其の三 カルテ№2 第二の患者
さて次は誰が入って来るのかと、心躍らせながら引き違い戸が開くのを待っていたが、いっぺんに誰だか解ってしまうのももったいないと思い、オイラは戸に背を向けて『かごめかごめ』のようにその時を待った。すぐに引き違い戸と敷居が擦れる音がした。
オイラはゆっくりと一人スローモーションで後ろを振り返り、相手の足元から視野に映るよう畳に視線を移した。視野の中に靴下を履いた爪先が見えた。更に視線をゆっくりと上げ、まるで舐めまわすように膝、続いてスカートへと移動した。
(ん? このスカートはどっかで見たぞ!)
と考えつつ、視線を一気に顔まで上げた。
「なんや姉ちゃんかぁ~」
二番手の患者は姉だった。
「なんやはないやろ、なんやは! この鼻血小僧!」
透かさず姉ちゃんが言い返してきた。
「げっ! なんで知ってんねん?」
オイラも透かさず聞くと、
「そんなもんあんたの顔見たら一発で解るがな」
「なんやこれでか」
と、鼻血がもう止まっていたので、鼻を鳴らして詰めているティッシュ爆弾を姉ちゃんに向けて発射した。
「あんた、汚いなぁ~っ、なにすんのよッ!」
姉ちゃんは即座にティッシュを払った。
「ところで姉ちゃん何の用?」
鼻の詰め物が無くなったが、まだ少し鼻の中がむず痒かったので、鼻の中に指を突っ込みながら姉ちゃんに尋ねた。
「何の用も、あの世もこの世もあるかいなぁ~、診察してもらいに来たに決まってるやろ」
(ゲッ、マジかよぉ~、何が悲しゅうて実の姉弟でお医者さんごっこせなアカンねん!)
と思いはしたものの、よくよく考えてみると今日のメンバーは姉ちゃんの友達ばかりで、あまり姉ちゃんを邪気に扱うと、ヘソを曲げて解散という事にもなり兼ねないと思ったので、適当にあしらってお引き取り願おうと思った。
「でっ、どっか悪い所でもあんの?」
そっけなく聞いてみた。
「あんたもうちょっとパリッとお医者さんらしく言えんの?」
姉ちゃんの細かな要求に少し鬱陶しく感じたが、姉ちゃんと言い争って時間が掛かるのも嫌だったので、素直に要求に応えてやる事にした。
「ごめんごめん。ではあらためて……、どうしましたか?」
オイラは無理やり笑顔を作って言ったので、少し口もとがピクついた。そんな反応を姉ちゃんは見逃す筈もなく、即座に二回目の指摘を入れて来た。
「あんた、なんか怒ってんの?」
姉ちゃんの一言に、
「イヤ、全然」
オイラはそっけなく返した。心と裏腹な言葉を言わなければならなかったので、オイラの口もとは更にピクつき、ギュッと一文字に口を結んで、食いしばった歯の奥から声を出してしまった。
「嫌やったら止めてもええんやで!」
オイラの一番痛い所を突いて来た。オイラは思った。
(この姉ちゃんさえ乗り越えれば、千里ちゃんの時のような神様からの贈り物が待っている。いや、それ以上のBIGボーナスが訪れるかも知れない)
そう思うとムカつく姉の顔も、「お客様は神様です」と言っていた三波春夫の顔に見えてきた。
「そんな嫌やなんて、めっそうもございませんお姉さまぁ!」
今のオイラに出来る精一杯の笑顔で答えた。
「なんやあんた、やったら出来るやんか。そのスマイルが大事やで! それ忘れたらアカンで!」
(こいつ、言うに事欠いて言わせておけば、好き放題いいやがって!)
と思いはしたが、すべてはBIGボーナスの為だとムカつく気持ちを押し殺し、少し引きつった笑顔を絶やさずドクター役に没頭する事にした。
「で、どうしましたか?」
「はい、ちょっと風邪気味で」
姉ちゃんは迫真の演技で患者になりきっていた。
「あっ、そうですか、それではお薬を出しておきましょう」
「はい、ありがとうございます」
姉ちゃんが答えた後、しばらく沈黙が続いた。
「でっ?」
姉ちゃんの声だ。
「えっ?」
オイラの声だ。
「そやから少し風邪気味で」
もう一度姉ちゃんが言った。
「はい、お薬出しておきましたから」
もう一度笑顔でオイラが答えた途端、
「てっ、それだけかぁ~いッ!」
と絶妙な姉ちゃんのツッコミが入った。
「あんたもっとあるやろぉ~、口開けさせて喉チンコの具合見るとか、瞼の下親指で押さえて目の付近調べてみるとか、あんたのその首からぶら下げてる聴診器を使こてみるとか」
イライラしながら姉ちゃんが言った。
「ああ、これね! はいはい」
そう言ってオイラは聴診器の先端を持つと、迷わず姉ちゃんのおでこに当てた。
「てっ、違うやろぉ~ッ! しかも耳には聴診器刺してないし」
更に姉ちゃんはイライラしながらオイラの右手を払い除けた。
「ウソ、ウソ、冗談やんかぁ~、冗談っ!」
オイラは姉ちゃんのご機嫌を取るよう更に続けた。
「そやけど姉ちゃんあれやな、めちゃめちゃツッコミのタイミングええな! やすきよの漫才見てるみたいやったわぁ~」
そこまで言うと姉ちゃんの口もとが綻びかけてきた。ちなみにオイラは姉ちゃんをその気にさせるツボは心得ていた。以前にカマキリを捕まえに行こうとせがんだ時にも、その気にさせてカマキリを捕りに行った事があったからだ。
「えぇ~っ、そうかなぁ~!」
「いやぁ~、ホンマにさっきのツッコミのタイミングといい、絶対笑いのセンスあるわ!」
(まあそれもこれもオイラのスーパーボケのセンスがあるからやけど!)
と心の中で自分自身を褒めつつ姉ちゃんを持ち上げた。ちなみに姉ちゃんはボケのセンスやギャグのセンスは丸っきし無かった。先程もボソッと、何の用も、あの世もこの世もとベタな事を言っていたのを知っていたが、実は軽く聞き流していたのだ。更に歌を歌わせても、ドラえもんに登場するジャイアンのように驚くほど音痴なのである。
「やっぱりあんたもそう思う?」
オイラの褒め殺し作戦に、やはり見事なまでに読んだ通りの反応を示してきた。もうここまで来ると、後はもう催眠術に掛かった人を操るよりも意図も容易い作業だった。
「うん。思う思う」
そう言いながら、オイラがエスコートするように右手を差し出すと、
「そ~やろ、私も前からそーとちゃうかなぁ~と思とってん」
姉ちゃんはご機嫌な顔をしながら、オイラが差し出した手の上に、何も考えず自身の手を置くと、オイラに促されるまま立ち上がり、オイラに手を引かれてエスコートされる間も、姉ちゃんはまだぴーちく、ぱーちく嬉しそうに自分の話しを続けていた。そして姉ちゃんが、
「そやけどあんたな」
と言った時には、
「お薬出しときましたんで、お大事に!」
と隣の部屋までエスコートし終わっていた。
こうしてなんとか邪魔者を追い払う事に成功したオイラは、続く第三の患者にありったけの期待を胸に秘め、これから起こるであろうBIGボーナスの為に、一旦、深呼吸をして、迸る興奮を抑えて自身とリトル武を落ち着かせた。