぎに替えて汗だくでペダルを漕いだ。マッサンがオイラに見せたかっただんじり小屋は、それ以上行けば貝塚市に入ってしまうのではないのかというほど、岸和田の粗南西に位置する場所に有った。開け放たれた小屋の前に自転車を止めると、オイラとマッサンはだんじりの正面に立って屋根の位置を見上げた。
「デカぁ~~っ!」
オイラの吐いた第一声である。
春木地区のだんじりは、後に新調ブームが訪れ各町だんじりを大きくして行くが、この頃の春木地区のだんじりは、やはり旧市に比べ見劣りするものがあった。並松町のだんじり小屋の前を通った時は、通過しながらチラッと見ただけでそうは思わなかったが、改めてだんじりの正面に立ってみると、小学生の目線で見るその迫力は凄い物を感じた。
「どや武、デカいやろ」
「おん。デカいなぁ」
「これは本町のだんじりや!」
「えっ、旧市にも春木と一緒の町名あるんけ?」
「そや、まだ他にも宮本町や中町も春木の町名と同じ名前やで」
「へぇ~、知らなんだわぁ~、やっぱりマッサン詳しいなぁ~」
オイラが感心して褒めると、マッサンは彫り物や鳴り物の叩き方についても詳しく教えてくれたが、しかしオイラの耳には右から左だった。この日、子供ながらに自町のだんじりを愛する気持ちは持ってはいたものの、旧市のだんじりに対する迫力の凄さに、反面、嫉妬する感情を抱いたのも事実である。