其の二 カツ丼と診察結果
五年生になって間もない頃、史上最悪なヤツがJFCに入部して来た。またもやタッケンである。ヤツが入部して来た理由は、なんでも泉大津市少年野球チームに所属していたらしく、オイラとは対照的に、高学年を差し置きピッチャーで四番という凄腕の選手だったらしいのだが、肘を痛め野球を断念していた矢先、休み時間にサッカーをしている所を山田先生に、「お前はサッカーの素質がある」とスカウトされJFCに入部して来たのだという。
タッケンが入部して来た事もさることながら、この年オイラにとっては最も恐怖する事件が起こった。学校の授業が終わると、いつものようにサッカーの練習着に着替えてグランドで遊んでいると、左足の膝の部分に違和感を感じた。練習が始まりしばらく違和感を感じながらサッカーをしていたが、その違和感は次第に痛みに変わっていった。先生にそれを告げると、
「今日は早退して病院に行って来い」
と先生は言ってくれた。
先生の厚意に甘えてオイラは早々と練習を早退すると、家に帰りお母ちゃんに事情を話した。すると夕方から近所のKクリニックに連れて行ってやると言われ、夕方まで姉ちゃんと遊んで時間を潰した。夕方になり病院に行って診察が始まると、まずはレントゲン撮影を行った。その後しばらく待合で座っていると、レントゲンの現像が終わったのか、名前を呼ばれて母親と一緒に診察室に入った。先生は蛍光灯の付いた掲示板のような物の上に張り出された、オイラの左膝の写真を険しい表情でしばらく眺めていたが、
「ちょっとお母さんと二人だけで話せますか」
と言われ、オイラは診察室を出て待合で一人時間を潰した。しばらく経ってお母ちゃんが診察室から出て来た。
「武、あんた明日学校休んで美味しいもん食べに行こか」
診察室から出て来るなりお母ちゃんが言った。普段三七度熱があろうが学校を休ませてくれる事などないのに、なんとも怪しい甘い言葉である。
「マジで! 学校休んでええんけ?」
しかし幼いオイラは診察結果など忘れ、学校を休んで美味しい物が食べられる事に喜びを感じていた。
「あんたの食べたい物なんでも食べらしたるで」
オイラは疑う事を知らなかった。
あくる日学校に登校する時間になると、オイラにとっては祝福の時間だった。姉ちゃんが学校の用意を済ませて登校して行く時も、オイラは優雅に寛ぎ、『ひらけ! ポンキッキ』を観られたからだ。お母ちゃんが忙しなく掃除と洗濯に勤しんでいる間も、オイラはテレビを観てまったりと時を過ごした。しかし家の掃除と洗濯が終わると、
「あんた、いつまでも寝巻でゴロゴロしてらんと、早よ出て行く用意しいや!」
と、まだ九時にもなっていないのに服を着るよう促された。
「えっ、もう美味しいもん食いに行くんけ?」
「ちょっと遠いとこまで出て行くから、混まんように早よ出るんや」
まあ美味しい物が食べられるのだったらそれも仕方がないかと、オイラは早々と私服に着替えた。そしてお母ちゃんの運転する車に揺られ、辿り着いたのは吹田市にある大阪大学医学部附属病院、略して阪大である。
「えらいでっかい飲食店やなぁ~」
オイラは着くなり建物を見てそう言った。
「ここの食堂美味しいんやで! まあそやけどこの中にも病院あるから、念の為ここでも足見てもらおか」
何気なくお母ちゃんが言った。
「えっ、また足見てもらうんけ?」
「そや、それ終わったら、あんたの好きなカツ丼でも何でも食べらしたるから、ちょっという事聞き」
「うん、わかった」
オイラは別段不審に思う事はなかった。もう一度レントゲンを撮り診察してもらうだけで、大好きなカツ丼やら何やら好きな物をたらふく食べさせてもらえるのだから、オイラにとっては学校まで休んで好きな物を食べられると喜んでいた。昨日のKクリニックの事にしても、先生が病名を突き止められなかったぐらいにしか思っていなかったのである。まさかこの時この阪大の診察結果しだいで、オイラの左足が切断される事になるなど知る由もなかった。
レントゲンを撮り先生の診断結果は、成長期によく見られる軟骨が白く映って見える現象だとの事で、何の異常も見受けられないとの事だった。それを聞いたお母ちゃんはホッと胸を撫で下ろしていたが、その後、お母ちゃんと診察してくれた先生共々怒りに厳しい表情になっていた。これは後に教えてもらった事だが、Kクリニックはあの時オイラの足を骨肉腫と誤診し、オイラの足を切断するよう勧めて来ていたらしく、母親は実のところ愕然となっていたのだという。
その日、阪大の先生は、Kクリニックに対して医者としてあるまじき診断だと、怒りの定説文を書いてくれ、Kクリニックに渡すよう母親に持たせてくれた。